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東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 [番外 2]
『えり子とともに』から1年のち、小泉博の本格デビュー作がコレ。

『青春会議』(1952.1 東宝) である。
山村聰、杉葉子、岡田茉莉子、伊豆肇らが出演。
電柱に貼られたポスターを見て、依田家の家庭教師となる学生の役だった。
石坂洋次郎原作 杉江敏男監督の、今は語る人もいない映画だが、当時は若い観客を集めたことだろう。

東宝で、黒澤や成瀬組の常連というような格ではなかったけれど、一介の青春スターで消えることなく天寿を全う。
小泉博、悔いなき人生だったのでは。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 17:06 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 [番外]
先日亡くなった小泉博の映画デビュー作について、ちょっと調べていたが。
1949年から52年までNHKで放送された、ラジオドラマ (放送劇) のヒット作を映画化した『えり子とともに』(1951.1 藤本プロ、新東宝配給) だった。

タイトル表記の微妙な違いに気付く。
劇作家・内村直也 (1909 - 89) によるラジオドラマは、新聞の番組欄表記だと「えり子と共に」「えり子とともに」が混在。
国会図書館に収蔵されているシナリオは「えり子とともに」。
宝文館から出版された内村によるシナリオ集 全10冊は、「えり子とともに」である。

映画は、シナリオ集と同じ表記なんだ…
と、思ったのも束の間。
JMDBでは、『えりことともに』と ひらがな表記されているじゃないか。
しかも、1月から2月にかけ2部作で公開されていた !

2部作は ともかく、表記は どっちがホントなの ?

二番館のチラシを発見。『えり子とともに』が正しいようですね。

ラジオドラマは、1949年10月5日スタート (ネットでは、1948年スタートになっている記事もあるが、コッチが正しい)。
声の出演は、えり子役が劇団・民芸の阿里道子 (アリミチコと読む)、その父に小沢栄 (小沢栄太郎の別名)。
七尾怜子、山本安栄、宇野重吉、杉村春子、田村秋子、松本克平、村瀬幸子、加藤治子、芥川比呂志、久米明、南美江といった豪華なメンバーも出ていたらしい。
東京の山の手に住む、大学教授の父を持つ河村えり子が主人公。
作者が意図したのは、父と娘のシチュエーション・ドラマだった。
戦後すぐの厳しい時代。
母が亡くなったあと、父はえり子の成長を優しく見守りながら、いずれ結婚して家を出ることになる娘との会話を、複雑な思いで楽しんでいる…。

えり子が1人娘と書いたサイトがあるけど、姉弟がいる。
番組が長期化し、えり子は就職する展開となった。

映画は、ラジオドラマ放送中に制作されたわけだ。
内村も参加、井出俊郎とシナリオを共作した。
えり子役は、角 梨枝子 (スミリエコ)。リエコが えり子を演じていたのか…。
1927年生。広島出身で、父は広島大学教授。1945年8月6日に被曝しているという。
大阪音大卒、ミス・ヒロシマとして東宝入りした。
同郷の杉村春子の知己を得、文学座で演技勉強。
健康美人タイプで、家柄的にも えり子役にピッタリだった。
脇に廻ったあとも映画各社・テレビで70年代中盤まで活躍。
2005年没。
ラジオドラマで小沢が演じた父は、山村聰に。
監督は千葉泰樹が予定されていたようだが、豊田四郎に交代。

仲良し一家の母が亡くなってから、姉は劇作家と結婚し、弟も家を出た。
大学教授の父が再婚するのしないのの話が持ち上がり、ファザコンらしい娘のえり子は、何だかモヤモヤしたりする…
というようなストーリーらしい。

シナリオ集に載った、内村直也を挟んで2人の えり子…角 梨枝子 (左) と阿里道子…が写った貴重な1枚。

この時期、柴田早苗 (当時、NHKラジオのクイズ番組「二十の扉」に出演、勘の良さで人気が出た女優。叔父は、浜辺の歌 や かなりや の作曲家・成田為三。日劇ダンシングチーム出身で、森コンツェルンの森暁と結婚。2004年没) の えり子役、伊志井寛の父役で舞台化も されている。
1969年にはNETで、一部設定を変えテレビドラマ化。これに併せ、別の女性ライターが書いたノヴェライズ版も刊行。
えり子役は内藤洋子、父は山村聰が再び演じた。
石立鉄男や山本紀彦、前田吟も出演。

小泉博の話に戻るが、ウィキによると彼は、

慶應義塾大学を卒業しNHK入局後、大分放送局に配属。
1950年9月、休暇で上京した際に、軽い気持ちで藤本眞澄が代表を務める藤本プロ制作『えり子とともに』フレッシュマン募集に応募し、3人の合格者の1人に選ばれる。

という経緯で俳優となった。
キネ旬やJMDBのリストに名は出ていないが、JMDBに俳優名が空白の役が ひとつある。
これが、小泉の役だったのでは ?

