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幻のモデルアニメ映画 Along the Moonbeam Trail〔1〕

esme様からご教示いただき、YouTubeで失われたと思われていたモデルアニメ特撮短編映画 Along the Moonbeam Trail(月光跡に沿って 1920 アメリカ サイレント、音楽入り)を観た。
映画評論家レオナルド・マルティンのテキストによれば、各地に残る断片を寄せ集めたそうだが、完全版は無理で尻切れとはいえ復元の苦労が偲ばれる。

監督は、これが処女作のハーバート・M・ドーリー(1880〜1970)。
不思議な人物で、IMDbによれば彼の死亡記事での経歴は、映画製作者や監督やモデルアニメーターや彫刻家といった特撮オタクが知っているようなキャリアに重きは置かれず。
ニューヨークにあったピアスアロー自動車会社の、チーフカーデザイナーとしてであった。
特にヘッドライトをフェンダー(前輪タイヤ上のカバーパーツ)と一体化させた有名なスタイルは、ドーリーのアイデア(特許取得とか)という。
この車を収蔵するトヨタ博物館の解説文だと、ピアスアローはパッカード ピアレスと合わせて “スリーP” といわれたアメリ力の超高級車。その品質や格式の高さは、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあったという。パワーブレーキ、油圧タペット、アルミを使用した軽量ボディなど技術的にもすぐれていた。
ドーリーは1912年にピアスアロー自動車に入社し、会社が倒産する1938年(恐慌後、安価な大衆車しか売れない時代になったからか)まで、ほとんど全ての車種のデザインに関わる。
アニメ関係では本作のあと、1922年にニューヨークでハーバート・M・ドーリー映画会社を設立。影絵アニメ映画(美女と野獣 眠れる森の美女 アラジンと魔法のランプ ジャックと豆の木なども題材にしている)を作り、自らアニメーターとして活躍する。ピアスアロー、副業OKだったの?
思いっきり手間のかかるアニメ仕事は、助手(トニー・サーグという人形師が協力)を使ってもカーデザイナーと両立可能と思えないが…1925年以降の作品がないので、やはり無理が来て この分野から完全撤退したのだろうか?この件は最後にもう一度考えたい。
ピアスアロー社倒産後は、モデルアニメよりも自ら演じたい欲求が高まったか。1936年から始まり21年も続いたという連続ラジオドラマ「ギャングバスター」や1937年から20年も続いたソープラジオドラマ「ヒルトップハウス」に出演。
さらにニュー・ジャージー州の劇場 チャタムプレイハウス創設者の1人にもなっていて、52年間に115の芝居(ミュージカル、コメディ、一般ドラマと手広い)を演出したという。
カーデザイナー、映画製作者とアニメーター、ラジオ声優、演出家は時期がダブってる(ピアスアロー在籍は1907〜16、舞台演出と映画会社は1922〜で、ダブってないという資料も)…家は裕福で家族もあったようだが、多才な人って動けるもんだねぇ。

Along the… のストーリー。
「ロミオとジュリエット」の一節の引用から始まる。
月光の妖精?(それなりにキュートな女の子、役者不明)が森に降り立ち、キャンプしていたボーイスカウト風のおじさん(監督のドーリーが演じた)と2人の少年(ドーリーの息子たちが出演と書いた資料もあるが、苗字はデイになっている。後述する The Ghost of Slumber Mountain にも出演)が遭遇する。
妖精が用意した魔法の複葉機に乗り、3人は月に飛び立つ。タバコをふかす半月の周りを旋回するうち、月光の妖精たちのダンスを見たり、ホウキの魔女とすれ違う。天界の軍神は、複葉機と魔女がぶつからぬよう交通整理してくれた。
そこへ突如、舌をチロチロさせる巨大コウモリ翼竜が追ってきた。慌ててキリモミ降下で着陸し、洞窟に隠れる3人。先史時代の恐竜ステゴサウルス(やはり舌をチロチロ)が現れ、洞窟から観察。ステゴが去った後には、トラコドンとティラノサウルスの激闘が。終わった頃、妖精が迎えに来て…。

