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幻のモデルアニメ映画 Along the Moonbeam Trail〔1〕

esme様からご教示いただき、YouTubeで失われたと思われていたモデルアニメ特撮短編映画 Along the Moonbeam Trail(月光跡に沿って 1920 アメリカ サイレント、音楽入り)を観た。
映画評論家レオナルド・マルティンのテキストによれば、各地に残る断片を寄せ集めたそうだが、完全版は無理で尻切れとはいえ復元の苦労が偲ばれる。

監督は、これが処女作のハーバート・M・ドーリー(1880〜1970)。
不思議な人物で、IMDbによれば彼の死亡記事での経歴は、映画製作者や監督やモデルアニメーターや彫刻家といった特撮オタクが知っているようなキャリアに重きは置かれず。
ニューヨークにあったピアスアロー自動車会社の、チーフカーデザイナーとしてであった。
特にヘッドライトをフェンダー(前輪タイヤ上のカバーパーツ)と一体化させた有名なスタイルは、ドーリーのアイデア(特許取得とか)という。
この車を収蔵するトヨタ博物館の解説文だと、ピアスアローはパッカード ピアレスと合わせて “スリーP” といわれたアメリ力の超高級車。その品質や格式の高さは、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあったという。パワーブレーキ、油圧タペット、アルミを使用した軽量ボディなど技術的にもすぐれていた。
ドーリーは1912年にピアスアロー自動車に入社し、会社が倒産する1938年(恐慌後、安価な大衆車しか売れない時代になったからか)まで、ほとんど全ての車種のデザインに関わる。
アニメ関係では本作のあと、1922年にニューヨークでハーバート・M・ドーリー映画会社を設立。影絵アニメ映画(美女と野獣 眠れる森の美女 アラジンと魔法のランプ ジャックと豆の木なども題材にしている)を作り、自らアニメーターとして活躍する。ピアスアロー、副業OKだったの?
思いっきり手間のかかるアニメ仕事は、助手(トニー・サーグという人形師が協力)を使ってもカーデザイナーと両立可能と思えないが…1925年以降の作品がないので、やはり無理が来て この分野から完全撤退したのだろうか?この件は最後にもう一度考えたい。
ピアスアロー社倒産後は、モデルアニメよりも自ら演じたい欲求が高まったか。1936年から始まり21年も続いたという連続ラジオドラマ「ギャングバスター」や1937年から20年も続いたソープラジオドラマ「ヒルトップハウス」に出演。
さらにニュー・ジャージー州の劇場 チャタムプレイハウス創設者の1人にもなっていて、52年間に115の芝居(ミュージカル、コメディ、一般ドラマと手広い)を演出したという。
カーデザイナー、映画製作者とアニメーター、ラジオ声優、演出家は時期がダブってる(ピアスアロー在籍は1907〜16、舞台演出と映画会社は1922〜で、ダブってないという資料も)…家は裕福で家族もあったようだが、多才な人って動けるもんだねぇ。

Along the… のストーリー。
「ロミオとジュリエット」の一節の引用から始まる。
月光の妖精?(それなりにキュートな女の子、役者不明)が森に降り立ち、キャンプしていたボーイスカウト風のおじさん(監督のドーリーが演じた)と2人の少年(ドーリーの息子たちが出演と書いた資料もあるが、苗字はデイになっている。後述する The Ghost of Slumber Mountain にも出演)が遭遇する。
妖精が用意した魔法の複葉機に乗り、3人は月に飛び立つ。タバコをふかす半月の周りを旋回するうち、月光の妖精たちのダンスを見たり、ホウキの魔女とすれ違う。天界の軍神は、複葉機と魔女がぶつからぬよう交通整理してくれた。
そこへ突如、舌をチロチロさせる巨大コウモリ翼竜が追ってきた。慌ててキリモミ降下で着陸し、洞窟に隠れる3人。先史時代の恐竜ステゴサウルス(やはり舌をチロチロ)が現れ、洞窟から観察。ステゴが去った後には、トラコドンとティラノサウルスの激闘が。終わった頃、妖精が迎えに来て…。

これが、現在知られている限り最初の、 同一ショットにおいてリアルなストップモーションアニメの恐竜と俳優を合成(二重露光か、黒マスクして撮影した恐竜アニメフィルムに人物を再撮影か、分からない)した映画だという。
洞窟内の3人が見られるように現れたり、戦ったりする恐竜。画面左の闇に3人、右で戦っている恐竜という構図である。
前半の特撮も興味深い。月は特殊メイクした俳優(役者不明、メリエスの『月世界旅行』オマージュだろう)。月を飛ぶシルエットの小さな複葉機は、たぶん手描きアニメ。魔女は、操演とモデルアニメ。コウモリ翼竜はモデルアニメだが、左右に飛ぶところは写真をガラスに貼り付け引っ張ってるようだ。

この10分ほどの特撮短編映画は、『キング・コング』の高名な特撮マンでモデルアニメーターのウィリス・H・オブライエン(1886〜1962)の初期作品 The Ghost of Slumber Mountain(眠り山の幽霊 1918、ドーリーが製作し出演も。オブライエンまで出演)のフッテージから流用された恐竜の映像を使ったと言われてきた。
ウィキにも書いてあるし、IMDbで監督はオブライエンとドーリー連名になっている。だが発見・復元された現物を観ると、まったく別のオリジナル作品と分かった。

「カートゥーン100年史を完全解説する試みウィキ」、STUDIO28「モンスターメイカーズ」によると。
ニュー・ジャージーの金持ちで、上記のようなキャリア。彫刻家(自分で5メートルもある恐竜像を作り写真撮影していた。彫刻の才能は、車のクレイモデル作りでも生かされたのでは)でもあり、自ら恐竜モデルアニメ映画も作ろうとしたが過去に失敗していたドーリー。
モデルアニメ映画を自主制作し、エジソン社に見せて評価され入社するも、金銭面の問題で辞めた時期のオブライエン。
たまたまオブライエンの映画を観て感心したドーリーは彼を雇い、The Ghost …という恐竜アニメ映画を作らせる。
完成し興行も成功したThe Ghost… 。製作者ドーリーは配収のみならず芸術的・技術的な貢献(モデルの骨組みであるアーマチュアの技術を、オブライエンに盗まれたと告訴)も我が物にしようとしたが、頭角を現わしつつあったオブライエンの功績は明らかであり、沈黙する。
この従来伝えられていた定説に対し「パートナーのドーリーに詐取されようとしたオブライエン、ドーリーは悪者として一貫し伝えられた。だが、古生物学者で1978年に映画『恐竜の惑星』を製作したこともあるスティーヴン・A・ツェルカス(2015年に68歳で死去)は、奥様が纏めたDVD付きの遺著で、歴史を書き直した」とマルティンは書く。
ツェルカスはオブライエンとドーリーの確執を研究するのに年月を費やし、ドーリー=悪人 オブライエン=犠牲者であったという長い間の定説を覆す証拠を発掘したのだ。

ただまぁ、それが分かっても。
恐竜モデルアニメーターに限って言えば、技量の差は歴然で。ドーリーが1925年以降アニメから手を引いたのは、同年に公開されたオブライエンの長編傑作『ロスト・ワールド』を観たからじゃないか?
しかし…長期的に見ればだが、財力があって しっかりした正業もある多才な人物に、絶頂期はあったがモデルアニメ一代男は敵わなかった。
もしオブライエンが、困っていた時期に自分を雇ってくれたドーリーの要求を受け入れ、黒子的な役割だが作品を作らせてもらうパトロン・協力関係が続けば。歴史が変わり、晩年に困窮する事もなかったのでは…あくまでIFの世界ですが、そんな事も考えてしまいました。
1962年秋、参加した久々のメジャー大作喜劇映画『おかしなおかしなおかしな世界』非常階段シーンのモデルアニメ準備中に心臓発作で急逝した年下のオブライエンの訃報をドーリーは読んだと思うが、何を思ったろうか。