鎌倉育ちの小泉、いきなりの地方勤務は向いてなかったか。
自局ラジオドラマの映画化なので、NHKも宣伝になると、快く彼を送り出したのでは。
また、選考に当たったかどうか不明だが、作者である内村直也は、小泉と同じ慶應出身であった。

以下、調べていて面白かった余談。

ラジオドラマ・映画とも、同作の音楽担当は芥川也寸志であるが。
内村 作詞、中田喜直 作曲によるラジオドラマの挿入歌・雪の降るまちを (雪の降る街を と書かれる場合があるが、ウィキ表記はコレ) は、作品のタイトルが忘れられても、後世に残ったようだ。
なんでも、「えり子とともに」1951年12月26日放送・第114回のリハーサル後、「どうやら時間が余りそうだ」ということで,急遽作られたという。
会話ではなく歌で時間を埋めようとする急場しのぎで、名曲が誕生するというのも凄い話 !

雪の降るまちを 雪の降るまちを
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降るまちを
遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
温かき幸せのほほえみ

生放送の劇中で歌われたのは ここまでで、2・3番は後付けらしい。
また、一部歌詞が今と異なっていた。
のちにテレビの『みんなのうた』でも取り上げられ、表記は 雪の降る町を (1961年12月バージョン) → 雪の降るまちを (66年12月バージョン) と変更され、今に至る。

えり子が勤めている会社 (業種不明) で本社と工場の対立があり,その宥和を図ろうと,会社の正月の演芸大会に本社と工場の混成メンバーで劇をやる運びになる。
劇のタイトルは「花咲く丘」。その中に登場する歌だった。
練習中の場面で、花売り娘役の女性社員 (南美江らしい) が歌うのが最初。
そして、この回の最後に全員の合唱が流れ、ラストは えり子の年末あいさつになったという。

曲が評判になり、1953年2月に「ラジオ歌謡」という番組で歌ってレコードにも吹き込んだのが、ヲタクにはカルト恐怖SF映画『吸血鬼ゴケミドロ』のみで知られるシャンソン歌手・高英男である。

1951年、ラジオで活躍する女優を集めた雑誌座談会で「男が とろける」「結婚適齢期の男性にピッタリ」と評された、えり子役・阿里道子の声。
ラジオドラマの大ヒット中、阿里と芥川也寸志の間にスキャンダルが発覚 ?
生涯に3度結婚した芥川だが、当時は東京音楽学校で出会った山田 (間所) 紗織と最初の結婚をしていた。
スキャンダルが原因かどうかは不明なれど、音楽は中田に交代。第114回の頃は、既に交代していたのだろう。
また、放送中かどうかは不明なれど、阿里は今でいうストーカー被害に遭ったという情報も。

「えり子とともに」放送時間は、毎週水曜日の21時から、30分間。
途中で21時15分スタートに変わり、最後は木曜日の20時30分に移動。
完結した翌週の1952年4月10日から、放送時間に女湯が空になったという都市伝説をもつ「君の名は」が後番組としてスタートする…。
氏家真知子役は、えり子役の阿里道子が続投し、1954年4月まで務めた。

これほどまでの人気を誇った、阿里の その後だが。
ラジオ・舞台出演は多数あるだろうが、不明。
映画は、鰐淵晴子が美少女すぎる『ノンちゃん雲に乗る』(1955.6 新東宝) でナレーションを担当しただけ。
あとは1952年から61年にかけ、黎明期のテレビドラマ出演作が14本ほど確認出来る。
最後の作品は、1961年1月放送の単発ドラマ『2 in 1 ツーインワン』(NTV) の助演。
正月だけに山村聰、岡田真澄、有馬稲子と出演者も豪華、シナリオはキノトールであった。
NHK出身で放送界の生き証人・黒柳徹子さんに消息を尋ねたいものですが、結婚引退されたのでしょうか。
阿里さんが、東京で住んでおられる町の歴史をまとめたHPに、写真を提供しているのを見つけた。
健在だと思われる。

そういえば、ラジオドラマ「君の名は」冒頭の

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

オリジナル・ナレーションは、若き日の来宮良子だって。知らなかった !

