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きちんと観たことないけど、『怪獣マリンコング』特集 [2]
[1]に書いた、作品説明の補足です。

「すばらしき特撮映像の世界」掲載の、安井ひさし・金田益実 氏による1979年のテキストに「『怪獣マリンコング』は、テレビ映画で怪獣を初めて登場させた『月光仮面 第3部 マンモス・コング』と違い、特殊撮影を売り物にした、初の特撮テレビ映画」と ある。

最近DVDに収録された、『月光仮面 第3部』初放送 当時の番組予告で判ったことだが。

「特殊撮影 テレビ映画 初登場 !!」と大きく謳って、特撮は宣弘社が自覚を持って「売り物」に していたのだ。
よって、先の一文には首肯 出来なくなった。

「『怪獣マリンコング』は、ゴジラ型 巨大怪獣の都市破壊や大暴れを全編の売り物にした、初の特撮テレビ映画である」と書き直すべきだろう…。

この作品を作ったのは、ニッサン プロ (のちに NMC。現在は解散し、トランスグローバルに吸収されたという) の 大橋正次 (? - 存命だろうか)。
日本映画黄金時代のピークを過ぎたとはいえ、まだまだイケていた1959年に日活を退社し、自分のプロダクションを立ち上げた人物だ。

さっそく『大海獣ゲボラ』という、群体巨大ヒトデが登場する30分物の特撮テレビ映画を制作。
放送局 (TBSを想定) が買い付けしてくれるメドなしに1959年6月より、各社でフリーの助監督をしていた小川欽也を監督に立て撮影開始。
6話まで撮影 (シナリオは残っているが、フィルムは現存しない。パイロット版しか撮影されていないという説も、どこかで見かけた) したというから凄い。
だが、これは日の目を見ることなく お蔵入りしてしまう。

宣伝も兼ね、「少年画報」でコミカライズされていたのに…。

『怪獣マリンコング』は、1959年12月に着手。
資金も『ゲボラ』で底を ついていながら、またしても金のかかる特撮作品を敢えて選んだのは、「新興プロが放送局から注目を浴びる手段は、特撮物しか無かろう」という大橋の考えからであった。

密林から現れたキング・コングに対し、神秘の海から怪獣が現れたら…というアイディアから、マリンコングに。
その上、怪獣は陰謀団が操る、人工動物 = ロボットだったという設定は面白い。
思えばマンモス・コングも、南極生まれで15メートルの巨大ゴリラだが、いったん死んだのを、Xマークが付いたコスチュームの国際暗殺団が蘇らせるという設定。やはりコントロール装置で操られていたな。
まぁ、高い確率で「鉄人28号」の影響だろうが。

スタッフは、古巣の日活から召集。
原作にクレジットされている越田委寿美って、ペンネームくさいが。
 「少年画報」掲載の山田常夫・画『大海獣ゲボラ』コミカライズ版の原作は、柳田 寿 (ヤナギダ トシ) に なっていた。
 似ている…。
1話のシナリオと監督は、柳瀬 観 (1932 - 2009 ヤナセ ノゾムと読む。54年に日活入り、助監督を しながら『俺は情婦を殺す』などのシナリオを書き、1963年に『探偵事務所23 銭と女に弱い男』で映画監督デビュー。舟木一夫の歌謡映画に連投した) の担当とか。
すると、柳田 = 越田 = 柳瀬なの ?
これは断言 出来ないけど、柳瀬の実質的「初監督作品」かも知れない。
本作には、野口博志に師事したという柳瀬によって、日活アクションの血も入っていたのだね。

それは ともかく。
第1部の脚本は越田委寿美。回によっては北村小松 (1901 - 64 日本のトーキー第1作『マダムと女房』の脚本家、小説家。ユーモア物から冒険・軍事、SF的な小説まで手掛けた) と共同になっている。監督は柳瀬 観と志村敏夫、6話より飯塚芳郎が加わった。
第2部の脚本は柳川創造 (『まぼろし探偵』『少年ジェット』、映画脚本や学習マンガも手掛けているようだ)。監督は飯塚が全話担当したのかな。

特撮 (クレジットは特技) は、人形劇畑の高橋春光 (日本人形劇人協会に所属) を招いた。
その関係か、マリンコング造型は現在も存続する、戦前より続く (人形) 劇団プーク。
カワイサが残るデザインなのは、そのせいか。

リアルな着ぐるみ怪獣をデフォルメし、ファンシーグッズや可愛いフィギュアにする事が よくあるが、最初から あんな感じなのである。

しかし、[1] のビデオジャケのように、照明効果で ずいぶん怖さが出ているカットも。
表情のない人形を動かす仕事が本職の高橋を招聘したのは、正解だったかも知れない。

※ 小川欽也 (1934 - ) の監督デビュー作は、結局3年後のテレビ作品『がんばれ !! 大作』(1962 -63 ANN)。
その後1964年、成人向けの『妾』で映画監督デビュー。ピンク・ポルノ作品を量産し、現在に至る。
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