これが、現在知られている限り最初の、 同一ショットにおいてリアルなストップモーションアニメの恐竜と俳優を合成(二重露光か、黒マスクして撮影した恐竜アニメフィルムに人物を再撮影か、分からない)した映画だという。
洞窟内の3人が見られるように現れたり、戦ったりする恐竜。画面左の闇に3人、右で戦っている恐竜という構図である。
前半の特撮も興味深い。月は特殊メイクした俳優(役者不明、メリエスの『月世界旅行』オマージュだろう)。月を飛ぶシルエットの小さな複葉機は、たぶん手描きアニメ。魔女は、操演とモデルアニメ。コウモリ翼竜はモデルアニメだが、左右に飛ぶところは写真をガラスに貼り付け引っ張ってるようだ。

この10分ほどの特撮短編映画は、『キング・コング』の高名な特撮マンでモデルアニメーターのウィリス・H・オブライエン(1886〜1962)の初期作品 The Ghost of Slumber Mountain(眠り山の幽霊 1918、ドーリーが製作し出演も。オブライエンまで出演)のフッテージから流用された恐竜の映像を使ったと言われてきた。
ウィキにも書いてあるし、IMDbで監督はオブライエンとドーリー連名になっている。だが発見・復元された現物を観ると、まったく別のオリジナル作品と分かった。

「カートゥーン100年史を完全解説する試みウィキ」、STUDIO28「モンスターメイカーズ」によると。
ニュー・ジャージーの金持ちで、上記のようなキャリア。彫刻家(自分で5メートルもある恐竜像を作り写真撮影していた。彫刻の才能は、車のクレイモデル作りでも生かされたのでは)でもあり、自ら恐竜モデルアニメ映画も作ろうとしたが過去に失敗していたドーリー。
モデルアニメ映画を自主制作し、エジソン社に見せて評価され入社するも、金銭面の問題で辞めた時期のオブライエン。
たまたまオブライエンの映画を観て感心したドーリーは彼を雇い、The Ghost …という恐竜アニメ映画を作らせる。
完成し興行も成功したThe Ghost… 。製作者ドーリーは配収のみならず芸術的・技術的な貢献(モデルの骨組みであるアーマチュアの技術を、オブライエンに盗まれたと告訴)も我が物にしようとしたが、頭角を現わしつつあったオブライエンの功績は明らかであり、沈黙する。
この従来伝えられていた定説に対し「パートナーのドーリーに詐取されようとしたオブライエン、ドーリーは悪者として一貫し伝えられた。だが、古生物学者で1978年に映画『恐竜の惑星』を製作したこともあるスティーヴン・A・ツェルカス(2015年に68歳で死去)は、奥様が纏めたDVD付きの遺著で、歴史を書き直した」とマルティンは書く。
ツェルカスはオブライエンとドーリーの確執を研究するのに年月を費やし、ドーリー=悪人 オブライエン=犠牲者であったという長い間の定説を覆す証拠を発掘したのだ。

ただまぁ、それが分かっても。
恐竜モデルアニメーターに限って言えば、技量の差は歴然で。ドーリーが1925年以降アニメから手を引いたのは、同年に公開されたオブライエンの長編傑作『ロスト・ワールド』を観たからじゃないか?
しかし…長期的に見ればだが、財力があって しっかりした正業もある多才な人物に、絶頂期はあったがモデルアニメ一代男は敵わなかった。
もしオブライエンが、困っていた時期に自分を雇ってくれたドーリーの要求を受け入れ、黒子的な役割だが作品を作らせてもらうパトロン・協力関係が続けば。歴史が変わり、晩年に困窮する事もなかったのでは…あくまでIFの世界ですが、そんな事も考えてしまいました。
1962年秋、参加した久々のメジャー大作喜劇映画『おかしなおかしなおかしな世界』非常階段シーンのモデルアニメ準備中に心臓発作で急逝した年下のオブライエンの訃報をドーリーは読んだと思うが、何を思ったろうか。