20時30分からの放送を聞くため、女性が家に戻りラジオに かじりついていたとするなら。
当時、家風呂のない一般家庭の女性は、家事を済ませ20時 (夜8時) ごろに近所の銭湯へ行くことが多かったんでしょうなぁ。

※ 参照
池田小百合 なっとく童謡・唱歌
http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/
doyobook/doyo00nakata.htm

は、雪の降るまちを や えり子研究の要と言えるサイト。
ここから孫引きしたトリビアを載せたサイトが多いですけど、間違った引用も見られますので、御注意。
http://ameblo.jp/lysling/theme-10090270674.html

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=
cache:8W-Oc18_vaIJ:http://notenkiexpress.blog95.
fc2.com/blog-entry-637.html%2B%E3%81%88%E
3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%A8%E3%81%
A8%E3%82%82%E3%81%AB&hl=ja&rls=GGLD,GGLD:2004
44,GGLD:ja&prmd=ivns&strip=1
から、多くの情報を得ました。多謝。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 15:14 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第4作 『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) [6]
1958年7月の唐津新聞に掲載された、佐賀・唐津ロケ風景の写真。

右から、白田 江利 小泉 安西。

右から、白田 江利 小泉。

ネット上から拝借しました。

唐津くんち の大きな曳山が、ポスターにも写っていましたね。
実際は、くんち (九州北部における、秋祭り・収穫祭の呼び方) の名のとおり、唐津神社・秋の例大祭に登場するのですが、撮影のため7月に地元が協力した模様。

唐津ロケ・曳山が登場する東宝系の作品には、社長シリーズ30作目『社長えんま帖』(1969.1) もあります。

上の写真にも写っている、フグ田君 (4作目の段階では、資料にマスオの名が書かれていないため、こう表記しております) 役の小泉博が、5月31日に亡くなりました。
享年88、大往生と言えるでしょう。
父が政治家という名家の出で、NHKアナウンサーから東宝の俳優に。
青春スターとして活躍、『モスラ』あたりから特撮モノの常連となる。
テレビではドラマ出演よりも、『クイズグランプリ』(1970 - 80) 司会が有名。
後年、クイズ司会で名を上げた児玉清も東宝の俳優出身ですから、小泉はこの分野で先達と言えるでしょう。
俳優組合系の仕事にも従事。
最後の映画出演は2009年11月公開、広末涼子・中谷美紀主演『ゼロの焦点』だったようです。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 14:28 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

5月のアクセス数、10万超え御礼
2013年 秋のパソコン不調やら なんやら、しばらく更新しなかった時期もあって。
ブログのアクセス数は、月10000前後に落ち着いていたんですが。
今年4月ごろより再び上がり調子で、本日チェックすると、5月はナント100000超え。

数年前に60000弱のことが一回あったけど、それを遙かに超える新記録。
閲覧して下さった方々、どうもありがとうございます (ブログ下端の累計カウンターと月別集計表は何故か連動しておらず、激しく差が出るんですけど、記事別のアクセス数も見られる月別集計表を信用し、年に数回 累計カウンター修正を実施)。

サザエさん映画記事の おかげかなぁ ?
反応らしきもの、コメントは一切ありませんが…

ともあれ、今後も当ブログを宜しくお願い致します。
| サイトオーナーよりひとこと from SITE OWNER | 10:45 | comments(3) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第4作 『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) [5]

スチル写真。
うしろは浪花千栄子、花菱アチャコ、カツオ役の白田肇か。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第4作 『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) [4]
もう1種類の立て看板サイズ ポスター。

惹句は、新婚旅行の練習です ! 心臓娘のサザエさん 嬉し恥かし失敗続き !
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 09:36 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第4作 『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) [3]
立て看板サイズのポスター。

惹句は、婚約者 (フィアンセ) と楽しい旅が花嫁試験で サザエさん びっくり仰天 !

