タイトル画像 番外地 TOPへ
since 2005,   renewal 2009     logo

<< 「町子手帖」が欲しいであります [1] | TOP | 「美しい人間」 イメージ・コラージュ [9] >>

石上三登志 最後の映像 ?
様々な顔 (本名・今村 昭。電通のCMディレクターが本業だった。マンガ評論、俳優としても活躍) を持っていた人だが、わたくしは映画評論の分野で知った、石上三登志が骨髄腫 (癌) のため2012年11月6日に亡くなった。 
11月12日の夕刊で知る。享年73。

奇しくも、11月から日本映画専門チャンネルでは、庵野秀明 選定による岡本喜八 特集 (分かりやすいチョイスの10本だけど…『若い娘たち』とか、地味なのも混ぜて欲しかったな。学園祭のシーンで、ミステリアンのヘルメットが登場したから、庵野監督も気になってるはず) の放送が始まり、その特番『KIHACHI 映画を見る快楽 喜八映画の愉しみ方』に石上氏は出演。

岡本監督夫人・みね子さんと対談しておられたばかり (このチャンネルでは、川本三郎・品田雄吉・白井佳夫らと共に、映画放送前コメントも書いていた) なので、ビックリした。

知られることなく長い間 闘病しておられたのか、発見が遅れ急逝されたのかは知らないが、「病魔の影」は画面で観る限り みじんもない。
撮影時期は、そんなに前じゃないと思うけど…。
膨大な映画・テレビ・ミステリ (明治大学 文学部出身なのに、誘われて早稲田ミステリクラブOB会に入っていた) に関する知識をインプットした頭脳は、あっけなく失われてしまったのだなぁ。

1970年代中盤から80年代中盤、「奇想天外」「映画宝庫」「スターログ」誌などで見せた、邦画洋画を問わない博覧強記ぶりで、この方を知った わたくし。
「地球のための紳士録」(1980) に纏められたような氏の文章によって、初めて名や履歴を知った俳優・特撮マンは多い。
○○は あんな映画で こんな珍演をした、みたいな書きっぷりも上手かった。
10月に亡くなった大滝秀治は、やはり氏の文章で名を覚えた役者だ。
日本では劇場未公開だが、テレビでやったSF・ファンタジー映画を怪・解説した「映画宝庫 SF少年の夢」における特集は今も記憶に残るし、「キネマ旬報」のテレビムービー評も懐かしい。

だが、憧れも「中」程度に留まり、醒めてしまったのは、この方が東宝・東映で特撮・SF映画の「仕事」に一時期 関わり、さしたる成果を示せなかったことによる。
「SWを持ち上げ、日本特撮に対して辛辣なコト言ってた割に、やらせてみたら結局そんなモン ?」みたいな。

日本では小林信彦もそうだが、自他共に認める「映画見巧者」が、ギャグ・アイディア協力やチョイ役出演レベルならともかく、原作提供も含め「大きく関わる」と、思うような成果が残せないものだ…というのを体現してしまった方。
映画と同様に大好きだった、手塚治虫のテーマパーク構想 (川崎に建設する予定だった) へも関わったが、結局コレも頓挫してしまったし…。
友人・森卓也 氏は ほどほどに「降り」て、賢明だった気がする。

暫く、批評分野では なりをひそめた感があったが、近年は「映画宝庫」に憧れた書き手が創った「映画秘宝」誌にも登板し、大冊の映画評論集「私の映画史 - 石上三登志映画論集成」(2012.1 論創社) が出たばかりで、1960〜70年代の作品に惹かれた若い映画マニアに「再発見」されるのは時間の問題だったのに…

石上がファンで交友もあった岡本監督も、『大誘拐 RAINBOW KIDS』(1991) で再び脚光を浴び、大好きな「西部劇」を満を持して撮ったらば (『EAST MEETS WEST』 1995) イマイチでガッカリされ、その後ビッグ・ヒットを残せぬまま亡くなったのを思い出した。

神様は、ホントいじわるだ。
でも どうか、わたくしにだけは来年あたり、「ちょっとだけ」微笑んで欲しいが (笑…なんだ、このオチは)。
| 今週のわたくし2012 SUBCULTURE DIARY 2012 | 09:16 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://blog.koyama.mond.jp/trackback/873287
トラックバック