さて、初めて観た Along the …ですが。特撮オタクの私には、グッとくる収穫があったのです。

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コメント
すみません。
なにかNGワードに触れたのか、予定していたコメントが書き込めませんでしたので、またあらためてお邪魔します。
| esme | 2019/10/28 12:43 AM |
予定のコメントが書き込めなかったので、別の件を……
ロスト・ワールドのアウトテイク映像ですが、イメージ・エンターテインメントから2001年にリリースされた93分バージョンのDVD及び一昨年フリッカー・アレイからリリースされた110分バージョンのBDに特典映像として収録されていました。
両者では映像の順序など編集が異なり、Youtubeにあがっていたのは後者の映像のようです。
前者のバージョンには音楽が付いておらず、初めて観た時はむしろ無音なだけに息をのむような生々しさを感じました。
そこで思い出されるのは、1922年6月2日にアメリカ奇術師協会の会合でコナン・ドイルが上映したフィルムの一件です。(続く)
しかしメトロポリスと並んでより完全版に近い復元が待たれるロスト・ワールド、フリッカー・アレイのBDリリースは特撮マニアにとって快挙だったはずですが、日本ではStereo Sound ONLINE での堀切日出晴氏による発売告知があったくらいで、ほとんど話題になりませんでした。
| esme | 2019/11/03 8:36 PM |
コメントありがとうございます。
ロリポブログにNGワードがあるとは知りませんでした、esme様を何か怒らせてしまったのかなと考えておりましたが、そうでもない様子なのでひと安心。今後ともよろしくお願いします。
『ロスト・ワールド』、私は全編通しては廉価版DVD(たぶん64分版)でしか観てないのですが、いろんなバージョンがあるんですね。復元者の苦労が偲ばれます。
2016年の110分復元版、IMDbですと103分になってますね。ビデオ変換の加減でしょうか。
私は「モンスター・メイカーズ」冒頭を読み直しました。良き協力者を得られなかったウィリス・オブライエンの不幸とかよく書いてますけど、放浪癖や家出癖のあった男に、映画のチームプレイやパートナー作りは無理があったということでしょうか。そのうえ秘密主義。
メリアン・クーパーたちは、よく我慢して付き合ったんじゃないでしょうか。
歳とって少し丸くなり、戦後ハリーハウゼンに技を教えた頃には自身の腕が落ちていたと。悲しいです。
モデルアニメ映画でなくても、『ポンペイ最後の日』みたいな特撮もやれるんだから、そっちで頑張れば良かったのにと思うけれど。ノンクレジットでマット画を描いた一般映画もあるようで、苦労してたんですね。
ノンクレジット作品を入れても作品数が少なすぎるので、驚きました。
| J・KOYAMA | 2019/11/05 10:22 AM |
こんばんは。
書き込めなかった理由がNGワードなのかどうか、よく判らないのです。
それほど長文でもないあっさりした感想文で、文中に性的な単語があるわけでもなく、外部サイトのURLを貼ったわけでもなく……
時間を置いたり、日を改めて書き込もうとしてもダメでした。

オブライエン晩年の作品で、私は「巨獣ビヒモス」が好きですね。
同じく低予算ながら傑作とされる「黒い蠍」に対し、一般に失敗作とされるビヒモスですが、旧日本版シネフェックスのオブライエン特集によるとエフェクト全体の予算は2万ドル程度ということで、それであれだけの映像を作っているのですから(どちらの作品も実際の作業を行ったのはピート・ピーターソンのようですが)。

仕事による疲労が酷く、少し日にちが空くかもしれませんが、また前回のコメントの続き(アメリカ奇術師協会の会合の件)など書かせていただきたいと思います。
興味を持っていただけるかどうか分かりませんが……
| esme | 2019/11/05 10:20 PM |
こんにちは。
esme様が『巨獣ビヒモス』のタイトルを書かれていたので、私もYouTubeで久し振りに再見しました。『大海獣ビヒモス』という題で国内DVDもあるんですね。
『原子怪獣現わる』を作った翌年に我が国でゴジラを作られてしまったユージン・ローリーが、今度はゴジラや東宝特撮から受けた影響を素直に反映させているのが分かって面白いです。送電鉄塔でバリバリッや、燃える街の夜景、ヘリコプターもラドンのと一緒だし。
特撮予算は少なかったそうですが、悪くないです。
放射能を浴びた怪獣の設定は前作通りですが、今度は逃げる人々が放射線で焼けケロイド状になる強烈さ。ビヒモスの表皮にもケロイド状のモールドがありますね。
それにしても、フランス出身で有名美術監督だったローリーが怪獣映画に手を染めたっていうのが面白いです。初監督作『原子怪獣』直前の美術担当作が名作『河』『ライムライト』ですから、みんな驚いたでしょう。
ハリーハウゼンやオブライエンのモデルアニメは時間がかかってイカンと思ったのでしょうね、怪獣三部作の最後『ゴルゴ』は日本式着ぐるみでした。
オブライエンと同じ1962年、少し先に癌で亡くなったピーターソンってもっと若いと思っていたのですが、60歳近い年齢だったのですね。
アメリカに帰化したデンマーク人らしいですが、オブライエン組になる前は何してたんでしょう?