ワカメ役の松島トモ子がカワイク写っているけど、本作で降板。
猿若久美恵に交代する。

[2]に貼ったポスターでは、花菱アチャコ表記だったが。
こちらでは単にアチャコ。
実際のタイトルでは、どうなっているのかな。
トニー谷を「トニー・谷」、伴淳三郎を「伴淳」と表記している誌面・映画もある。たけし だって、ビートたけし と北野武を使い分けているからね。
芸名表記は、時々で (出演する場所…映画・テレビ・舞台…で変えたり、演出する側に立った場合に変えたり) 移ろうものなり。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 08:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第4作 『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) [2]

ポスター。 
惹句は、婚約者と嬉しい旅も 失敗続きで花嫁修業のやり直し

同時上映は、ウィキによれば猪俣勝人 製作・脚本・監督 石浜朗 主演『荒城の月』。
ご存じ滝廉太郎の伝記映画で、シナリオ文芸協会制作、東宝配給。

猪俣勝人 (1911 - 79) は戦前から活躍している脚本家で、戦後は『現代人』 市川崑版『こころ』 千恵蔵版『大菩薩峠』シリーズなど、各社で活躍。
猪俣氏といえば、わたくしは中学校の頃、教養文庫から出版された著書「映画名作全史」シリーズで映画史を勉強させてもらったっけ (学校の勉強は、マッタクやる気なかったです…)。
監督作があるのは知っていたが。
これが第1作らしく、1962年にかけ計4本の映画を撮っていた。

ところで。
前週公開だった松林宗恵 監督 加東大介 小林桂樹 団令子 主演『風流温泉日記』のパンフレットに、『サザエさんの婚約旅行』が同時上映として掲載されているという。

宝塚映画 制作、和歌山県白浜の温泉を舞台にした風俗喜劇。
『風流…』が大ヒットして続映となり、新作『サザエさんの婚約旅行』を併映した地方の館もあったのではないか。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 09:37 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第4作 『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) [1]
8か月ぶりの公開となる、第4作。
本作では、制作が東宝系列の宝塚映画に移る。1956年に、新スタジオが完成したばかりだった。
画面も、カラー・ワイド (シネスコ) 化。
興行主からの要望もあったろうが、長谷川町子の出身地である九州 (彼女は佐賀生まれ) や大阪、兵庫・宝塚大劇場のロケが行われた。

『サザエさんの婚約旅行』(1958.8) 宝塚映画、東宝配給
カラー・ワイド、12巻・2863メートル、104分。

サザエさん (江利チエミ) のお父さん (藤原釜足) に、九州 福岡・若松の伯母さん (一の宮あつ子) から、お祖父さんの三十三回忌に来てほしいとの手紙がきた。
お父さんは、サザエさんの婚約者で博多の東邦商事支社へ出張中のフグ田君 (小泉博) が九州から上京してくる筈なのが中止になり、サザエさんがガッカリしていたときだけに、彼女を若松にやる旁らフグ田君と会ってくるようにと、サザエさんとカツオ君 (白井肇) を代表として出発させた。

途中、相変らずの そそっかしさを発揮しつつ若松へ着いたサザエさんは、三十三回忌の法要の夜も男性に負けじとお酒を飲み踊り出したため、来ていた大阪の叔母さん (浪花千栄子) たちから大目玉を頂戴した。
「叔母さんの旅館で、行儀作法を教えてもらいなさい」という伯父さん (サザエのお父さんの兄に当たる。アニメ版なら海平か。演じるのは、坂東蓑助) の言葉にベソをかきそうになっているところへ、フグ田君が休暇をもらって訪ねてきた。

フグ田君の案内で、サザエさんは長崎・雲仙・佐世保・博多と九州の名所を楽しく回ったが、佐世保へ行く観光船の中 (本編では、長崎のグラバー邸に変更されたようだ) で、フグ由君の下宿先の娘でヅカガール…宝塚歌劇団の女優、タカラジェンヌのこと…悦子さん (安西郷子) に出会ってから、様子が おかしくなってきた。
フグ田君と親しげに話す悦子さん。
サザエさんは面白くないままに九州一周を終り、カツオ君と帰京することになった。
見送りに来たフグ田君は、近く大阪へ転勤になると告げた。

帰りの汽車が大阪に着いたとき、サザエさんは何かに とりつかれたように途中下車。
叔母さん・叔父さん (西野一家…前記の浪花と、花菱アチャコ。ノリスケや、レギュラーとなり本作にも出演している従兄ノリオの藤木悠は、ここの息子だった) の営む旅館・西の家へ行った。
彼女は、フグ田君の来るまで、ここで働くことに。
ヅカガールで、大阪の近くに住む悦子さんに恋人を取られまいと…。

