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美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [3]
テクニカル・アドバイザー=科学技術顧問として参加したフレデリック・I・オルドウェイ3世 (生年不詳 右) と、メカや宇宙服をデザインしたプロダクションデザイナーのハリー・ラング (1930-) 。ラングについては“ホネから人工衛星 [2]”にも紹介あり。

オルドウェイとラングは親友同士で、当時ほかの仲間3人とともにGARCという宇宙航空関連のコンサルタント会社をしており、NASAの仕事でも成功していた。1965年1月下旬の雪の夜、アーサー・C・クラークとニューヨークで会ったことから『2001年』参加が決まる。
二人のキャリアに『2001年』はついて廻り、“2001年で働いた男”と呼ばれたとか (「未来映画術」) 。
オルドウェイはのちに、専門を宇宙からエネルギー産業にシフトしていったそうですが、DVDに収録された別のメイキング・ドキュメンタリーで元気な姿を見せていました。

※「メイキング・オブ・2001年宇宙の旅」掲載のオルドウェイの文章によると、その雪の夜は1965年1月22日だったそうだ。オルドウェイとクラークは旧友とある。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:37 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [2]
実際に美術ボードを作画したのは、このロイ・カーノン (生年不詳) という人らしい (「未来映画術」によるともう1人、リチャード・マッケンナという人も作画している) 。

カーノンはノークレジットですが、『2001年』での肩書きは“サイエンティフィーク・デザイン・アーティスト”。
『スーパーマン』『レッズ』『レイダース 失われた聖櫃』『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』などにイラストレーター、スケッチ・アーティストとして参加。
IMDbのリストだと、1980年代にキャリアが途切れているので亡くなったと思われます。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:29 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [1]
ヘイウッド・フロイド博士を乗せたオリオン号もステーション5に無事到着したので、出来るだけ映画の筋を追いながら気になっている部分を調べていくこのカテゴリー、少し休憩してスタッフ紹介をしたい。

スタンリー・キューブリックはこの映画について、「求めているのは壮大な視覚的体験なんだ」と語っている (「メイキング・オブ・2001年宇宙の旅」) 。だからその部分に携わった技術者を紹介するのは意味あることだと思う。スターや監督と違い、映画技術者のスナップは紹介されることが少ないしIMDbにもほとんど載ってない。DVD特典と古書のおかげである。

『2001年』のプロダクション・デザイナー=美術監督、トニー・マスターズ (1919-90 左の人物) 。わたくしは作品の成功に関して、この人の功績が非常に大きかったんじゃないかと思う。“ホネから人工衛星 [2]”にも紹介あり。

右の人物は不明だが、右手前に映っているのは有名な遠心室の模型。後ろの美術ボードもじっくり見たかった、保存されていないんだろうか。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 09:19 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

宇宙ステーション5 [4]
ルック誌のフィルムに映っていたコレは…「映画評論」誌の採録記事に載っていた謎の宇宙ステーション画じゃありませんか。
ハリー・ラングのデザインを元にした、トニー・マスターズによる美術ボードで間違いないと思う。

今見比べたんですが、なんとステーションの角度と地球の位置が違う別の画。科学的根拠に基づき、一枚は描き直したモノかな。『2001年』、ホントウに奥が深いです。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:15 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

オリオン号 [9]
『2001年』で使用されたミニチュアは、秘密主義のキューブリック監督が映画完成後廃棄してしまった、という一文を昔どこかで読んだ記憶あり。
最初どこで読んだか、昨日ちょっと探してみたんですが見つからないんですねぇ。
というのも、別のDVD収録ドキュメンタリーで、映画に使われたとおぼしきオリオン号のミニチュアが接写されるんですよ。残っていたのかな。ホンモノならば大きさは3フィート=約92センチ。

ディスカバリー号のミニチュア (15フィートの小さい方だと思う、54フィート=16.5メートルの奴はさすがに置く場所なくて処分されたでしょう) が博物館に展示されているというのも読んだ記憶がありますが、これもどこに書いてあったのやら。
リバイバル公開された1978年以降に読んだ雑誌か本の中に書いてあると思うんだが…。