さて、初めて観た Along the …ですが。特撮オタクの私には、グッとくる収穫があったのです。

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コメント
すみません。
なにかNGワードに触れたのか、予定していたコメントが書き込めませんでしたので、またあらためてお邪魔します。
| esme | 2019/10/28 12:43 AM |
予定のコメントが書き込めなかったので、別の件を……
ロスト・ワールドのアウトテイク映像ですが、イメージ・エンターテインメントから2001年にリリースされた93分バージョンのDVD及び一昨年フリッカー・アレイからリリースされた110分バージョンのBDに特典映像として収録されていました。
両者では映像の順序など編集が異なり、Youtubeにあがっていたのは後者の映像のようです。
前者のバージョンには音楽が付いておらず、初めて観た時はむしろ無音なだけに息をのむような生々しさを感じました。
そこで思い出されるのは、1922年6月2日にアメリカ奇術師協会の会合でコナン・ドイルが上映したフィルムの一件です。(続く)
しかしメトロポリスと並んでより完全版に近い復元が待たれるロスト・ワールド、フリッカー・アレイのBDリリースは特撮マニアにとって快挙だったはずですが、日本ではStereo Sound ONLINE での堀切日出晴氏による発売告知があったくらいで、ほとんど話題になりませんでした。
| esme | 2019/11/03 8:36 PM |
コメントありがとうございます。
ロリポブログにNGワードがあるとは知りませんでした、esme様を何か怒らせてしまったのかなと考えておりましたが、そうでもない様子なのでひと安心。今後ともよろしくお願いします。
『ロスト・ワールド』、私は全編通しては廉価版DVD(たぶん64分版)でしか観てないのですが、いろんなバージョンがあるんですね。復元者の苦労が偲ばれます。
2016年の110分復元版、IMDbですと103分になってますね。ビデオ変換の加減でしょうか。
私は「モンスター・メイカーズ」冒頭を読み直しました。良き協力者を得られなかったウィリス・オブライエンの不幸とかよく書いてますけど、放浪癖や家出癖のあった男に、映画のチームプレイやパートナー作りは無理があったということでしょうか。そのうえ秘密主義。
メリアン・クーパーたちは、よく我慢して付き合ったんじゃないでしょうか。
歳とって少し丸くなり、戦後ハリーハウゼンに技を教えた頃には自身の腕が落ちていたと。悲しいです。
モデルアニメ映画でなくても、『ポンペイ最後の日』みたいな特撮もやれるんだから、そっちで頑張れば良かったのにと思うけれど。ノンクレジットでマット画を描いた一般映画もあるようで、苦労してたんですね。
ノンクレジット作品を入れても作品数が少なすぎるので、驚きました。
| J・KOYAMA | 2019/11/05 10:22 AM |
こんばんは。
書き込めなかった理由がNGワードなのかどうか、よく判らないのです。
それほど長文でもないあっさりした感想文で、文中に性的な単語があるわけでもなく、外部サイトのURLを貼ったわけでもなく……
時間を置いたり、日を改めて書き込もうとしてもダメでした。

オブライエン晩年の作品で、私は「巨獣ビヒモス」が好きですね。
同じく低予算ながら傑作とされる「黒い蠍」に対し、一般に失敗作とされるビヒモスですが、旧日本版シネフェックスのオブライエン特集によるとエフェクト全体の予算は2万ドル程度ということで、それであれだけの映像を作っているのですから(どちらの作品も実際の作業を行ったのはピート・ピーターソンのようですが)。

仕事による疲労が酷く、少し日にちが空くかもしれませんが、また前回のコメントの続き(アメリカ奇術師協会の会合の件)など書かせていただきたいと思います。
興味を持っていただけるかどうか分かりませんが……
| esme | 2019/11/05 10:20 PM |
こんにちは。
esme様が『巨獣ビヒモス』のタイトルを書かれていたので、私もYouTubeで久し振りに再見しました。『大海獣ビヒモス』という題で国内DVDもあるんですね。
『原子怪獣現わる』を作った翌年に我が国でゴジラを作られてしまったユージン・ローリーが、今度はゴジラや東宝特撮から受けた影響を素直に反映させているのが分かって面白いです。送電鉄塔でバリバリッや、燃える街の夜景、ヘリコプターもラドンのと一緒だし。
特撮予算は少なかったそうですが、悪くないです。
放射能を浴びた怪獣の設定は前作通りですが、今度は逃げる人々が放射線で焼けケロイド状になる強烈さ。ビヒモスの表皮にもケロイド状のモールドがありますね。
それにしても、フランス出身で有名美術監督だったローリーが怪獣映画に手を染めたっていうのが面白いです。初監督作『原子怪獣』直前の美術担当作が名作『河』『ライムライト』ですから、みんな驚いたでしょう。
ハリーハウゼンやオブライエンのモデルアニメは時間がかかってイカンと思ったのでしょうね、怪獣三部作の最後『ゴルゴ』は日本式着ぐるみでした。
オブライエンと同じ1962年、少し先に癌で亡くなったピーターソンってもっと若いと思っていたのですが、60歳近い年齢だったのですね。
アメリカに帰化したデンマーク人らしいですが、オブライエン組になる前は何してたんでしょう?

奇術師協会での話、暇ができた時にでもコメント頂ければ幸いです。
| J・KOYAMA | 2019/11/08 10:09 AM |
こんばんは。
奇術師協会の件、用意した文がまたしても書き込めませんので、発見した記事のみ貼らせて頂きます。

会合翌日のニューヨーク・タイムズの記事。
https://www.arthur-conan-doyle.com/index.php?title=Dinosaurs_Cavort_in_Film_for_Doyle
その更に翌日の記事。
https://www.arthur-conan-doyle.com/index.php?title=His_Dinosaur_Film_a_Hoax,_says_Doyle
| esme | 2019/11/10 9:33 PM |
こちらは書き込めました。
意外に当時の情報が伝わる速度は速いですね。
記事の描写から考えると、上映されたフィルムは、あのアウトテイク映像の一部かも?

注文していたドーリーのDVD(ダイナソー・ミュージアム)と英語版シネフェックス138号(2014)が届きました。
オブライエンvsドーリーと題した記事、短いコラムかもしれないと思っていましたが、巻頭14ページを割いた堂々とした内容でした。
おそらくツェルカスによるドーリー再発見に関し初めて発表された記事だと思いますが、どうやら日本版シネフェックスでは(私の調べた限りでは)この記事のみ(同号の他の記事は全て翻訳されているのに)完全に無視されてしまったようです。
| esme | 2019/11/10 9:57 PM |
おはようございます。
DVDに加え、洋書のシネフェックスまで入手されたのですね。凄いです!
日本版シネフェックスがまだ発行されていたのも私は知りませんでした(割と特撮書籍が充実しているジュンク堂でも見かけません)が、やはり完訳でなく日本人向けに新作中心の抄訳なのか。

奇術師協会のエピソード、語学力不足で理解できぬところ多数ですが、ドイル卿は映写機まで持ち込んで恐竜フィルムを上映し、「記録映画なの?」とフーディーニら会員を驚嘆させたかったのは分かります。
『ロスト・ワールド』全米公開は1925年6月、奇術師協会の件は22年6月なので、上映されたのはテストフィルムと思われます。フーディーニは映画を観たでしょうが、公開翌年に急性盲腸で亡くなりました。
ドーリーと決別、マーセル・デルガドをスカウト、テストフィルム製作、ドーリーの訴訟対応と雌伏期のオブライエンは実に忙しいですね。
『スランバーマウンテン』でドーリーが出した予算は3万ドルで、10万ドルの利益があったようです。
ドーリーの訴訟劇は実際にあった事でしょうが、オブライエンに嫉妬してという従来の説は本当なのか。
金属パーツやゴムをモデルのアマーチュアや肉付けに使うようになった件、自動車メーカーにいて素材に詳しいであろうドーリーの示唆がなかったか。
続報コメントをお待ちします。
| J・KOYAMA | 2019/11/12 9:55 AM |
こんばんは。
英語は苦手なので、シネフェックスの記事に関する報告は大分先になると思います(なんとか頑張って読んでみるつもりです。実は、出勤日数が多いのに睡眠時間が少なすぎて、体調を崩し気味でして……)。
記事はツェルカスが執筆しています。
アーマチュアを組み立てるドーリーの写真など掲載されています。

日本版シネフェックスについて補足しますと、かつてバンダイから発行されていた旧日本版とは違い、新日本版は2006年から株式会社ボーンデジタルから発行されていました。
ところが、一昨年末発行の47号を最後に再び休刊となってしまいました。
最終号には次号予告や定期購読の募集記事も載っていますので、休刊が決まったのは突然のことだったようです。
各記事は完訳と思われますが、、英語版とは(一部記事が前後の号に割り振られるなど)若干編集が異なります。
ほとんどの記事が翻訳(訳文が少しぎこちないものの)されているはずですが、ドーリーの記事はマニアックすぎると判断されたものか、日本版では無視されてしまったようです(全ての号を確認したわけではありませんが)。
特撮の歴史を塗りる替えほどの重要な資料なのに残念です。
| esme | 2019/11/12 10:34 PM |
こんにちは。
シネフェックス、なんと47号まで出てたんですね。私は書店でも古書店でも見かけず、まったく困ったものです。
ドーリーって(私がネット記事を読んだ限り)人となりはともかく、映画を作るまでの経歴を知らないと評価がガラリと変わるタイプですね。
「モンスター・メイカーズ」など従来の記述だと、オブライエンの技術に目を付けた山師的映画業者としか思えません。
『スランバーマウンテン』の製作費、3万ドルと書いたものとウィキのように3千ドルのものとあるようです。3千ドルで10万稼げば、『カメラを止めるな』的な大儲け。どっちが本当なのでしょう。

オブライエンが『キング・コング』で成功した後、奥さんが2人の子供を射殺し自分も自殺を図った話。死に切れず延命し1934年に亡くなった後、オブライエンがすぐ再婚してるのに嫌な印象を持ってましたが。
今回調べると、2人は1930年に離婚してたんですね。子供は奥さんが引き取っていたんでしょうか。