奇術師協会での話、暇ができた時にでもコメント頂ければ幸いです。
| J・KOYAMA | 2019/11/08 10:09 AM |
こんばんは。
奇術師協会の件、用意した文がまたしても書き込めませんので、発見した記事のみ貼らせて頂きます。

会合翌日のニューヨーク・タイムズの記事。
https://www.arthur-conan-doyle.com/index.php?title=Dinosaurs_Cavort_in_Film_for_Doyle
その更に翌日の記事。
https://www.arthur-conan-doyle.com/index.php?title=His_Dinosaur_Film_a_Hoax,_says_Doyle
| esme | 2019/11/10 9:33 PM |
こちらは書き込めました。
意外に当時の情報が伝わる速度は速いですね。
記事の描写から考えると、上映されたフィルムは、あのアウトテイク映像の一部かも?

注文していたドーリーのDVD(ダイナソー・ミュージアム)と英語版シネフェックス138号(2014)が届きました。
オブライエンvsドーリーと題した記事、短いコラムかもしれないと思っていましたが、巻頭14ページを割いた堂々とした内容でした。
おそらくツェルカスによるドーリー再発見に関し初めて発表された記事だと思いますが、どうやら日本版シネフェックスでは(私の調べた限りでは)この記事のみ(同号の他の記事は全て翻訳されているのに)完全に無視されてしまったようです。
| esme | 2019/11/10 9:57 PM |
おはようございます。
DVDに加え、洋書のシネフェックスまで入手されたのですね。凄いです!
日本版シネフェックスがまだ発行されていたのも私は知りませんでした(割と特撮書籍が充実しているジュンク堂でも見かけません)が、やはり完訳でなく日本人向けに新作中心の抄訳なのか。

奇術師協会のエピソード、語学力不足で理解できぬところ多数ですが、ドイル卿は映写機まで持ち込んで恐竜フィルムを上映し、「記録映画なの?」とフーディーニら会員を驚嘆させたかったのは分かります。
『ロスト・ワールド』全米公開は1925年6月、奇術師協会の件は22年6月なので、上映されたのはテストフィルムと思われます。フーディーニは映画を観たでしょうが、公開翌年に急性盲腸で亡くなりました。
ドーリーと決別、マーセル・デルガドをスカウト、テストフィルム製作、ドーリーの訴訟対応と雌伏期のオブライエンは実に忙しいですね。
『スランバーマウンテン』でドーリーが出した予算は3万ドルで、10万ドルの利益があったようです。
ドーリーの訴訟劇は実際にあった事でしょうが、オブライエンに嫉妬してという従来の説は本当なのか。
金属パーツやゴムをモデルのアマーチュアや肉付けに使うようになった件、自動車メーカーにいて素材に詳しいであろうドーリーの示唆がなかったか。
続報コメントをお待ちします。
| J・KOYAMA | 2019/11/12 9:55 AM |
こんばんは。
英語は苦手なので、シネフェックスの記事に関する報告は大分先になると思います(なんとか頑張って読んでみるつもりです。実は、出勤日数が多いのに睡眠時間が少なすぎて、体調を崩し気味でして……)。
記事はツェルカスが執筆しています。
アーマチュアを組み立てるドーリーの写真など掲載されています。

日本版シネフェックスについて補足しますと、かつてバンダイから発行されていた旧日本版とは違い、新日本版は2006年から株式会社ボーンデジタルから発行されていました。
ところが、一昨年末発行の47号を最後に再び休刊となってしまいました。
最終号には次号予告や定期購読の募集記事も載っていますので、休刊が決まったのは突然のことだったようです。
各記事は完訳と思われますが、、英語版とは(一部記事が前後の号に割り振られるなど)若干編集が異なります。
ほとんどの記事が翻訳(訳文が少しぎこちないものの)されているはずですが、ドーリーの記事はマニアックすぎると判断されたものか、日本版では無視されてしまったようです(全ての号を確認したわけではありませんが)。
特撮の歴史を塗りる替えほどの重要な資料なのに残念です。
| esme | 2019/11/12 10:34 PM |
こんにちは。
シネフェックス、なんと47号まで出てたんですね。私は書店でも古書店でも見かけず、まったく困ったものです。
ドーリーって(私がネット記事を読んだ限り)人となりはともかく、映画を作るまでの経歴を知らないと評価がガラリと変わるタイプですね。
「モンスター・メイカーズ」など従来の記述だと、オブライエンの技術に目を付けた山師的映画業者としか思えません。
『スランバーマウンテン』の製作費、3万ドルと書いたものとウィキのように3千ドルのものとあるようです。3千ドルで10万稼げば、『カメラを止めるな』的な大儲け。どっちが本当なのでしょう。

