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映画『大佛廻国』のことを、わたくしなりに [18 完]
わたくしの、『大佛廻国』について思いを巡らす旅は これでオシマイです。

枝正義郎と円谷英二がJ.O.スタヂオで再会し、撮影中に何らかの「コラボ」が行われた可能性について妄想しながら、本稿を終えたいと思います。

少し気になること。
師・枝正との出会い (1919年 春、18歳の頃。東京・飛鳥山での、花見のケンカ仲裁が縁) については何度か書いているものの、戦時中に結核で病死した事などは、ついに文章を残すことの なかった円谷。
枝正が病に伏した1944年までの数年は、円谷が東宝・砧で多忙を極めており、他事に目が行かなかったからだとも言えるが。
最後の職場・大映多摩川撮影所で、枝正の準撮影所葬が営まれたとすれば、砧は近い。
円谷、葬儀に参列したのだろうか ?

再会した時 (それは推論として書いたように、、『大佛廻国』のセット撮影現場だったかもしれない) 、何か面白くない出来事…特撮で言えば、モデルアニメの巨匠 ウィリス・オブライエンと弟子レイ・ハリーハウゼンにおける“仕事での地位逆転”みたいな事…があり、疎遠・或いは袂を分かってしまったという可能性は ないのか。
今後 新資料が発見され、面白い事実が出てくるかもしれません。

もうひとつ。
高槻真樹が真鍋新一の文を補足して書く
「立石駒吉が金にものを言わせ、それなりのキャリアがあるスタッフは集めたが、責任者 (監督) の所在が曖昧で勝手なことを はじめてしまい、『大佛廻国』は不出来な映画になった」
という指摘ですが。

1980年代後半、ビデオバブルの頃。
腕のいいキャラ・メカデザイナーとアニメーター、主題歌は旬のアイドルで、人気声優も金の力で集めたが。
ストーリーと演出がアレで、ガタガタの出来だったOVA (オリジナルビデオアニメ) の数々を思い出しました。
でも、そういった作品って。
改めて観直すと、作られた時点での「名人芸集」みたいに思えることがあるんですね。
この場合アニメーター寄りの話になりますが、「演出がコントロール出来てないのを幸いに、勝手放題に作画を暴走させフィルムにしちゃってる」という場合も。
歳月が過ぎ、作品としては体をなしてなくても、再見してオオッと唸る、「スタッフの技術」だけが風化せず残っている可能性が。

だから、『大佛廻国』は不出来な映画でも、集められたスタッフ・キャストによる「名人芸集」として楽しめる可能性があるんですよ。

いつか、どこからか特撮部分を含んだ断片が発見されるといいですね。

※ 枝正義郎が亡くなって2か月後、1944年11月公開の大映映画『かくて神風は吹く』。
元寇を描いた国策スペクタクル時代劇映画だが、この映画の特撮は、東宝の特殊技術部が協力している。
これが大映多摩川作品なら、枝正の追悼の意味を込め、円谷組スタッフが応援…という可能性もあるのだろうが…。
大映京都作品でした、残念。
| 今週のわたくし2015 SUBCULTURE DIARY 2015 | 19:55 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
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