2012.09.07 Friday
『33号車応答なし』(1955.5 東宝)、および前年公開の『ゴジラ』(1954.11 東宝) 劇中に、タイアップで登場するユタカテレビ。
先回、最後に ちょっと触れたわけだが、今日ネットを検索していて、ユタカテレビを製造していた「ユタカ電機」にお勤めだった方のコメントが載っているブログを発見した。
こいつぁ凄いぜ !
・ 昭和30〜40年代 ほぼ未体験者が観察する「あの頃」
http://19551975.blog32.fc2.com/blog-entry-57.html
2008年11月投稿、「『ゴジラ』〜テレビ受像機と中継」 の項に付けられたコメントを引用させて頂く。
…ユタカテレビが映画『ゴジラ』に映っていましたか。懐かしいです。
私は昭和34〜35年 (1959〜60) 頃、このテレビの製作会社である「ユタカ電機」に勤めていました。
(東京の) 神田に工場があり、工員に身障者を受け入れていて、彼らは流れ作業でテレビ受像機を組み立て、私は受像機の最終チェックをしていました。
しかし零細企業であったため、大手メーカー製のテレビには太刀打ち出来ませんでした。
俳優・志村喬 似の専務の苦しい顔が思い出されます。
私は会社の将来性に見切りをつけ、(退職し) その後 大学に進学しました。
会社の倒産を知ったのは、大学卒業後に (別会社へ) 就職してから7〜8年後、日経新聞の記事によってでした。
ささやかですが、少しでもお役に立てればと思い、メールさせていただきます。…
コメント投稿は、記事が書かれて2年近く経った2010年7月。
ハンドルネームではなく、石井史朗 と記名あり。
残念ながら、ブログの主とこれ以上のヤリトリは無かった模様です。
端正な文章ですし、たぶん実名での投稿。年度の記憶違いはあるかも知れませんが、ガセとは思えない内容です。
これらを事実として考察すると、
・ ユタカ電機は、それなりの規模の工場が神田にあり、ラインでテレビ受像機を量産していた。
・ わたくしが引用した「週刊朝日臨時増刊 テレビ読本」(1959.4) 刊行時には それなりの営業をしており、倒産などしていない。
・ 少なくとも昭和40年代中盤 (1970年代初頭) までは、テレビの製造はさておき、経営存続は していた。
と、いうことでしょうか。
零細だったので広告も出せず、1959年の日本テレビ業界 (放送局、タレント、受像機を製造する家電メーカーなど) を網羅した本にも、名すら載せて貰えなかった ?
たった4年前は、東宝という大きな映画会社とタイアップ出来るコネクションがあったのに ?
謎は深まります…。
芹沢博士や山根博士の家にテレビを納入していたとはいえ、学者 御用達 (笑) のメーカーじゃなく、やはり一般家庭がメイン・ターゲットだったでしょうが。
ソッチは家電メーカーに押されて徐々に撤退 (使ってもらっている お宅だけ、直販するスタイルで存続)、学校や劇場ロビーのような教育・公共施設向けに「特化」していったメーカーなのかも知れませんね。
前記の本に広告を載せていないのは、そのせいかも。
『ゴジラ』 芹沢博士の家のテレビ。
『ゴジラ』 山根博士の家のテレビ。
『33号車応答なし』 電器屋店頭のユタカテレビ。画面ハメコミ合成で映っているのは、のど自慢で歌う大村千吉。
主人は、やはり東宝バイプレイヤーの榊田敬二かな ?
上の2台は、同一モデルのようですね。
…若い好事家に、当時の広告や倒産時の日経記事調査をお願いしたいであります !
※ 1955年。ユタカテレビは、映画館入場の際にお神籤で当たる景品としても提供されていたようだ (新宿劇場、池袋劇場)。
・ 古書の森日記
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/51469313.html
自宅のテレビ (初代、2代目) がユタカ電機 製だった方 (モグたん氏) のコメントは、ここに載っている。
今に続く家電メーカーのテレビを所有する当時のクラスメイトの前で、「うちのテレビはユタカテレビ…とは言えなかった」と書いてあります。
※※ 追記
ユタカテレビについて、もう少し知りたくなった わたくし。
ダメモトと思い、前記の石井様にメールしたところ、(ご存じの範囲で) 丁寧な回答を得ることが出来た。
…どうもありがとうございます。
ひとことで言えば、ユタカテレビ = ユタカ電機は、その名のとおり ? 豊か…裕福な ご家庭へ、訪問販売型の営業をしていた電機メーカーだったのだ。
「テレビ読本」や当時の週刊誌に広告が出ていないことなど、これで頷けた。
わたくしは、何か資料が得られた時点で、石井様の許可を得て、稿を改め再度ユタカテレビを取り上げるつもりです。
当時、自宅のテレビがユタカテレビで、クラスメイトに引け目を感じていたというモグたん氏へ。
貴方の お家は、販売目標にされるような「お金持ち」だったんですよ ! (9月10日)
先回、最後に ちょっと触れたわけだが、今日ネットを検索していて、ユタカテレビを製造していた「ユタカ電機」にお勤めだった方のコメントが載っているブログを発見した。
こいつぁ凄いぜ !
