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双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [1]
映画評論家の長老・双葉十三郎が昨年12月12日、心不全のため99歳で亡くなっていたそうだ。15日に公表された。
大往生と言っていい最後。病床でもDVDで映画は観ておられたらしい。最後に観た映画は何だったのか、とても知りたいな。
話芸で映画の面白さを教えてくれたのが淀川長治なら、文章の芸で教えてくれたのが双葉十三郎であったと思う。そのあと小林信彦や川本三郎が続くわけだが。

この方の名を知ったのは雑誌「スクリーン」の名物連載、「ぼくの採点表」であった。あらゆるジャンルの洋画 (ひところはポルノ映画も含まれた) を☆=20点、★=5点の100点満点で採点する人気コーナーである。
怪獣を親に禁じられた小学校高学年のわたくしは、マンガ以外に映画や江戸川乱歩・横溝正史系推理小説、怪奇幻想系短編、そして星新一・筒井康隆・平井和正に流れるというお定まりのヲタクコース。
その頃出会ったK君の影響が大きかったと思う。両親は教師で、壁一面に本棚が付いた立派な部屋を与えられていた。彼は平井和正の面白さを説いたほか、乱歩の「盲獣」を春陽文庫版で読み「凄いぞ」と勧めてくれたり、毎月購読していた (お姉さんの影響と聞いた) 映画雑誌「スクリーン」「ロードショー」の古い号を貸してくれた (どうしても欲しかった号は適価で譲ってもらった)。それがキッカケで、わたくしは映画の知識が深まったと思っている。そして、“古い号”を求め、古本道にも進出してゆくのである…。
今思い出したが、親が保存していたという、当時はまず目に触れることもない昔の「映画の友」や「キネマ旬報」も貸してくれたな。あぁ、ずっと忘れていたが彼は恩人であったと思うぞ。今、何してる ?

そんなわけで、少ない小遣いを工面し「スクリーン」を買いはじめた (映画のスタッフが横文字表記で記載されていたのが気に入った) のは中一になってから。
双葉十三郎は、最初に買った号では「ぼくの採点表」のほか、トリック映画の面白さを書いた特集記事を受け持っていた。
怪獣路線から厳しい強制撤退をさせられたわたくしは、「トリック、特撮…こういう逃げ道もあるか」と思ったりもしたが、その号で紹介されている新作映画の1本『ドラゴンVS7人の吸血鬼』には失笑せざるを得なかった。

当時 (1974年)、ブルース・リー ブームで火は付いたが供給過多で早くも飽きられはじめた香港カンフー映画と、イギリス名物ドラキュラ映画の合体。中一の目で見てもあまりに陳腐なコラボである。しかも見開き2ページで1作品紹介が基本 (ポルノ映画などはその限りでない) の「スクリーン」で、片面1ページの紹介。「紹介する側も、紙面を割く意欲がなかったのね…」わたくしは嘆息した。
だが次の号、偉い評論家はスルーして当然な映画をちゃんと観て、双葉先生は及第点の70点を付けていた ! これにはインパクトがあったね。「…この人は、凄い人かもしれない !!」
“外見”や“先入観”で判った気になってはいけない。映画の面白さは実際に観てみなけりゃ分からないんだ、そして人それぞれの面白さの見出し方があって当然なんだ…。
『ドラゴンVS7人の吸血鬼』はのちに、土曜映画劇場の短縮版放映で観た。感想は…ウ〜ン (苦笑)。

双葉十三郎の批評を集めた晶文社の「映画の学校」を立ち読み (中学生には、晶文社の本は高すぎてずっと買えなかった) し、その真価に触れるのはもうしばらく後である。

※今日、車庫の2階にある倉庫を掃除する時、雑誌「スクリーン」を捜索してみました。
初めて買った号は1974年10月号と判明。そこに双葉先生のトリック映画特集が載っていたのは間違いないですが、『ドラゴンVS7人の吸血鬼』の紹介記事はその号には載っておらず、同年12月号でありました。…このくらいの記憶違いは許してくれろ。本文は直しませんが、付記しておきます。(2010年3月26日)
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 09:45 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
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