仕事がお忙しい様子。寒波も来るようです、御自愛下さい。

| J・KOYAMA | 2019/11/14 2:58 PM |
ありがとうございます。
『スランバーマウンテン』の製作費の件ですが、今回購入したシネフェックス138号には、3千ドルの製作費に対し総収益は10万ドル以上と書かれています。
旧シネフェックス日本版のオブライエン特集やオーヴィル・ゴールドナー&ジョージ・E・ターナー著『THE MAKING OF KING KONG』(1976)でもそうなっているので、製作費3千ドルで間違いないでしょう。
| esme | 2019/11/16 12:27 AM |
おはようございます。
3千ドルが正解ですか、ならドーリーは大儲けでしたね。
バンダイのシネフェックスは、当時ブレランとSW特集しか買わず、コングの載った11号?は立ち読みの記憶があるも、その後 古書店でも出会ってません。
でもesme様がひもとかれた洋書「MAKING OF KING KONG」は昔、古書で買った記憶があり、今朝から探したところ見つかりました。すいません、写真を眺めただけで読んでませんでした。
巻末に写真がある、着ぐるみとマリオネットのパロディ短編『The Lost Island』って特撮ファンはそそられますね。

私は時々アマーチュアと記してしまって恥ずかしい、モデルの骨組みアーマチュアですが。
自動車業界的には、アーマチュアは「クレイモデルのベースとなる構造体」だそうです。車輪付きアルミ製フレーム構造に、スチレンまたはエポキシなど発泡樹脂を貼り付けていったもの、原型。
初期には木製フレームも使われたそうです。日本での名称は中子(なかご)。
初期のモデルは粘土、それが金属骨組みにゴム製の肉(ロストワールド コング)に進化する経緯は自動車のメイキングに似てますね。ハリーハウゼンの初期モデルのアーマチュアは木製だったそうです。
動きに関しては置くとして、この辺りの発想は自動車屋のドーリーならではと考えても無理は無いように感じます。オブライエンに無断で申請したというモデルアニメの特許も、アーマチュア関連だけで留めておけば良かったのか?
| J・KOYAMA | 2019/11/16 9:59 AM |
こんばんは。
アーマチュアの解説、勉強になります。
うーん、この件でドーリーが取得した特許はアーマチュアに関するものだけだったと思うのですが?
(自動車関連等、別の分野で取得した特許は別にして)
https://patents.google.com/patent/US1347993A/en
ツェルカスが発掘した「ドーリー側から見た事実」に関しては、日本語の資料が皆無なのでいま一つはっきりしないのですが……

ドーリーが映画製作のため、アシスタントとしてオブライエンを雇用。
オブライエンの名は「撮影及びメカニカルエフェクツ」としてクレジット。
(これまでの定説では、最初からオブライエンのクレジット抜きで公開、とされていた)
1918年11月、ニューヨークのストランド劇場で行われた『スランバーマウンテン』初演は大成功を収めた。
ところが、ドーリーが軍務のため不在中、オブライエンが配布したプログラムでは、ドーリーの名は削除され、オブライエンがメインクリエイターとされていた。
しかも、オブライエンは『スランバーマウンテン』製作中、ドーリーに相談無くロサッカー映画製作会社と契約を交わしていた。
(定説では、契約締結は映画完成の2〜3か月後)
憤慨したドーリーは、映画のクレジットからオブライエンの名を削除。
その後、アーマチュアの特許を取得……

こんな流れで合っているでしょうか?
ロサッカーとの契約が成されたのが映画製作中という事が事実としたら、「元々野心を持ったオブライエンに対し、接近してきたロサッカーが何か唆したというか、けしかけたのでは?」などと想像してしまいますが、まだシネフェックス138号の本文を読んでいませんので、軽々に判断はできません。
シネフェックスのオブライエン特集によると、ドーリーが映画の「準備を整えるまで」、オブライエンには毎日20ドル金貨が支給されたそうで、ドーリーにしてみればそれだけオブライエンを買っていた(悪い言い方をすれば、利用価値があると見ていた)だけに、裏切られたという気持ちが強かったのでしょうが、やはり対応が大人げない。
海外サイトで「どちらが善でどちらが悪、といった黒白の問題ではない」という表現がされていた記憶がありますが、それが客観的な見方だと思います。
新事実の発見により、オブライエンの功績に疵が付くことがあってはなりませんが、同時にドーリーの名誉が回復される必要もあると考えます。
| esme | 2019/11/18 11:08 PM |
ドーリーの山師的印象というのはジャパン・ミックスから『ジュラシックな恐竜とスピルバーグな野郎ども』という邦題で翻訳が出ている本の影響が大きいのではないでしょうか。
その本でジェームズ・ヴァン・ハイスが担当した章では、「言いふらし」「嘘」「才能に対する妬みやそねみ」「脅迫」といった過激な言葉を多用し、ドーリーをが罵っています。
おそらく一次資料はシネフェックスのオブライエン特集のみと思われますが、ハイスの表現は明らかにそれを主観で増幅・歪曲し、解釈を暴走させています。
シネフェックスのオブライエン特集は、未亡人等、彼に近かった人達から取材した、言わば「オブライエン側から見た事実」ですが、それでもドーリーとの確執に関しては抑制的な表現となっているのにです。
シネフェックス138号の内容を紹介するブログでは、かつてオブライエン特集を執筆したドン・シェイ自身が反省も込めて解説しています。
ジム・ダンフォースやフィル・ティペットのコメントもありますね。
https://cinefex.com/blog/tag/herbert-m-dawley/
ジェームズ・ヴァン・ハイスという人の文章、ドーリー関連以外の箇所でも全体に主観が暴走気味で、割り引いて読む必要があります。
伝言ゲームで情報が大きく化けるきっかけとなる人に近いかもしれません。

しかし、教えていただいた『Fifty Million Years Ago』は、奇しくも『ロスト・ワールド』と同じ1925年公開でしたが(いや、ロスト・ワールドの政策は何年も前から報じられていたので、あるいは意識していた?)、この頃この種の映像が出てくる機運が高まっていたのでしょうか。
ヴァージニア・メイという人も謎が多い人です。
youtu.be/mzPD3zqppEM
『キートンの恋愛三代記』の原始時代のシーンでキートンが移動手段として乗るブロントサウルスの短いフッテージも彼女が担当しているそうですが、日本で発売されているDVDは短縮版のため、その箇所はカットされていると聞きました(未確認)。
セルアニメでは、ウインザー・マッケイの『Dreams of the Rarebit Fiend: THE PET』 (1921)がありますが、これなど巨大怪獣による都市破壊が描かれるなど、後の『ロスト・ワールド』『キング・コング』『ゴジラ』の超先駆けですね。
| esme | 2019/11/19 12:45 AM |
おはようございます。
ドーリーの出願したアーマチュアの特許申請図面が見られ、興奮しました。車関係のほか舞台用の投影装置も考案してるんですね。
私は、ドーリーがモデルアニメ撮影テクニック自体も特許出願したと考えたのですが、一次資料に当たってから語るべきでした。
Major ドーリーとよく書かれているので、第一次大戦に出征した時期があると思っていましたが、終戦後でしたか。出資した映画公開時に不在だった件が、確執を産み袂を分かつ決定的要因になったようで残念です。

『ジュラシックな恐竜と…』、あの大ヒット映画の余波で翻訳された研究本でしょうか。デヴィッド・アレンも共同執筆しているんですね。これも探したいです。

『ロスト・ワールド』公開の1925年は、オブライエンが大きな成功を収めたのと同時に、最初の結婚をした年。
ドーリーの映画制作は、この年で途切れたようです。
『コング』公開の1933年は、オブライエンがさらなる成功を得るも、不幸も舞い込んだ年。
ニューヨーク自然史博物館館長で、有名恐竜の名付けをし化石の発掘展示に貢献したヘンリー・オズボーンも退任した年です。

女流モデルアニメーターが、1920年代にいたんですね!チャップリンに続くキートン映画リバイバルで、『恋愛三代記』はけっこう早く観た記憶があります。
ヴァージニア・メイ、IMDbにはスカルプトレスと書かれてました。

いろいろ勉強になります、続報をお待ちしています。
| J・KOYAMA | 2019/11/19 11:05 AM |
こんにちは。
矢島信男特撮監督の死去を知ったのと同時に、吾妻ひでおが亡くなっていたのも知りまして、しんみりしつつ週末を過ごしました。

オブライエンと契約したロサッカー、『ロスト・ワールド』が成功しウハウハで、その儲けでどんな映画プロデューサー人生を送ったかと思い調べたのですが、『ロスト』以降に名を出して関わった劇映画は無いんですね。

Rothacker was a film industry executive and producer. He started working as a journalist in Chicago in association with Carl Laemmle in 1910. He became active in making films during WWI pioneering in the field of aerial photography.

Rothacker also served as VP-managing director of First National Productions, VP of Paramount Pictures and VP of Quigley Publishing Company and during WWII he served as Government censor of pictures in Los Angeles.

翻訳アプリだと、ロサッカー→ロータッカー読みになります。
この人の方が「山師的映画人」かなとも思ったのですが、実は航空写真のパイオニア。のちにユニヴァーサル映画を作る(最後は追放されますが)カール・レムリとは知り合い。映画界では『ロスト』以後にパラマウントなどの偉いさんとなって、1960年に74歳で亡くなったようです。
あり得ぬものを見せる映画興行=儲かるビジネスチャンスとする考えは、エジソンもレムリもマッケイもドーリーも一緒だったでしょう。そういう意味ではみんな山師だったんだと私は思います。
アメリカでの恐竜発掘競争と展示が一息ついた頃、『ロスト…』公開の1925年は恐竜が大衆の興味を惹きつけるギリギリのタイミングだったと思います。
1933年の『コング』は、大成功したけれど危ない賭けだったのではないでしょうか。
ティラノサウルスの最大個体スー発見と『ジュラシック・パーク』原作出版が奇しくも1990年、『ジュラシック・パーク』公開が93年。スー展示が2000年で、『3』公開が01年。
4作目『ジュラシック・ワールド』まで14年空いてますが、皮膚化石発見や中国出土の羽毛恐竜が一般に浸透し再ブームが来ているのを見逃さない。
近年のハリウッド映画成功が中国での興行成績抜きでは考えられないのまで読んでる、スピルバーグの外さない山師ぶりは凄いですね。

『ジュラシックな恐竜と…』古本はアマゾンで1200円程度、バンダイ版シネフェックスはヤフオクに1000円程度で出品されてますがオブライエン特集号は見当たりません(9月ごろに出品されてたという情報も、惜しい)。後者は、機会あれば入手したいと思っています。
| J・KOYAMA | 2019/12/02 9:08 AM |
こんばんは。
おぉ、私も先々月の21日に吾妻ひでおの訃報を知って以来、著書や資料を読み漁っていたため、シネフェックスの読み込みがさっぱり進んでいません。
↓こちらは、ファン葬に行かれた方がツイッターにあげられた画像。
ttps://pbs.twimg.com/media/EKnH16lU0AASYyx.jpg

一応、これまでに判明したことなどを…
きっかけはツェルカスが(シネフェックス138号の記事執筆から数えて)数年前ネットオークションで落札した写真から。
ライバルに競り勝つため法外な金額を支払って得たその写真は、恐竜モデルを製作中のドーリーを撮影したもの。
写真を見たツェルカスは、モデルが一般に知られるオブライエンの手法(アーマチュアの上に粘土(後にスポンジラバー)で肉付けし、表面をディテールを施した歯科用ラバーダムで覆う)とは異なる方法で製作されていることを見抜きました。
さらに、写真に写っていたのは『スランバーマウンテン』に使用されていたものとは別の「アヒル恐竜」でした。
写真から推測されるドーリーの製作法は、まず粘土の彫塑から始まり、その上からプラスターモールドでの型取り、そこから柔軟な材料による鋳造…と、この辺り英語表現を検証しないと正確なところが判りませんが。
ともかく、この製作法に加え、アーマチュアに関しても『スランバーマウンテン』で使用したものより高度に独自進化させたジョイントパペットを設計したことから、正式に特許を申請したということのようです。
また、ドーリーが1922年にニュージャージー州チャタムでコミュニティシアターを共同設立したという情報をインターネットで得たツェルカス。
亡くなるまでドーリーがディレクターを務めていたというその劇場は、驚くべきことにまだ稼働中でした。
ツェルカスは劇場の現在の社長クリス・ファーロングに連絡を取り、ドーリーの映画のキャリアに関する書類や写真があるかどうか質問。
同意を受け発見されたのは、日記、スクラップブック、そしてフィルム缶…そのフィルムの一つのリールの中から恐竜を発見!
まとまっていませんが、現在読み取った内容は、こんなところです。
| esme | 2019/12/03 10:25 PM |
こんにちは、続報ありがとうございます。
吾妻ひでお死去にも反応していただきまして…食道がん告白以降、いつか来る事とは思っていましたが、知るのも遅く残念でした。新装版「不条理日記」の痛々しいあとがきが、絶筆なのでしょうか。

『スランバーマウンテン』のモデル、私には粘土製に見えますが、アーマチュアに当たる骨組みは入っていたんですね。
恐竜モデルを作るドーリーの写真発見が端緒となって、ツェルカスは捜索を始めたんですか。私は、写真は遺族から後日提供されたんだと思っていました。

ロサッカーの件、翻訳アプリどおりに「航空写真のパイオニア」と書きましたが「航空撮影のパイオニア」が正しいです。
パラマウントの要職…VPとは部長、制作本部長クラスを指すようです…も勤めたという事ですが、『ロスト・ワールド』の2年後、1927年には空戦映画の傑作『つばさ』がパラマウントで作られてます。腕を買われて引き抜かれノンクレジットで協力し、大成功したので雇われ順調に出世したのかもしれません。

1927年というと、フランスでは超大作『ナポレオン』(特撮はメトロポリスのシュフタンも参加)が公開されてますが。
『原子怪獣』『ビヒモス』のユージン・ローリーは美術部門で早くも参加してるんですね。怪獣路線の合間、1955年に作られたオールスターのリメイク版にも技術コンサルタントで協力してるようです。
ローリーが最後の美術監督をしたのはイーストウッドの『ブロンコ・ビリー』、そのあと数本の出演作も。本当に不思議なキャリアです。

映画史は脇道にそれるほど、面白いですね。
| J・KOYAMA | 2019/12/04 4:48 PM |
こんにちは。
アマゾンでバンダイ版シネフェックスの書影なき古本が出品されてますが、単に(11)1985.11刊としか記載がありません。
オブライエン特集号に間違いないようですが、お値段は3000円。経年的に、コンディションは良くないでしょう。
esme様からコメントを頂いて以降、本の再読やネット記事含め、積極的に押さえていなかった特撮映画の知識も増えましたし、この機会に入手するべきか…考え中です。ちょっと高いような気もしますが。

| J・KOYAMA | 2019/12/07 3:37 PM |
こんばんは。
この号は紙質的に表紙にキズが付きやすいんですよね。
「日本の古本屋」で他の号なら500円からありますが。
数日以内に、こちらのコメント欄にて、その号からオブライエンの初期のアーマチュアに関する記述など引用させていただくつもりですが。
(他に、US版138号の記述より、ロサッカーによる『スランバーマウンテン』上映妨害(?)の件も含め)
| esme | 2019/12/07 10:14 PM |
こんばんは。
申し訳ありません。
「数日以内」と書きましたが、138号の読み込みが進んでいません。
オブライエンのクレジット無しでドーリーが配給を続けた『スランバーマウンテン』に対し、ロサッカーが業界紙に「『スランバーマウンテン』はオブライエンの作品である」とする内容の広告を打ち、上映を差し止めようと図った(らしい)件について書こうとしたのですが…
シネフェックス138号には実際の広告の写真(ドーリーのスクラップブックから?)が掲載されていますが、写真に添えられたキャプションを読むと先月18日にコメントさせていただいた経緯(私の読解に問題があるためか?)とは若干の食い違いがあるようでもあり、全体を読み終えた後、細部をチェックする必要がありそうです。
私の力でどこまで事実を明らかにできるかわかりませんが、もうしばらくお待ちください。
| esme | 2019/12/12 10:48 PM |
おはようございます。
バンダイ版シネフェックス11号ですが、3000円のアマゾン出品物は断念することにしました。ヤフオクや楽天では、以前に1500円以下で出品されていたそうですから。
この一冊だけは、とても欲しくなりました。市内のブックオフでも探してみよう、灯台下暗しという事もあります。

年末です、esme様の余裕のある時に続報をコメントしていただければ。
ところで…今更のように書きますが、esme様は凄い情報量と知識からプロの研究家の方とお見受けします。コメントだけで、自身のサイトのようなものは開設されておられないのでしょうか?私には分かりませんでした、もし宜しければお教えください。

私はずっと考えているんですが、一般特撮においても技量のあるオブライエンが自身の企画とモデルアニメ技術に固執し、RKOスタジオの特撮主任のようなポストに就けなかった事が不思議でなりません(コングにも参加したキャメラマン出身のヴァーノン・L・ウォーカーがその任に就くも、戦後すぐに50代で死去)。他社のジョン・P・フルトンやゴードン・ジェニングスのように、映画スタジオの企画の中でベストを尽くすタイプの技術者に方針転向して働き、恐竜再ブームの波が来た時に時間のかかるモデルアニメ特撮(手軽な着ぐるみやトカゲ恐竜の登場する映画は、オブライエンの苦闘時代にもいくつかあったのですから)の企画を出すようにできなかったのか?
バンダイ版シネフェックスに、答えがあるのでしょうか。
東宝で成功した円谷英二でも、自身が出した企画は実現せずと言いますし。多くのプロデューサーは、いち技術者が力を持つのを嫌う傾向にあるらしいです(円谷は大蛸映画のアイデアは持っていたが、ゴジラはプロデューサーの企画)。
名コンビと言われた製作者田中友幸は、監督と特技監督の2人体制が実は嫌いだったそうで。大きくなった特技課を東宝は円谷の死後、たった数か月で解体してしまいました。
| J・KOYAMA | 2019/12/13 10:50 AM |
こんばんは。
いえいえ、私はまったくの素人です。
自身のサイトも持っていなければ、ツイッターすらやっていません。
知識にもかなり偏りがありますが、興味のあるジャンルの範囲は広いかもしれません。
その辺を語り出すと長くなりますが…

オブライエンの件ですが、バンダイ版シネフェックス11によりますと、
ジョー・ヤングの財政的失敗以後オブライエンはアニメーションから少しづつ離れていったが、最前線から退くことを拒んだ。
代わりに新しいプロジェクトの売り上げに力を注いだが(何十本ものシナリオを時間をかけて書き上げ、プロデューサーの興味を引くため水彩画を使って紹介)、ストーリーの何本かは買ってもらったものの映画化されたものは一本もなかった。(要約)
…ということですが、私の感じた印象としては、やはり「芸術家肌で妥協ができなかった」「生き方が不器用だった」ということでしょうか。

ブックオフはどうですかね?
自宅の近所にも店舗がありますが、あれは新古書店ですので、希少性の有無に関わらず、発行年代の古い本を持ち込むと「お値段がつきません」と言われてしまいます。
値段がつかなくてもいいからと置いていった本は、おそらく廃棄されてしまうのでは?
映画関係に強い古書店のほうが可能性があると思います。
意外に専門店では法外な値段はつけていないものです。
これだけネットの発達した現代でも、現存する膨大な古書に関してはほんの一部にしか扱っておらず、掘り出し物に出会うには今でも古書会館等で定期的に開かれる古書即売会や百貨店で開催される古書展が有効です。
事前に目録を取り寄せ、葉書かFAXで希望の品を予約(希望者が複数の場合は抽選)すれば、当日店頭受取も発送による受取も可能です。
古書店が発行している目録もあります。
『彷書月刊』という雑誌が情報源として重宝だったのですが、10年近く前に休刊してしまいました。
『日本古書通信』は現在も発行されているようです。
古書店や即売会の目録を取り寄せたり、古書の予約購入をしているうちに、請求しなくても方々から目録が無料で届くようになります。
「幻の」と言われるような稀覯本でも、一旦印刷され市場に出回った物であれば、いつかは出逢うことができるもので、戦前の限定本や発禁本でも意外に安い価格で入手できたりしますよ。
不可能かと思えた旧い雑誌のコンプリートができてしまったりとかも。
特に古書の収集を目指すのでなければ関係のない話ですが、参考まで。

大急ぎで書いたため文章がめちゃくちゃですが、ご容赦ください。
| esme | 2019/12/15 11:42 PM |
補足です。
私、ここ10年ばかり積極的に古書収集をしておりませんので、即売会等のシステムがどこまで紙の目録からネットに移行しているか把握しておりません。
目録に関して、「東急東横店 渋谷大古本市」の物など、見るだけでも楽しく、お勧めです。
| esme | 2019/12/15 11:56 PM |
こんばんは。
とりあえず、シネフェックス・オブライエン特集より、極初期のオブライエンのアーマチュア作成に関する記述の引用を……
まず『恐竜とミッシング・リンク』について
「前回同様、すべての登場人物を関節稼働にしたのだが、テストで用いた木材と粘土での試みとは著しく異なって、今回、2度目には金属製の関節稼働式の骨格に薄手のラバーシートを被せた制作方法を取っていたので、人形の型崩れを防止することができた。」
『IN THE VILLAIN'S POWER』という2巻もののメロドラマについて
「この映画には8体の人間型モデル──それぞれ高さが約30センチで、関節をはじめ、可動部分のすべてが実際の人間と同じように動く──しか使用しなかった。この人形の手のサイズは長さ2.5センチにも満たないが、実に19個の型抜き部品で完成されたものだ。そして、それだけで16ドル50セントという法外な費用がかかった。」

一方、オブライエンと出会った頃のドーリーに関しては……
「彼はそれまで自分の手による実験を行っていたが、これらは関節稼働の恐竜を2〜3体作ってスチール写真として撮影する、という程度に留まっていた。ドーリーのモデルはオブライエンのものより相当大きく──聞くところによれば、ティラノサウルス1頭の体高は5.1メートルもあったという話だが──ずいぶん粗末なものだった。木製の骨格の上に造形用粘土で肉付けして、その皮膚は茶色に塗った布だった」
この辺りは、オブライエン寄りの視点による証言なので意図的にドーリーの技術を過小評価している可能性もあり、注意が必要ですね。
シネフェックス138号を読み進めれば、詳細が判るかもしれません。
| esme | 2019/12/18 11:43 PM |
こんにちは。
素人・プロ関係なく、esme様のこのジャンルでの知識は本物だと思います。
入手難のDVDをゲットする実行力からして、最近の私には真似できません。

私は先日、『原子怪獣』のあとユージン・ローリーが参加した『ナポレオン』をYouTubeで観てみました。IMDbに出ていた技術コンサルタントでなく、「監督サッシャ・ギトリを補佐し戦闘場面監督」と一枚看板で出ます。
スタンダードサイズの映画ですが、十分なスペクタクル。
ローリーは戦前版にも参加、フランスでは美術監督としてリスペクトされていたと思いますから扱いも大きいと思うのですが、怪獣映画のモブシーン処理を買われての起用でしょうか。

RKOは戦中から急速に経営悪化、ハワード・ヒューズに買収されるも、『ジョー・ヤング』公開の1949年は息も絶え絶えだったはずで。
この映画、戦前の『コング』大ヒットの夢を再びという「神風よ吹け」で企画が通ったのかも。
特撮がオスカー受賞なのにヒットしなかったんですか、オブライエンもつくづく不幸でした。
でも騎兵隊3部作など好調なジョン・フォードが製作に参加し、可愛がっていたベン・ジョンソン(馬を扱わせたらピカイチの常連脇役、70年代に復活しオスカー受賞)を出演させてるんだから、西部劇+恐竜のグワンジ路線 をやるべきだったのでは?
『ジョー・ヤング』にも馬で捕らえるシーンがありますけど、ゴリラより恐竜の方が良かったような。

『ミッシングリンク』は1915年の作品なので、この時期にオブライエンは金属アーマチュアを導入してたんですね。この時点で自分が特許申請していれば、その後の展開は違ったでしょう。
ドーリーが5メートルの恐竜像を作ってたというのは「モンスター・メイカーズ」注釈で知ったと思いますが、撮った写真は処分されてしまったのでしょうか。
| J・KOYAMA | 2019/12/19 2:49 PM |
遅くなりました。

http://silentfilm.org/archive/the-dinosaur-wars
↑こちらのサイトにある、オブライエンと契約し「ロスト・ワールド」の企画を進めていたロサッカーが、「スランバーマウンテン」がオブライエンのクレジット無しに公開されていることに困惑、業界紙に掲載した広告で映画はオブライエンの作品であると宣伝、公開を中止させようとした件…に関する、シネフェックス138号の記事です。
実際に「EXHIBITORS HERALD AND MOTOGRAPHY」に掲載された広告の写真が掲載されています(大きくロサッカーのロゴ入り)。
手書きで1919年6月21日という日付が書き込まれていますが、出処は件のドーリーのスクラップでしょうか?
だとしたら、ドーリーはその時点で「ロスト・ワールド」製作の計画を知っていたことになります。
「オブライエン特集」では1922年、奇術師協会でのフィルム上映を伝えるニューヨーク・タイムズの記事で知ったことになっていますが。

「スランバーマウンテン」を「実際に」作ったオブライエンと共に、さらに進化した作品の政策を進めているととを伝え、オブライエンの署名入りのコメントが掲載されています。
オブライエンのコメントを要約しますと(オブライエンの一方的な主張なので注意が必要です)、「スランバーマウンテンの人形とプロセスは私が発明し、シナリオ無しで私単独で製作した。使用した技術は1915年より米国特許庁に特許を申請中である」「スランバーマウンテンに先立ち、私は同じ技術を使用した幾つかの映画を製作、その一部は公開された」「1918年11月17日の週に、私の作品スランバーマウンテンはニューヨーク市ストランド劇場で公開され、その時のプログラムにはプロデューサーとして私の名が記載されている」「現在私はシカゴのロトハッカーフィルムマニュファクチャリングカンパニーに勤務、ある企画の全ての権利を所有している」
| esme | 2019/12/30 11:28 PM |
オブライエンがドーリーより5年も前に特許申請していた?
実際はドーリーが1920年に特許を取得しているので、事実とは思えませんが。
他人に先に出願されないためのフェイントでしょうか?
…と、続いて「オブライエン特集」からの引用で、オブライエンが特許申請をしなかった理由とジョー・ヤングの興行収入に関する件の補足を書き込もうとしたところ、またもエラーで、入力したコメントが全て消えてしまいました。
明日も出勤ですので、日を改めさせていただきます。
| esme | 2019/12/31 12:16 AM |
明けましておめでとうございます。。
まず、バンダイ版「シネフェックス」11 オブライエン特集p30より

「モデル製作の基本的メカニズムを数年前から開発していたオブライエン自身は、当時、自ら申請することを思いとどまっていたのだ。というのは、ヘタに申請して、特許庁にこの技術の発明明細書の発表を強いられ、その結果、すでに特許戦争で大混乱をきたしていた業界に、彼の秘密が漏れることを恐れていたからだった。」

「秘密」というのがよくわからないのですが、妻との関係のことでしょうか?
特許申請を思いとどまる理由としては、少し疑問も感じてしまいますが。
| esme | 2020/01/01 12:12 AM |
続いて、同p94より
『猿人ジョー・ヤング』の興行成績に関する部分。

「このタイプの映画としては興行成績は悪くはなかったが、組合とスタジオの経常費用によってもたらされた膨大な制作費が財政的な圧迫を招き、目標のマーケットをほぼ満たしたにもかかわらず、250万ドルの投資を回収することは不可能だった。」
| esme | 2020/01/01 12:20 AM |
明けましておめでとうございます。今年も貴重なコメントを頂ければ嬉しいです。
現在出先におりますので、参照できるのはネット記事だけなのですが…。

オブライエンの自主制作短編は最初、エジソンの会社(モーションピクチャーパテントカンパニー)に興味を持たれ買われたと記憶しております。1915年ごろオブライエンの特許出願がなされたとすれば、その手の事ならプロフェッショナルであるエジソン系の人物に相談していたのではないでしょうか?
それにしても…以前esme様に教えてもらったドーリーのアーマチュア出願書類(1920)、確か数ヶ月で認可(パテンテッド)されていたと記憶します。
15年から出願していて19年時点でも認可されないとは、オブライエンの申請書って常識はずれに?不備だったんでしょうね〜。

ロサッカーは以前、興行師出身でのちにユニヴァーサルを作るドイツ人 カール・レムリの下で働いていたということです。レムリはエジソンのパテントカンパニーによる映画配給支配を嫌い、自分で映画製作を始め成功した人物とウィキにもあります。
くだんの1915年ごろには大スタジオを建設し、エジソン系の技術者まで協力させるような勢力を得ていました。
エジソンのパテントカンパニーは1918年に裁判で負け、ついに解散となり、晴れて映画各社の自由競争が始まります。
そういうやり手の人脈から出た製作者ロサッカーですから、自動車業界の成功者といえ、ドーリーの個人営業的な小映画会社なんぞからは見どころあるオブライエンを引き抜いて当然、バンバン意見広告を出し蹴散らしてしまえという意図もあったんでは。

『ジョー・ヤング』は、いわゆるトントンで大きな儲けが出なかったんですか。やはりモデルアニメ製作がらみでスタジオも長く押さえる事になり、落ち目のRKOにさらなる負担をかけてしまったのですね。
| J・KOYAMA | 2020/01/02 1:05 PM |
こんばんは。
「ドーリーはその時点で「ロスト・ワールド」製作の計画を知っていたことに」なると書きましたが、広告では新作を製作中であることは表明しているものの「ロスト・ワールド」という作品名は出していません(当然この時点で作品の詳細は極秘だったわけで)。
ネットで同広告の画像は確認できませんでしたが、似たようなレイアウトの画像は見つかりました。このように(↓)ロサッカーのロゴが入った誌面1ページを丸々使った広告です。
https://i.pinimg.com/originals/6b/80/ab/6b80ab61e15bb8f87c565a83b8802b34.jpg

テキストデータで全文が掲載されているインターネットアーカイブも発見しました。
https://archive.org/stream/exhibitorsherald08exhi/exhibitorsherald08exhi_djvu.txt
わかりにくいですが、こちらのずっと下のほう、「Volume VIII / JUNE 21, 1919 / Number 26 / EXHIBITORS HERALD AND MOTOGRAPHY」という表記に続く文章です(その上に挙げられた広告主リスト「17」に該当します。元の印刷物に忠実に改行されていますが)。
さらに下がって、同じ号の33(ページ?)の途中から「The Ghost of Slumber Mountain」と題された関連記事があります。
| esme | 2020/01/02 10:27 PM |
おはようございます、正月からまた凄いものを。

EXHIBITORS HERALD AND MOTOGRAPHY はインデペンデント、メジャーでない独立系プロダクションの映画を扱ったグラフ雑誌(業界誌?)のようですね。
ほぼ100年前、1919年の雑誌記事を正月から閲覧できるとは。D・W・グリフィスの「新作」とか、クラクラします。
この(意見?)広告文は、表紙裏2色ページに掲載されたのでしょうか。
これも推理にすぎませんが、「『スランバー…』のような先史時代の動物を動かせるオブライエン!」「その次回作」「ロサッカーの会社」ときて、どうやらロサッカーがドイルの原作(1912年刊)映画化権を買ったようだという噂でもあれば、ドーリーも業界人ですからピィーンと来た(知っていた)とは思いますね。

もう一枚のロサッカー社広告の映画は1921年に作られた『黄金の罠』で、同年日本公開されてます。北国股旅ものというか父の敵討ちをしてお尋ね者となった男と追う騎馬警官の話で、奇しくも?『ロスト…』の主演者W・ビアリーとL・ストーン共演。
直訳タイトルは比喩でなく、女性の金髪で作られたウサギ罠とのこと。

それにしてもこの時点でシカゴに立派な社屋(1910年創業?)、ハリウッドに共同で現像所とロサッカーは思った以上のやり手ですね。
| J・KOYAMA | 2020/01/03 9:38 AM |
こんばんは。
シネフェックス138号より、その後読んだ箇所は、まだ核心部分に達してせんが、一応書かせていただきます。

劇場から発見されたフィルムに顕著な摩耗や劣化は見られないものの、1920年代の硝酸塩ベースのフィルムは可燃性で危険なため、映画をAcademy of Motion Pictures Arts and Sciencesに寄付(?)、ハリウッドのファクトリーに輸送、そしてデジタルコピー、(…と、この辺りの経緯が、私には正確に読解できませんでしたが、ともかく)デジタル転送された映像を観ると、内容は聖書時代の衣裳を着た俳優の未編集映像、トニー・サーグと共作した影絵アニメ、中でも最も重要なのは恐竜の映像で、それは「The Ghost of Slumber Mountain」ではなく、長く失われたと信じられていた「Along the Moonbeam Trail」であることが判明。そこには、翼竜、ステゴサウルス、ティラノサウルス、そしてツェルカスをこの探求に導いたカモノハシ竜の映像が。この時点ではまだ証明することは困難だったが、オブライエンがこの映画の恐竜にも責任を負っていたということは、ありそうもないように思えた……

138号には恐竜のアーマチュアを製作中のドーリーの写真が掲載されていますが、そのアーマチュアは正に特許申請書のイラストに描かれたモデルそのものであり、完成品は「Along the Moonbeam Trail」に登場の肉食恐竜になったようです。
| esme | 2020/01/16 10:27 PM |
こちらで、ちょっとした論争が
https://www.tapatalk.com/groups/monsterkidclassichorrorforum/along-the-moonbeam-trail-1921-dinosaur-stop-motion-t32346.html
| esme | 2020/01/17 2:06 AM |
こんにちは。
以前『月世界旅行』彩色版復元の映画を観ましたが、特殊溶液に入れくっついたフィルムを剥がし1コマごと復元と再撮影、古い映画のレストアは気が遠くなる作業ですね。

うわぁ、2010年のビル・ウォーレンの回顧コメントですか。1950年頃(7歳くらい)と後年(時期不明だがドナルド・F・グラットの手配で?)に、『アロング・ザ・ムーンビーム・トレイル』の実物を観ていたと。
一緒に観たビバリーさんは、ビルの幼馴染→のちの奥様と思われます。
フィルムは戦後も、ウォーレンの故郷オレゴン州の田舎で巡回上映でもされていたのでしょうか。
その道のスペシャリストも「オブライエンとは別物だ」と思ったというのに、再見時に映画史の大発見だとアピールしなかったのは不思議です。やはり偉大なるオブライエンに遠慮が?ウォーレンは2016年に長患いのあと70代で死去、真意は確かめようもありません。
ウォーレン、アッカーマン、グラット、ボブ・バーンズなど、「宇宙船」「スターログ」愛読者には懐かしい名前ですね。
esme様は「論争が」と書かれてましたけど、このファンダム掲示板では「サンキュー、ビル」で落ち着いてるように思うのですが。

映画に出てきた複座複葉機って、ドーリーの私物ですかね?アメリカのカーチス社製練習機のようです。
| J・KOYAMA | 2020/01/17 8:30 PM |
すみません。
まだ掲示板の内容を全部読んだわけではないので、「論争」と書いたのはドーリーとオブライエンの映画への関与度に関する意見の相違のことです。

シネフェックスのオブライエン特集が出る前のドーリーのイメージはどのようなものだったのでしょうか。
「THE MAKING OF KING KONG」の内容確認は後回しにしていますが、ざっと目を通した限りでは、ドーリーについて(「〜スランバーマウンテン」への関与度、クレジットの問題、「アロング・ザ〜」を当時の段階では「失われた映画」と考えられ、映像はスランバーマウンテンの流用、とする等々は後の説と変わらないものの)それほど酷くは描かれてはいない印象があります。
ドーリーに取材したと思しき "Illustrated World,"1919年11月の記事からの引用(メイキング・オブ・スランバーマウンテン的な内容?)や奇術師協会の一件についても書かれていますね。

中子真治氏の「フィルム・ファンタスティック1」(昭和60年/講談社)の『眠れる山の幽霊』の項には「製作、監督、脚本、主演をオブライエンのよき理解者H・M・ドーリーが担当し、オブライエンもSFXと俳優を兼ねている」と書かれています。ちなみに同書『月光の軌跡に沿って』の項を見ると「"The Ghost of Slumber Mountain"(1919)を発表した、ハーバート・M・ドーリーと、ウィリス・H・オブライエンのコンビによるファンタジーである。」となっています。
| esme | 2020/01/17 10:28 PM |
「映画への関与度に関する意見の相違」というのも正確じゃありませんね。
意見の微妙な相違は「Along the Moonbeam Trail」の評価とドーリーの力量に関するものでしょうか。

「ツェルカスによるシネフェックスの記事は、このスレッドで議論されている疑問や仮設の多くをクリアする」と書いている人もいますし、ツェルカスのコメントの引用もあるので、シネフェックス138号はまず核心部分と思われる個所を拾い読みしてみたほうがいいかも? 
| esme | 2020/01/17 11:17 PM |
こんにちは。
以前『月世界旅行』彩色版復元の映画を観ましたが、特殊溶液に入れくっついたフィルムを剥がし1コマごと復元と再撮影、古い映画のレストアは気が遠くなる作業ですね。

うわぁ、2010年のビル・ウォーレンの回顧コメントですか。1950年頃(7歳くらい)と後年(時期不明だがドナルド・F・グラットの手配で?)に、『アロング・ザ・ムーンビーム・トレイル』の実物を観ていたと。
一緒に観たビバリーさんは、ビルの幼馴染→のちの奥様と思われます。
フィルムは戦後も、ウォーレンの故郷オレゴン州の田舎で巡回上映でもされていたのでしょうか。
その道のスペシャリストも「オブライエンとは別物だ」と思ったというのに、再見時に映画史の大発見だとアピールしなかったのは不思議です。やはり偉大なるオブライエンに遠慮が?ウォーレンは2016年に長患いのあと70代で死去、真意は確かめようもありません。
ウォーレン、アッカーマン、グラット、ボブ・バーンズなど、「宇宙船」「スターログ」愛読者には懐かしい名前ですね。
esme様は「論争が」と書かれてましたけど、このファンダム掲示板では「サンキュー、ビル」で落ち着いてるように思うのですが。

映画に出てきた複座複葉機って、ドーリーの私物ですかね?アメリカのカーチス社製練習機のようです。
| J・KOYAMA | 2020/01/18 9:33 AM |
すいません、昨日した投稿がなぜか再投稿されてしまいました。

これまでドーリーについては、ちょうどサイレントからトーキーに移行(長編『ジャズ・シンガー』は1927年公開)する時期に「消えた映画人」という認識のされ方だったのでは。
自動車メーカー勤務→モデルアニメ映画製作→スッパリやめて劇場創設と演出に転身の時期が重なったのもあると思うのです。
トーキー化の波に乗れず、引退や転身に追い込まれた映画人は多いようですから。日本でも消息不明のサイレント映画関係者は多いようです。

ビル・ウォーレンが観せてもらったフィルムは、映画芸術科学アカデミー所蔵で今回の復元にも利用されたプリントのようですね。
| J・KOYAMA | 2020/01/18 12:13 PM |
こんばんは。
シネフェックス138号に関し、読み込み途中の箇所ですが、簡単に途中報告を。
ツェルカスと彼の妻はドーリーのスクラップブックを検証、しかしドーリーの公私に渡る記録に(「スランバーマウンテン」の役柄の扮装をした写真を除き)オブライエンに関する言及はほとんどありませんでした。
ところが、無作為にめくったページにホチキス留めされた新聞の切り抜きを発見、それはオブライエンの死亡記事でした。
切り抜きの下から次のページにかけ、ドーリーはずっと前に彼のもとで働いていた男の記憶を短く記していました。
最初にオブライエンのことを「賢いが、頼りにならない」労働者だったと評価、続いて彼らが疎遠になった理由と思しき詳細が書かれていました。
オブライエンは、当時の妻ヘイゼルが最初の子供を出産する時、姿をくらましてしまったため、ヘイゼルを病院に連れて行ったのも医療費を払ったのもドーリーだったとのこと。
その記述の時点で、ドーリーは息子が44歳になったと考えていたことから、オブライエンの身に起こった悲劇…若い息子がヘイゼルに殺されたことを知らなかったことになります。
| esme | 2020/02/08 12:05 AM |
「賢いが、頼りにならない」という訳は、ニュアンス的に正確でないかもしれません。
原文は“clever but undependable”で、「才能はあるが、信頼できない」と訳したほうがいいかも?
オブライエンの行動から、彼の人間性に対し不信感を持ったのでは?
| esme | 2020/02/08 10:31 PM |
こんばんは。
もう、何とも言えない人間模様ですが。やはりオブライエンの死を、ドーリーは知っていたと。
しかし、オブライエンは何故奥さんの出産(第1子のウィリアムでしょうか)に立ち会わず行方をくらませたのか?雇い主であるドーリーに費用まで負担させて…。
ウィキによると、オブライエンがヘイゼルと結婚したのは1925年で離婚が30年(『ロスト・ワールド』がヒットした年の結婚。第2子のウィリスジュニアはもう生まれていたのでしょうか。だがギャンブルに飲酒に浮気?と成功者オブライエンは家庭を顧みず、破綻。別れたヘイゼルはガン発症、ウィリアムは片目失明と不幸の連鎖)。
ドーリーの下で働いていた時(1918年ごろ)は、正式結婚していなかった事になります。
その時点では彼が望まなかった(デキちゃった)子供であり、どうしても産むという奥さんに対してオブライエンは姿をくらまし不満をあらわにしたということでしょうか?
でも彼はすでに30代のいい大人、今ならメディアでそれこそ「男として信頼できない」と即バッシングされるでしょう。
この辺りの事情が、のちの悲劇の前奏曲だったかもしれません。
| J・KOYAMA | 2020/02/08 10:43 PM |
こんばんは。
もう、何とも言えない人間模様ですが。やはりオブライエンの死を、ドーリーは知っていたと。
しかし、オブライエンは何故奥さんの出産(第1子のウィリアムでしょうか)に立ち会わず行方をくらませたのか?雇い主であるドーリーに費用まで負担させて…。
ウィキによると、オブライエンがヘイゼルと結婚したのは1925年で離婚が30年(『ロスト・ワールド』がヒットした年の結婚。第2子のウィリスジュニアはもう生まれていたのでしょうか。だがギャンブルに飲酒に浮気?と成功者オブライエンは家庭を顧みず、破綻。別れたヘイゼルはガン発症、ウィリアムは片目失明と不幸の連鎖)。
ドーリーの下で働いていた時(1918年ごろ)は、正式結婚していなかった事になります。
その時点では彼が望まなかった(デキちゃった)子供であり、どうしても産むという奥さんに対してオブライエンは姿をくらまし不満をあらわにしたということでしょうか?
でも彼はすでに30代のいい大人、今ならメディアでそれこそ「男として信頼できない」と即バッシングされるでしょう。
この辺りの事情が、のちの悲劇の前奏曲だったかもしれません。
| J・KOYAMA | 2020/02/09 7:21 AM |
こんばんは。
シネフェックスのオブライエン特集の記述ですと、ヘイゼルとの結婚はオブライエンがエジソン社を去った時(1917年の暮れ頃?)、故郷のオークランドで、となっているのですが、その時点では事実婚だったということでしょうか?
同書によると、ヘイゼルとは最初の短編映画を完成させた頃から交際を開始。まもなく婚約するのですが、すぐにオブライエンはこの性急な選択を後悔。
「まだ自分の新しい仕事の展望に心を躍らせて落ち着きのなかったウィリスには、結婚という責任ある行為への準備が何もできていなかった。」(同書)
エジソン社で働くためニューヨークへ移る必要に迫られたオブライエンはオークランドを去るのですが、ニューヨークに行っている間に婚約が解消されることを期待。しかし、世間体を気にしたヘイゼルの伯母が、ヘイゼルをニューヨークに送り込み……
と、オブライエン特集には、ヘイゼルとの関係が、かなり詳細に書かれています。

ウィリアムの誕生は1919年、ウィリス・ジュニアの誕生はその翌年だそうです。
「オビーは息子たちを愛したが、彼らの誕生によって自分の中にあったわだかまりが解けたわけではなかった。結婚に対して軽率な判断を強いられたと痛感した彼は、それに怒りさえ感じていた。ヘイゼルとの口論は日常茶飯事で、その傷の傷みはいつまでも癒されることはなかった。」(同書)
ややオブライエンに同情的に書かれている印象を持ってしまいますが、これは、あまりにヘイゼルに対し酷では?
むしろ彼女は無責任なオブライエンの犠牲者だと思うのですが。
| esme | 2020/02/09 10:54 PM |
こんばんは。
オタクで、独り者を通すつもりの私が言うのもなんですが…。
20世紀初頭、30過ぎて子供ができちゃっても、まだ結婚に気持ちが揺れてるような男が、翌年さらにもう1人子供を?
奥さんの押しが強かったのか、失礼ながらオブライエンがだらしなかったのか、昨今のワイドショーを騒がせる児童虐待家庭にある状況(男が不甲斐ないタイプでも、奥さんのの求めで作ったり、連れ子がいたり、なぜか子供が多い)ですね。
オブライエンは別れて以降、結果的に子供を可愛がったとはいえ、虐待以上の結末を迎えてしまったのは仕方ないことなのか。
奥さんが、オブライエンの目指す世界に数人であろうモデルアニメーター仕事(成功する当ては知り合った1918年当時、限りなく低いですが)に理解があって一緒になったのかどうかも、気になりますね。
| J・KOYAMA | 2020/02/10 10:50 PM |
こんばんは。
オタクで、独り者を通すつもりの私が言うのもなんですが…。
20世紀初頭、30過ぎて子供ができちゃっても、まだ結婚に気持ちが揺れてるような男が、翌年さらにもう1人子供を?
奥さんの押しが強かったのか、失礼ながらオブライエンがだらしなかったのか、昨今のワイドショーを騒がせる児童虐待家庭にある状況(男が不甲斐ないタイプでも、奥さんのの求めで作ったり、連れ子がいたり、なぜか子供が多い)ですね。
オブライエンは別れて以降、結果的に子供を可愛がったとはいえ、虐待以上の結末を迎えてしまったのは仕方ないことなのか。
奥さんが、オブライエンの目指す世界に数人であろうモデルアニメーター仕事(成功する当ては知り合った1918年当時、限りなく低いですが)に理解があって一緒になったのかどうかも、気になりますね。
| J・KOYAMA | 2020/02/11 5:59 AM |
こんばんは。
一ヶ月以上、間が空いてしまいました。
シネフェックス、その後ある程度は読んだのですが、得られた情報は、ツェルカスがドーリーのスクラップブックと日記を読み、彼の汚名を雪ぎパイオニアとしての地位を確立させるべく使命感を持って、調査を進める過程…そして、既出のロサッカーによる雑誌広告関連といったところで、少し先まで読み込まないと疑問点がはっきりしません。
時間がかかっても、必ず最後まで読みます。

雑誌『映画秘宝』に、ドーリーのことを取り上げて欲しいと投書してみようとも思っていたのですが、雑誌が(売れているにも拘らず)無くなってしまいました(他の出版社から復刊の噂もありますが)。
| esme | 2020/03/22 10:32 PM |
お久しぶりです。
確かに「映画秘宝」読者なら、反応しそうな話題ですね。休刊号は手に入らず、ヤフオクでプレミア値で入手しました。
ところで、オブライエンの悲劇についてはesme様からのコメント以降 思い出し、ウィキなどで確認したわけですが、最初にどこで知ったか判明。中学の頃に買った「映画宝庫」のコング特集(1976)です。当時公開のラウレンティスのリメイク版とタイアップして出された、マニアックな本でした。
増渕健らが この時点で詳しく書いてますね。ドーリーの名もありますが、確執には触れてません。
私はテレビで断片、雑誌でスチルは見ていたと思いますが、『キング・コング』オリジナル版は当然観ておらず、この本のコマ焼き写真には感激した次第。
洋書の「メイキング・オブ キング・コング」も76年の出版だったはず、「映画宝庫」も参照しているようですが書影は載ってないです。
私がようやく本編を観られたのは某自主上映会、1981年初頭(『盗まれた街』と一緒に)でした。その年に昼の映画劇場で放送され、ビデオ録画してます。
| J・KOYAMA | 2020/03/25 5:34 AM |
こんばんは。
私のコング初視聴は幼稚園か小学校低学年の頃、TVの洋画劇場でしょうか。
リメイク版公開時、雑誌等でオリジナル版も紹介され、やはり『映画宝庫』創刊号と、勁文社から発行された『決定版 キング・コング』(『メイキング・オブ キング・コング』の抄訳とノベライズを収録。抄訳というより超訳に近い代物でしたが、最近ヤフオクに出品されていました。)が決め手となり、観たくてたまらない状態が何年も続きました。(『映画宝庫』に『メイキング・オブ キング・コング』の書影、載ってますよ。177頁です)この二冊は、むさぼるように何度も読みましたね。
ところが、当時は既にモノクロ映画など滅多にTV放映されなくなっており、やっと観ることができたのは、私の場合も81年、昼のTVの映画劇場でした。画質は悪かったものの、正に夢の世界に入っていくような陶酔感で、映像からあれだけの衝撃と面白さを味わうことは、もうないでしょう。
数年後ビデオデッキを手に入れてからはソフト(実はレンタルや違法コピーででしたが)を何度も(200回以上?)繰り返し観ました。
1987年にリバイバル公開がありまして、大きな映画館の大スクリーンで観ることができました。当時の映画館は入れ替え制ではなかったので、ずっと劇場にいて『コング』は計3回、併映の『コングの復讐』を2回鑑賞しました。
| esme | 2020/03/25 10:06 PM |
こんにちは。
「メイキング・オブ・キング・コング」、「映画宝庫」に確かに書影と解説がありましたね、すいません。
私が持っているのは美女片手のコング写真が表紙の大型ペーパーバック版で、ハードカバー版でないため一見 気付きませんでした(カバーに使われた蛇型reptileとコングのストーリーボードは、4〜5ページに見開き掲載されてます)。
「映画宝庫」、読み返すと当時ならではのネタが興味深いです。ギラーミン監督の談話で「シェードサックが近所に住んでるが、目を病んで過去を語らない」(1979年没)とか。
ラウレンティスは白井佳夫インタビューで跳ね上がった予算話に加えて「ハリウッドとイタリアの特撮マンの仕事に満足してる」と言ってますが、実は東宝の中野昭慶にロケハンまでさせてたのを知った今は…。
そうとう安くあげようとしてたのか。
| J・KOYAMA | 2020/03/26 10:42 AM |
こんばんは。
もうご存じかもしれませんが、『映画秘宝』が双葉社より復刊されるそうです。
4月21日に最新号が刊行とか。
| esme | 2020/03/30 1:35 AM |
おはようございます。
嬉しいニュースですが、復刊すると また買わず立ち読みで済ませるようになるんでしょうね。
本誌より、ハリウッド版キンゴジ公開時に出るであろう秘宝ムック本か「特撮秘宝」復刊時にドーリーの件を投稿なさっては如何。
| J・KOYAMA | 2020/03/30 7:44 AM |
ご無沙汰しております。
自粛自粛の世の中ですが、私は多忙のためシネフェックス読み込みどころか日常生活の最低限のことすらできていない有様でいます。
職場環境も、まともに新型コロナ対策が施されているとは言い難く、クラスターが起きていないのが不思議なくらいですが…

そんな中、(既にご存知かもしれませんが)こんな記事を見つけたので、コメントさせていただきました。

「奇跡の恐竜化石、世紀の大発見 写真18点」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/17/052200118/
https://www.earthlymission.com/dinosaur-mummy-science-discovery-nodosaur-intact-canada/
| esme | 2020/05/24 10:25 PM |
お久しぶりです、返信遅れ申し訳ありません。
日常は戻りつつありますが、流行の第2波は思ったより早そうですね。私は家でフィギュアや資料の整理や並べ替えをしつつ日々を過ごしています。
5月はシネフィルWOWOWで生誕100年ハリーハウゼン特集、ひさしぶりに『水爆と深海の怪物』などをカラーライズ版で観ました。
見事な保存状態の恐竜化石、こうしてより生きていた頃に近い保存の良いものを見ると、恐竜の最新復元技術は真実に肉薄してるように思えます。
後は色でしょうか。
暑くなってきました、ご自愛下さいませ。
| J・KOYAMA | 2020/06/05 3:50 PM |
ありがとうございます。
また何かありましたらコメントさせていただきます。
| esme | 2020/06/07 11:29 PM |
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