オブライエンが『キング・コング』で成功した後、奥さんが2人の子供を射殺し自分も自殺を図った話。死に切れず延命し1934年に亡くなった後、オブライエンがすぐ再婚してるのに嫌な印象を持ってましたが。
今回調べると、2人は1930年に離婚してたんですね。子供は奥さんが引き取っていたんでしょうか。

仕事がお忙しい様子。寒波も来るようです、御自愛下さい。

| J・KOYAMA | 2019/11/14 2:58 PM |
ありがとうございます。
『スランバーマウンテン』の製作費の件ですが、今回購入したシネフェックス138号には、3千ドルの製作費に対し総収益は10万ドル以上と書かれています。
旧シネフェックス日本版のオブライエン特集やオーヴィル・ゴールドナー&ジョージ・E・ターナー著『THE MAKING OF KING KONG』(1976)でもそうなっているので、製作費3千ドルで間違いないでしょう。
| esme | 2019/11/16 12:27 AM |
おはようございます。
3千ドルが正解ですか、ならドーリーは大儲けでしたね。
バンダイのシネフェックスは、当時ブレランとSW特集しか買わず、コングの載った11号?は立ち読みの記憶があるも、その後 古書店でも出会ってません。
でもesme様がひもとかれた洋書「MAKING OF KING KONG」は昔、古書で買った記憶があり、今朝から探したところ見つかりました。すいません、写真を眺めただけで読んでませんでした。
巻末に写真がある、着ぐるみとマリオネットのパロディ短編『The Lost Island』って特撮ファンはそそられますね。

私は時々アマーチュアと記してしまって恥ずかしい、モデルの骨組みアーマチュアですが。
自動車業界的には、アーマチュアは「クレイモデルのベースとなる構造体」だそうです。車輪付きアルミ製フレーム構造に、スチレンまたはエポキシなど発泡樹脂を貼り付けていったもの、原型。
初期には木製フレームも使われたそうです。日本での名称は中子(なかご)。
初期のモデルは粘土、それが金属骨組みにゴム製の肉(ロストワールド コング)に進化する経緯は自動車のメイキングに似てますね。ハリーハウゼンの初期モデルのアーマチュアは木製だったそうです。
動きに関しては置くとして、この辺りの発想は自動車屋のドーリーならではと考えても無理は無いように感じます。オブライエンに無断で申請したというモデルアニメの特許も、アーマチュア関連だけで留めておけば良かったのか?
| J・KOYAMA | 2019/11/16 9:59 AM |
こんばんは。
アーマチュアの解説、勉強になります。
うーん、この件でドーリーが取得した特許はアーマチュアに関するものだけだったと思うのですが?
(自動車関連等、別の分野で取得した特許は別にして)
https://patents.google.com/patent/US1347993A/en
ツェルカスが発掘した「ドーリー側から見た事実」に関しては、日本語の資料が皆無なのでいま一つはっきりしないのですが……

ドーリーが映画製作のため、アシスタントとしてオブライエンを雇用。
オブライエンの名は「撮影及びメカニカルエフェクツ」としてクレジット。
(これまでの定説では、最初からオブライエンのクレジット抜きで公開、とされていた)
1918年11月、ニューヨークのストランド劇場で行われた『スランバーマウンテン』初演は大成功を収めた。
ところが、ドーリーが軍務のため不在中、オブライエンが配布したプログラムでは、ドーリーの名は削除され、オブライエンがメインクリエイターとされていた。
しかも、オブライエンは『スランバーマウンテン』製作中、ドーリーに相談無くロサッカー映画製作会社と契約を交わしていた。
(定説では、契約締結は映画完成の2〜3か月後)
憤慨したドーリーは、映画のクレジットからオブライエンの名を削除。
その後、アーマチュアの特許を取得……

こんな流れで合っているでしょうか?
ロサッカーとの契約が成されたのが映画製作中という事が事実としたら、「元々野心を持ったオブライエンに対し、接近してきたロサッカーが何か唆したというか、けしかけたのでは?」などと想像してしまいますが、まだシネフェックス138号の本文を読んでいませんので、軽々に判断はできません。
シネフェックスのオブライエン特集によると、ドーリーが映画の「準備を整えるまで」、オブライエンには毎日20ドル金貨が支給されたそうで、ドーリーにしてみればそれだけオブライエンを買っていた(悪い言い方をすれば、利用価値があると見ていた)だけに、裏切られたという気持ちが強かったのでしょうが、やはり対応が大人げない。
海外サイトで「どちらが善でどちらが悪、といった黒白の問題ではない」という表現がされていた記憶がありますが、それが客観的な見方だと思います。
新事実の発見により、オブライエンの功績に疵が付くことがあってはなりませんが、同時にドーリーの名誉が回復される必要もあると考えます。
| esme | 2019/11/18 11:08 PM |
ドーリーの山師的印象というのはジャパン・ミックスから『ジュラシックな恐竜とスピルバーグな野郎ども』という邦題で翻訳が出ている本の影響が大きいのではないでしょうか。
その本でジェームズ・ヴァン・ハイスが担当した章では、「言いふらし」「嘘」「才能に対する妬みやそねみ」「脅迫」といった過激な言葉を多用し、ドーリーをが罵っています。
おそらく一次資料はシネフェックスのオブライエン特集のみと思われますが、ハイスの表現は明らかにそれを主観で増幅・歪曲し、解釈を暴走させています。
シネフェックスのオブライエン特集は、未亡人等、彼に近かった人達から取材した、言わば「オブライエン側から見た事実」ですが、それでもドーリーとの確執に関しては抑制的な表現となっているのにです。
シネフェックス138号の内容を紹介するブログでは、かつてオブライエン特集を執筆したドン・シェイ自身が反省も込めて解説しています。
ジム・ダンフォースやフィル・ティペットのコメントもありますね。
https://cinefex.com/blog/tag/herbert-m-dawley/
ジェームズ・ヴァン・ハイスという人の文章、ドーリー関連以外の箇所でも全体に主観が暴走気味で、割り引いて読む必要があります。
伝言ゲームで情報が大きく化けるきっかけとなる人に近いかもしれません。

しかし、教えていただいた『Fifty Million Years Ago』は、奇しくも『ロスト・ワールド』と同じ1925年公開でしたが(いや、ロスト・ワールドの政策は何年も前から報じられていたので、あるいは意識していた?)、この頃この種の映像が出てくる機運が高まっていたのでしょうか。
ヴァージニア・メイという人も謎が多い人です。
youtu.be/mzPD3zqppEM
『キートンの恋愛三代記』の原始時代のシーンでキートンが移動手段として乗るブロントサウルスの短いフッテージも彼女が担当しているそうですが、日本で発売されているDVDは短縮版のため、その箇所はカットされていると聞きました(未確認)。
セルアニメでは、ウインザー・マッケイの『Dreams of the Rarebit Fiend: THE PET』 (1921)がありますが、これなど巨大怪獣による都市破壊が描かれるなど、後の『ロスト・ワールド』『キング・コング』『ゴジラ』の超先駆けですね。
| esme | 2019/11/19 12:45 AM |
おはようございます。
ドーリーの出願したアーマチュアの特許申請図面が見られ、興奮しました。車関係のほか舞台用の投影装置も考案してるんですね。
私は、ドーリーがモデルアニメ撮影テクニック自体も特許出願したと考えたのですが、一次資料に当たってから語るべきでした。
Major ドーリーとよく書かれているので、第一次大戦に出征した時期があると思っていましたが、終戦後でしたか。出資した映画公開時に不在だった件が、確執を産み袂を分かつ決定的要因になったようで残念です。

『ジュラシックな恐竜と…』、あの大ヒット映画の余波で翻訳された研究本でしょうか。デヴィッド・アレンも共同執筆しているんですね。これも探したいです。

『ロスト・ワールド』公開の1925年は、オブライエンが大きな成功を収めたのと同時に、最初の結婚をした年。
ドーリーの映画制作は、この年で途切れたようです。
『コング』公開の1933年は、オブライエンがさらなる成功を得るも、不幸も舞い込んだ年。
ニューヨーク自然史博物館館長で、有名恐竜の名付けをし化石の発掘展示に貢献したヘンリー・オズボーンも退任した年です。

女流モデルアニメーターが、1920年代にいたんですね!チャップリンに続くキートン映画リバイバルで、『恋愛三代記』はけっこう早く観た記憶があります。
ヴァージニア・メイ、IMDbにはスカルプトレスと書かれてました。

いろいろ勉強になります、続報をお待ちしています。
| J・KOYAMA | 2019/11/19 11:05 AM |
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