・ 昭和30〜40年代 ほぼ未体験者が観察する「あの頃」
http://19551975.blog32.fc2.com/blog-entry-57.html
2008年11月投稿、「『ゴジラ』〜テレビ受像機と中継」 の項に付けられたコメントを引用させて頂く。
…ユタカテレビが映画『ゴジラ』に映っていましたか。懐かしいです。
私は昭和34〜35年 (1959〜60) 頃、このテレビの製作会社である「ユタカ電機」に勤めていました。
(東京の) 神田に工場があり、工員に身障者を受け入れていて、彼らは流れ作業でテレビ受像機を組み立て、私は受像機の最終チェックをしていました。
しかし零細企業であったため、大手メーカー製のテレビには太刀打ち出来ませんでした。
俳優・志村喬 似の専務の苦しい顔が思い出されます。
私は会社の将来性に見切りをつけ、(退職し) その後 大学に進学しました。
会社の倒産を知ったのは、大学卒業後に (別会社へ) 就職してから7〜8年後、日経新聞の記事によってでした。
ささやかですが、少しでもお役に立てればと思い、メールさせていただきます。…
コメント投稿は、記事が書かれて2年近く経った2010年7月。
ハンドルネームではなく、石井史朗 と記名あり。
残念ながら、ブログの主とこれ以上のヤリトリは無かった模様です。
端正な文章ですし、たぶん実名での投稿。年度の記憶違いはあるかも知れませんが、ガセとは思えない内容です。
これらを事実として考察すると、
・ ユタカ電機は、それなりの規模の工場が神田にあり、ラインでテレビ受像機を量産していた。
・ わたくしが引用した「週刊朝日臨時増刊 テレビ読本」(1959.4) 刊行時には それなりの営業をしており、倒産などしていない。
・ 少なくとも昭和40年代中盤 (1970年代初頭) までは、テレビの製造はさておき、経営存続は していた。
と、いうことでしょうか。
零細だったので広告も出せず、1959年の日本テレビ業界 (放送局、タレント、受像機を製造する家電メーカーなど) を網羅した本にも、名すら載せて貰えなかった ?
たった4年前は、東宝という大きな映画会社とタイアップ出来るコネクションがあったのに ?
謎は深まります…。
芹沢博士や山根博士の家にテレビを納入していたとはいえ、学者 御用達 (笑) のメーカーじゃなく、やはり一般家庭がメイン・ターゲットだったでしょうが。
ソッチは家電メーカーに押されて徐々に撤退 (使ってもらっている お宅だけ、直販するスタイルで存続)、学校や劇場ロビーのような教育・公共施設向けに「特化」していったメーカーなのかも知れませんね。
前記の本に広告を載せていないのは、そのせいかも。
『ゴジラ』 芹沢博士の家のテレビ。
『ゴジラ』 山根博士の家のテレビ。
『33号車応答なし』 電器屋店頭のユタカテレビ。画面ハメコミ合成で映っているのは、のど自慢で歌う大村千吉。
主人は、やはり東宝バイプレイヤーの榊田敬二かな ?
上の2台は、同一モデルのようですね。
…若い好事家に、当時の広告や倒産時の日経記事調査をお願いしたいであります !
※ 1955年。ユタカテレビは、映画館入場の際にお神籤で当たる景品としても提供されていたようだ (新宿劇場、池袋劇場)。
・ 古書の森日記
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/51469313.html
自宅のテレビ (初代、2代目) がユタカ電機 製だった方 (モグたん氏) のコメントは、ここに載っている。
今に続く家電メーカーのテレビを所有する当時のクラスメイトの前で、「うちのテレビはユタカテレビ…とは言えなかった」と書いてあります。
※※ 追記
ユタカテレビについて、もう少し知りたくなった わたくし。
ダメモトと思い、前記の石井様にメールしたところ、(ご存じの範囲で) 丁寧な回答を得ることが出来た。
…どうもありがとうございます。
ひとことで言えば、ユタカテレビ = ユタカ電機は、その名のとおり ? 豊か…裕福な ご家庭へ、訪問販売型の営業をしていた電機メーカーだったのだ。
「テレビ読本」や当時の週刊誌に広告が出ていないことなど、これで頷けた。
わたくしは、何か資料が得られた時点で、石井様の許可を得て、稿を改め再度ユタカテレビを取り上げるつもりです。
当時、自宅のテレビがユタカテレビで、クラスメイトに引け目を感じていたというモグたん氏へ。
貴方の お家は、販売目標にされるような「お金持ち」だったんですよ ! (9月10日)