※ミニチュア展示については、スミソニアン国立航空宇宙博物館に保存されている、『スタートレック』の初代エンタープライズ号と混同しているのかもしれん。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:00 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

オリオン号 [8]
この2枚はハリー・ラングのメカデザインを元にした美術監督トニー・マスターズによる美術ボードだと思われます。
世が世なら、描いたのは手塚治虫やケン・アダム (007シリーズの美術監督として名高い彼は、『博士の異常な愛情』でキューブリックと仕事をした。本作にも参加したくて自ら売り込んだが、マスターズが決まっていたため断られ悔しがった) だったのかもしれませんね。
でもマスターズで正解、キューブリックの選択は間違っていなかった。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 12:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

オリオン号 [7]
DVD収録のドキュメンタリー ("2001 A SPACE ODYSSEY A Look Behind the Future"。キューブリックがカメラマンとして世に出るきっかけとなったルック誌の、映画とタイアップした広告募集用フィルムか) には製作当時の貴重な美術ボードやデザイン画が写っており興味深いです。
これらは映画完成後、処分されてしまったのでしょうか。

| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:53 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

キューブリックからの手紙
横尾忠則特集以来読んでいなかった「芸術新潮」の11月・手塚治虫生誕80周年記念特集号を立ち読みしていたら、買わずにはいられなくなってしまった。
その理由は…ちょうど1年前に思い出しアレコレ書いた、スタンリー・キューブリック監督から手塚宛に出された『2001年宇宙の旅』美術監督依頼に関する手紙が載っていたから !
1978年の「映画宝庫・SF少年の夢」でおふくろが焼いてしまい証拠を見せられないと残念がっていた伝説の手紙が残ってたんだ !!

残念ながら封筒の接写だけ。これが最初の依頼の手紙か、断りの手紙を書いたあとキューブリックから届いた2通目の手紙なのかは不明。
しかし石神井局受け取りの消印が1965年 (昭和40) 1月9日であることはハッキリ分かる。
「SF少年の夢」での手塚談、「依頼の手紙が来たのは1963年の暮れ」ってヤハリ記憶違いですね。
想像だが、美術監督依頼の手紙が暮れ (1964年暮れということになる) に来たのは間違いなさそうだから、これは断りの返事 (私は食わせねばならないメンバー…虫プロスタッフの事…がいっぱいいて参れません) を出したあとの、「たいへん残念である、あなたはそんなに家族が多いのか」というこれまた伝説のフレーズを含む返事なのではないか。エアメールであるから、ヤリトリに時間はかかっていないと思われる。
あと、宛名が“ミスター”ならぬ、“ドクター”オサム・テヅカ表記なのにも注目。

内容の公開も待たれるところですが…それにしてもいつ頃発見されたのだろう、情報お待ちします。

※カテゴリー“今週のわたくし2007” 9月26〜27日付 「手塚治虫の2001年問題」もよろしければお読み下さい。
キューブリックの返事ですが、手塚が断りの手紙を出したあと2週間ほどして届いたと「ぼくはマンガ家」の中に書いてあるそうです。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 17:48 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP

『2001年宇宙の旅』ダス、ホエホエ〜
こんなの見つけました、赤塚不二夫追悼って事で。
モノリスならぬ夜の犬を宇宙空間に発見して驚愕のデカパン船長。公開直後、1968年5月の少年マガジンに掲載された「天才バカボン」の場面転換大コマです。
この時期はたしか流行もの好きな石森章太郎も「リュウの道」の導入部で『2001年』していた記憶があるな。マガジンでは大伴昌司がカラーグラビアで特撮図解をやっていたはずですが、掲載号との前後関係は不明。
映画狂の赤塚不二夫は『2001年』をどう評していたのだろうか ?

大伴昌司構成の2001年特集は1968年3月24日号の少年マガジンに掲載されたそうです。三一十氏のサイトで写真が見られます。(2008年11月2日記)
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 09:09 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

宇宙ステーション5 [3]
これは「映画評論」に載っていたステーションの画なんですけど、ほかで見たことないんですよ。ロバート・マッコールの仕事なのか、それとも『2001年』とは関係ない図版を載せたのか。ご存じの方、教えてください。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 02:35 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP