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あれは角田美代子だったのか

完全に やめられたので、もう行くことはないと思うが。
職場の付き合いで始めたパチンコ、退職してからも暫くの間 通っていた。
10年近く前、いつもの店に行った時のこと…
以下、当時(2009年)の雑記から一部を引用する。

午後からパーラー(パチンコ店)へ行ってみる、超満員なり。
新台の様子を見ていたら。チョイ悪系で革ジャンにジーンズが似合ってる60代の男性が打っているところに来た30代?の赤いダウンジャケットの男が、イキナリ殴りかかったのでビックリ。革ジャン氏も負けずに応戦、エラい事に。
店員が止めに入るが、落ち着いたと思ったらすぐまたボコボコ。
しまいにドル箱振り上げてボコッ !
どうやら赤ダウンは革ジャン氏の親族らしい。様子から、並んで打ってた若い女性は どちらかの奥さんかもしれんな。
選んだ台がゼンゼン出なかった事に端を発する いさかいであるらしいが…リアルな殴り合いを久しぶりに見たぞ。
この不況下にあっても盛況のパチンコは、魅力的だが金がかかるリスクの大きな遊びである。「この台でやってみるといい、出るぞ」などと革ジャン氏が言って、赤ダウンは席を代わったはいいが、その席にふらりと座ったハイエナオヤジが大連チャン。ムッカーッ ! といった顛末ではないか。
帰ろうと信号待ちをしていたら、まだ外でモメていた。

週刊誌によると、尼崎連続不審死事件の角田美代子ファミリーは、家族乗っ取り業以外の収入源として、パチンコにも熱中していたようで、私が住む地方にも旅打ちに来ていたらしい。
そういう際に付き合いが出来、仲間に「勧誘」された者も居たという。
私は上記のとき以外にも数回、家族とも友人ともつかぬ不思議な一団を見かけたが、ひょっとして…。
その際、自分はパチンコを打たずデータが閲覧出来る大型モニター前で よくメモを執ってた、一団のリーダー格らしき「太ったオバサン」の事も思い出した。
あれはもしかして、角田美代子だったのかもしれない。

私がパチンコをやめられた理由?
分煙の厳しい国に通うようになったからか、タバコの煙が鼻の奥に堪えるようになって、多量に流され嗅ぐと微熱まで出るようになったからだ。
飲み会で同僚から紫煙を鼻先に流されても無頓着だった私。単純に加齢で、タバコの煙に限界が来たのかもしれないが。
え?パチンコ店は分煙化も進んでいるし、全面禁煙の話もあるから お前また戻るだろうって ⁇
私は、自動ドアが開閉するたび路上へ漏れ出てくる、芳香剤のような匂いも頭痛がするほど嫌になったのだ。
もし戻る時があるなら、それは無臭・禁煙で低騒音のパチンコ店が出来た時だろう。

何でこの話を書こうと思ったかというと。
旅先の日本料理屋で、報道写真の角田美代子そっくりな肩出しワンピース姿の婆さんと太ったポロシャツ息子?を見て、思い出したからだ。
息子がこっちを一瞥する様子、あれは獲物を狙う雰囲気だった。
同胞をカモにすべく、老日本人がロングステイで溜まっているアジアの街に来ているワルもいると聞く。私は目を伏せつつ呑んでいた、彼らが去るまで。

| チェンマイところどころ2013〜 CHIANGMAI HERE AND THERE 2013〜 | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
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