やがて、フグ田君が大阪へ転勤してきた。
叔母さんはじめ、揃って宝塚大劇場へ出かけることに。
姫君に扮した悦子さんが舞台に現れた。フグ田君の猛烈な拍手。
サザエさんは、急に席を立って表へ出た。
驚いたフグ田君は後を追いかけ、「僕が好きなのはサザエさんだけだよ」と、婚約指輪をその指に はめてやった。
http://movie.walkerplus.com/mv28289/
より引用、改行・一部訂正。
http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/
eigahyou35/sazaesannokonyakuryokou.html

からは多くを得、ウィキも参照しました。

フグ田君ことマスオの会社は、山高商事から東邦商事…東宝商事と書いたサイトもあるが、東邦らしい…に社名変更したのかな。それとも、別の商事会社に再就職したのか。

カツオが長崎平和祈念像で言うセリフ「長崎も大変だな。海からはピンカートン、空からピカドンで」は、浦山珠夫こと佐藤利明氏が「映画秘宝」で紹介し、ちょっと知られている。

音楽は、神津善行 (1932 - ) に交代。
東宝喜劇映画やプログラムピクチャーを多く手掛けた彼は、本シリーズを最終第10作まで担当することになる。
神津は前年に、天才子役として鳴らした女優・中村メイコ (1934 - ) と結婚していた。
中村が、江利チエミや美空ひばりと親友だったのは有名。
江利のヒット曲・新妻にささげる歌は、中村 作詞・神津 作曲である。

ワカメの松島トモ子 (本作で降板する)、お母さんの清川虹子は出番が少なそうだ。
花菱アチャコは、第1作以来の出演。役が固定する。
多胡夫人を前作で演じた一の宮あつ子は、また役が替わった。第5作には出演していないようだが、第6作より多胡夫人役で復帰する。

安西郷子は大阪生まれ、しかもOSK (大阪松竹歌劇団) 出身なので、このヅカガール = タカラジェンヌ役はピッタリか。
宝塚歌劇団は、当然出演。
叔母の長女役・環三千世、大阪のバスガイド役・水代玉藻は宝塚出身だった。
そういえば、1948年の映画『サザエさん』と続編で、最初のサザエさん女優となった東屋トン子も宝塚出身とか。

環の恋人役に山田真二。
浅草出身のコメディアン・佐々十郎、関西喜劇の大村崑も顔を見せるという。

ポスターに、トニー谷の名があるが。
キネ旬やウィキなど、配役表に名は無い。
当時の人気者であるから、資料で省略されることは有り得ないだろう。
早い時期に作られるポスターには名が載ってしまったが、本編には出ていないかも。

※追記
東宝のデータベースにキャスト表があり、トニー谷は出ているようです。
http://toho.co.jp/library/system/movies/?437
役名は、紳士風の男。
端役の人まで載っているキネ旬などの資料から、なぜトニー谷の名が漏れたかは不明。
あと、悦子さんの両親役で 益田キートンと万代峯子。
シリーズ常連の沢村いき雄、脱線トリオの由利徹 南利明 (八波むと志は今回出ていない)。
珍しや大映の傍役・荒木忍、石田茂樹 (声優・俳優で有名な、故・石田太郎の父) の名もある。

協賛として、
若松観光協会 長崎観光協会 雲仙観光協会 島原観光協会
佐世保西肥自動車株式会社 唐津観光協会 大宰府天満宮 西海橋観光協会
がクレジットされていました。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第3作 『サザエさんの青春』(1957.12) [5]
撮影現場の江利チエミを記録した、貴重なプライベートムービー。
8ミリと思われるが、カラーである。

8ミリ映画自体は戦前からあり、輸入物でカラーフィルムも買えたとは思うが、富士フイルムが国産カラー8ミリフィルムを発売したのは第2・第3作が公開された年、1957年の3月という。

第何作のロケ風景か不明だが、ノリオ役の藤木悠 (ですよね ?) が一緒に映っているから第2作以降、たぶん第3作のロケ現場ではないか。
映画もカラー化されたことだし、記念の意味もあり、江利が家族かスタッフに撮ってもらった…と推理したが、いかがでしょう。

『たけしの誰でもピカソ』で紹介された。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP