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いつの日か、この子みたいに戻って来れますように [4 完、そして凍結]
では、17分のカット部分には どんな映像が含まれているのか。

・ 人類の夜明けのシーンの一部。
・ オリオン号のシーンの一部。
・ 宇宙ステーション5 内のメーシー百貨店 (デパートが進出しているのか !) で、ヘイウッド・R・フロイド博士 (ウィリアム・シルヴェスター) が娘 (役名は Squirt。お漏らしするくらいの幼女の意味 ? 監督の娘 ヴィヴィアン・キューブリックがノークレジット出演) のためにブッシュ・ベイビー = お猿 を買う場面。原作者アーサー・C・クラーク曰く、「(タイアップしている) メーシーは、このカットをあまり喜ばなかった」とか。
・ 池に白鳥が浮かび、大人や子供たち (キューブリックの、他の2人の娘が出演) が写生をしている、月面クラビウス基地のシーン。
・ そこで ? 宇宙飛行士の家族を紹介するシーン。
・ ディスカバリー号内、副船長 フランク・プールが遠心室で運動しているシーンの一部。
・ プールがスペース・ポッドに乗り、ディスカバリー号から出るシーンの一部。
・ 船長デヴィッド・ボーマンが、コンピューターHAL9000 とやりとりするシーンの一部。
・ ボーマンが予備のアンテナ制御装置を求め、倉庫内通路を行き来するシーン。
・ あと、ドキュメンタリー風のカットがいくつか。船内には卓球台やピアノやシャワーがあり、これに関係するカットであろう。簡潔にするべく、外された。

これらは、ほぼ作品の「内容」に影響しない場面ばかりである。

プロローグに付く予定だった、科学者など専門家へのインタビューフィルム (モノクロ・10分) の現存や、科学技術顧問であるフレデリック・I・オルドウェイ3世が最後まで「あった方がいい」と願ったナレーションが録音されていたかどうかは不明。

と、いうわけで。

これらのシーン17分が再度挟み込まれ、『2001年』が完全版として復活する可能性はゼロではないでしょうが、現行 (ディレクターズ・カット) 版の価値を下げてしまう恐れは充分あります。
たぶん近未来、ブルーレイか次世代ソフトの特典映像として、別ディスクに収録されるんじゃないでしょうか ?

その時、わたくしは再度カテゴリーを思い出し、この子 (スターチャイルドになったボーマン) みたいに戻って来て、改めて『2001年』を自分なりに辿り直すかもしれません。

…残念、今回はこれにて凍結します。

♪また、会いましょう。
どこかは分らず、いつとも分らない。
けれど、わたしたちはまた逢えるでしょう。
ある晴れた日に…

We'll meet again
Don't know where
Don't know when
But I know we'll meet again
Some sunny day
Keep smiling through
Just like you always do
'Till the blue skies
Drive the dark clouds far away

So, will you please say hello
To the folks that I know
Tell them I won't be long
They'll be happy to know
That as you saw me go
I was singing this song

We'll meet again
Don't know where
Don't know when
But I know we'll meet again
Some sunny day

We'll meet again
Don't know where
Don't know when
But I know we'll meet again
Some sunny day
Keep smiling through
Just like you always do
'Till the blue skies
Drive the dark clouds far away

So, will you please say hello
To the folks that I know
Tell them I won't be long
They'll be happy to know
That as you saw me go
I was singing this song

We'll meet again
Don't know where
Don't know when
But I know we'll meet again
Some sunny day...
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:53 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

いつの日か、この子みたいに戻って来れますように [3]

『2001年宇宙の旅』は、試写会やワールドプレミア終了後の「長すぎる、退屈だ」といった観客反応を考慮し、 アメリカ公開前々日の1968年4月4日から5日にかけ、スタンリー・キューブリック監督自身の手によりカットされた。

・ 上映時間161分のオリジナルが19分縮められ、現行 (ディレクターズ・カット) 版になったという。
1970年に出版されたジェローム・アジェル著 邦訳題「メイキング・オブ・2001年宇宙の旅」(1998 ソニー・マガジンズ) の記述である。
IMDbでも、160分から19分縮められ上映時間141分になった、と書いており ほぼ同じだ。

・ 現在、DVDなどのソフトに収録されているのは当然この版のはずだが、実測148分強。
この差は一部が復元されたからではなく、序曲 (3分弱) 休憩 (3分弱) 退場曲 (4分強) の黒味を141分に加えた上映時間だと思われる。

・ 昨年暮れ、この時カットされたフィルムに関するニュースが報じられた。
カンザス州の岩塩坑にある、ワーナー・ブラザーズ社のフィルム保管庫でそれが発見されたという。
http://www.cinematoday.jp/page/N0029115

情報源は特撮で参加したダグラス・トランブル。彼がカナダ・トロントのイベントで明かし話題になった。
分数は17分。19分とは2分のズレがあるが、許容範囲か。

・ レナード・マルティンのガイド本 2004年版だと、上映時間は139分になっている。先の141分より2分短い。また、キューブリックがカットした分数は17分と書いてある。これは今回確認されたフィルムの分数になぜか等しい。

・ 映画のビデオソフト化が当たり前になり、マニアじゃなくても上映 (収録) 時間を気にするようになった1980年代後半に発行された「イメージフォーラム」キューブリック特集号 (1988) では、上映時間152分とある。
ここに、『2001年』現行版完全上映を誌上再現した一文が掲載されているが、どうも休憩がDVDの3分弱より長く、5分ちょっとあるようだ。148分強と152分の差は、この休憩トイレタイム ? で出るのかもしれない。上映再開前には、呼び出し放送もあるし (わたくしも、リバイバル上映で体験したような気が)。
国によって、休憩時間の長さを変えているのかもね。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 11:32 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

いつの日か、この子みたいに戻って来れますように [2]
『2001年宇宙の旅』アメリカ劇場公開は、1968年4月6日であった。

日本でも間を空けず、4月11日 (木曜日) に公開されている。 

・ 公開前日の4月10日。シネラマ方式大画面上映が売りのテアトル東京では、名士を集めた試写会が行われた。
竹内博氏の年譜によれば、その会場には我が円谷英二特技監督も来ていたという。
招待は当然だと思うが、不思議な事に、求められたであろう感想・コメントの類が見当たらないのはどういうわけか。
『親指トム』『十戒』『ミクロの決死圏』など、特撮が評判になった海外作品にはエッセイやコメントを残している円谷なのに。
ひょっとして、前週から鳴り物入りで始まった『マイティジャック』の視聴率が思わしくなかったので、コメントどころではなかったかも。

・ 初公開時の惹句のひとつ「未知の世界へ冒険旅行 アッ危い ! 命綱が切れた ! この楽しさ ! 美しさ ! スリルとサスペンス溢れる奇抜な物語 !!」
…嘘はひとつも書いてないコピーだけど、なんか違う (笑)。

・ 日本ではヒットしなかったという説もあるようだが、『卒業』『猿の惑星』『続 夕陽のガンマン』に次ぎ、1968年度洋画興収4位の大ヒットであった。
猿人メイク対決 ? でオスカーを攫われた『猿の惑星』にはここでも負けたが、収益差はネット情報によると2000万円ほど。
『2001年』、「難解」という評判だったが、大画面の見世物映画として大いに実力を発揮したと思われる。

・ “文部省特選”のお墨付きも、児童を持つ我が国のご家族層に威力を発揮した事だろう。
特選の理由 1968年4月22日
「33年後の2001年には、月以外のどんな宇宙へ到達し、そこにはどのような世界が存在するかを描いた空想科学映画。可能とされている未来の科学技術を想定し、未知の空間、宇宙の驚異、冒険を、巧みな映画技術を駆使してとらえた、傑れた作品である」

・ 公開時には新聞広告がらみだが、映画評論家の荻昌弘がスタンリー・キューブリック監督に国際電話インタビューをしている。当時としては画期的だったろう。

・ 「難解である」というので、配給元のMGMは字幕の他に、キューブリックが排した“解説ナレーション”をワザワザ入れた版を作った。
まだまだ大らかな時代だったから、キューブリックの許可は得ていないと思われる。
森卓也氏によると、名古屋の中日シネラマ劇場では、先の[1] で紹介した大詰めの場面に「これは宇宙人が作った部屋なのです」というようなアーサー・C・クラークの原作に基づくナレーションが入ったという。
大阪でも同様だったそうだ。

・公開に先立ち 「週刊少年マガジン」3月24日号では、巻頭特集が組まれた。表紙画はご存じ、小松崎茂 画伯。

ただ、公開直前にもかかわらず、メインメカ・ディスカバリー号 (Discovery) は“ディスカバラー”と表記されている。とてもそうは読めないぞ。

構成は大伴昌司。誤植なのか、大伴の読み違えか、はたまた金星ガニに代表される彼流のネーミングセンスが発揮されたのかは不明。

そういえば、この月着陸船エアリーズ号 (Aries IB。原作の訳では1B号 となっており、モデルキット箱絵なども1-Bと書いてるけど、海外サイトで多く採られている前者が正解のような気もする。原書はどうなのか。) も訳し方によりアリエス号となっている。

・ 1969年3月、ロサンゼルスのドロシー・チャンドラー パビリオンで開催された、第41回アカデミー賞授賞式 (1968年度公開作品が対象) で、特殊視覚効果賞を受賞。ライバル作は『北極の基地 潜航大作戦』。
特撮担当者の人数が多すぎアカデミー規約に反していたため、スタンリー・キューブリック監督が代表として受賞。

キューブリック、生涯唯一のオスカーであった。
オリジナル脚本賞、監督賞、美術監督・装置賞はノミネートだけに留まった。メル・ブルックスの『プロデューサーズ』(日本ではビデオ発売のみだったが、2000年に劇場公開) と、作品賞も獲ったキャロル・リードの大作ミュージカル『オリバー !』に持っていかれたのだ。

※ ウィキペディアによると、中日シネラマ劇場ではMGMマークが出るまでの序曲部分に、3色ライトが廻る独自の“場内演出”もしたらしい。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 23:58 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

いつの日か、この子みたいに戻って来れますように [1]
400万年前の太古。
猿人たちの前に突如現れた、謎の黒石板。
太陽と月が直列した時それに触れ、骨を武器とする事や他の動物を「殺し」喰らう事も覚えた彼ら・人類は「進化」し、今や宇宙に進出する勢いであった。

月での“ある発見”から18か月後の2001年。
副船長 フランク・プール (ゲイリー・ロックウッド) ら同僚を失ったが、メインコンピューター HAL9000 (声 ダグラス・レイン) の“任務の秘密を話せぬストレスからきた反乱”に対し、機械を「殺し」て身を守った、宇宙船・ディスカバリー号の船長 デヴィッド・ボーマン (キア・デュリア)。

ミッションの目的地・木星に達すると、そこには月のティコ・クレーター地下で発見され、木星に向かって電波を発した (その時、月面から見て太陽と地球が直列)、謎の黒石板 = モノリスと同じものが浮かんでいた。
スペース・ポッドで船外に出るボーマン。またしても衛星やモノリスが直列し、空間から光の矢が流れ出た。

宇宙を突破する長い旅。

気がつくと、ボーマンは何処ともしれん部屋 (この室内調度は、ロンドンのドーチェスター・ホテルをヒントにしているらしい) の中に居た。そして老い、伏したベッドでまたモノリスと対峙する。

胎児の姿になるボーマン。
1人生き残った彼は、猿人を進化させた“何者か”によって、新たな人類の姿・スターチャイルドとして「進化」、または生まれ変わったらしい。

そして、戻ってきた胎児のボーマンが、青い地球を見つめている (原作では その“能力”で、軌道上を廻る核搭載攻撃衛星を破壊する ! 撮影用シナリオまで作られたが、『博士の異常な愛情』と似るため、却下となった)…という、有名なラストシーン。

光芒の中に浮かぶ胎児・スターチャイルドは、最初リアルな作画だと思ったが、グラスファイバー製のモデルだという。
目はリモコン仕掛け。当然だが、ボーマン役のキア・デュリアに似せて作られている。

造型したのは、リズ・ムーアという美術部門の女性スカルプター & ペインター。
IMDbによると、『スージー・ウォンの世界』『時計じかけのオレンジ』(ヌード家具を担当し、キチンとクレジットされている)、『スター・ウォーズ』にも参加。
残念ながら、『遠すぎた橋』制作準備中に交通事故死したそうだ。

スターチャイルドのモデルはMGM倉庫に保管されていたようだが、キューブリックのドキュメンタリー『ア・ライフ・イン・ピクチャーズ』によれば、火災で焼失したらしい…合掌。 (←今日、念のために一部を再見したが、こんな証言は出てこなかった。またしても捏造記憶だったか ?)

※ ドーチェスター・ホテル、室内の一例。なるほど、スターチャイルドになっちゃいそうな部屋があるね…いっぺん泊まってみたいぞ (『シャイニング』にも影響を与えているな)。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 10:01 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [9 完]
誰も覚えていないと思いますけど、このカテゴリー 『2001年宇宙の旅』雑記帳 を更新しなくなって2年半。

ストーリーに沿って、集めた画や資料を自分なりにまとめ並べつつ、100回ほどで人類の夜明けからスターチャイルド誕生まで持っていこうと考えていたのですが…。
ブログの移行やら容量アップやらと重なり、更新が止まったのが運の尽き。資料は集めたもののテンションが落ち、木星はおろか月面基地にも到着しないまま、時は流れ。
昨日久しぶりに思い出し、この際「凍結」しておこうと決意したものの、若干の追記とオチだけは付ける事にしました。
スタッフ系の紹介が途中でしたが、やはり この人を外すわけにはいきません。

メイクアップ・アーティスト、スチュアート・フリーボーン (1914 - )。
まだ ご存命とは…たいへん失礼しました。

本作で手掛けた猿人 (ヒトザル) メイクが、アカデミー賞で『猿の惑星』(その頃メイクアップ賞は無く、名誉賞として受賞) に負けたというのは、今となっては信じられない事実。
当時「関係者も大いに落胆した」と研究書に書かれているし、原作者アーサー・C・クラークも「事あるごとに憤慨した」と自著に記している。
っていうかスチュアート、オスカーはノミネート経験すら無いのだ ! 意外。

革新的な猿人造型だが、マスク部分のメカニカルはコリン・アーサーがノークレジットで担当しているという。
もちろんこれだけではなく、ラスト近くに見られるボーマン船長の老けメイク (目元のシワ表現 !) も質の高い仕事だ。

イギリス出身。
父・グラハム (? - 1986) もメイクアップの仕事をしており、ノークレジットで『2001年…』にも参加。『スーパーマン』などでは親子でクレジットされていた。
スチュアートは1930年代から、映画界でメイクアップの仕事を始める。
のちにそれが、特殊メイクといえる分野にまで進化したわけだ。

スタンリー・キューブリック監督との出会いとなった『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズ3変化、『スター・ウォーズ』最初の3本 (1977〜83) の特殊メイクとクリーチャー・デザイン (自分に似せて作ったというヨーダ !) だけでも映画史に残る人だが、同時期にクリストファー・リーヴの『スーパーマン』シリーズ4本 (1978〜87) にも参加している。

ノークレジットで参加している『バグダッドの盗賊』の他、『オリヴァ・ツイスト (現在は オリバー・ツイスト 表記)』『暁の出撃』『戦場にかける橋』『素晴らしきヒコーキ野郎』『素晴らしき戦争』『オーメン』など作品多数。
最後の仕事は、1990年のTVムービーらしい。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 08:57 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [8]
特殊撮影効果アーティスト、ブライアン・ジョンソン (生年不詳) 。

『2001年』に参加した特撮マンのうち、後世いちばん名を成したのはこの人でしょう。『エイリアン』『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』『ドラゴンスレイヤー』『ネバーエンディングストーリー』『エイリアン2』の特撮を担当したといえば分かりやすいですね。
参加しているという情報は早くから知っていたんですが、クレジットに名がない。特殊効果撮影チームとしてクレジットされているブライアン・ロフタスという人がそうかなとずっと思っておったんですが、違いました。
ジョンソンが改名しているのは事実 (旧名はブライアン・ジョンコック、養子に行ったのかな) ですが、本作にはノークレジットで参加していたんですね。

ご存じの通り、ジョンソンは精緻なミニチュア特撮が人気の人形劇『サンダーバード』のスタッフとしてデレク・メディングスの下で働いていました。
キューブリックは『2001年』にそのメンバーを貸してくれないかと製作者ジェリー・アンダーソンにコンタクトします。
「未来映画術」によると、キューブリックから「昼食でもどうか」という電話があり、アンダーソン側は「喜んで」と答えましたが、「うちのスタッフを借りたいのならお断り」とクギを刺します。するとキューブリックは「なら食事をする意味はない」と電話を切ったとか。
本では“キューブリック流の時間節約術である”とフォローしているものの、アンダーソン側の感想「なんと失礼な」は当然ですね。
でも結局キューブリックは大量の模型製作者や技術者を引き抜いてしまったといいます。この時引き抜かれたひとりがジョンソンでした。
「ジェリー・アンダーソン自伝」によると、この電話から2、3週間後にジョンソンは「『2001年』に製作助手として参加する」と退社願いを持ってきたとか。

大志ある特撮マンとすれば…ミニチュア特撮の大家・メディングスの下では永久に2番屋のジョンソン。新技術を学ぼうという気持ちでこのスカウトに乗ったのではないかな、と推察。「サンダーバードアルバム」によると、ミニチュア特撮の繰り返しで不満だった、ともいいますし。
ジョンソンは『2001年』の現場で体験したキューブリックの“ちょっといい話”を「未来映画術」で披露しています。

『2001年』に『サンダーバード』の血が入っているのは間違いないですが、キューブリックが本当に引き抜きたかったのはメディングスだったのでは ?
DVDに収録されたドキュメンタリーでは、ジョンソンは当然ながら引き抜きについては言及しておりません。
なおジョンソンは数年後『スペース1999』でアンダーソン作品に復帰、『2001年』仕込みの宇宙特撮で恩返し ? しております。

『サンダーバード』撮影中のメディングス特撮監督とジョンソン (右) 。ふたりは『スパイ・ライク・アス』(1985) の特撮で久々に同一作品にクレジットされています。
| 『2001年宇宙の旅』雑記帳 (凍結) FOLDER OF "2001: A SPACE ODYSSEY" | 09:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [7]
特殊撮影効果スーパーバイザー、トム・ハワード ( ? -1985)。

昨日探したんですが、この人の写真は家にありませんでした。1981年の「スターログ」日本版にプロフィールがあったので下に貼っておきます。
ただ、この時点で亡くなっているように書いてあるけど、IMDbによると実際に亡くなったのは4年後の1985年。同名異人と間違えたかな ?

イギリス出身の特撮マンで、1945年のデヴィッド・リーン監督作『陽気な幽霊』で早くもオスカー受賞。『2001年』当時はMGM専属だったようです。
『クオ・ヴァディス』『モガンボ』『去年の夏突然に』『宇宙空間の恐怖 光る眼』『キャプテン・シンドバッド』『予期せぬ出来事』『黄色いロールスロイス』『633爆撃隊』『荒鷲の要塞』『戦争と冒険』『むく犬ディグビー』などに参加。

わたくし的にはイギリス版ゴジラ、ガッパの元ネタとしても有名な『怪獣ゴルゴ』の特撮監督として認識していました。あとV1号、V2号ロケットと秘密基地爆破の特撮が迫力だった戦争アクション『クロスボー作戦』もこの人の仕事だったんですね 。
ジョージ・パルの下で特撮を担当した『親指トム』でもオスカー受賞。公開時、円谷英二は合成された小さなトムに影が付く技術を誉めていたように記憶します。
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美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [6]
特殊撮影効果スーパーバイザー、コン・ペダーソン (生年不詳) 。

ダグラス・トランブルと同じで、『TO THE MOON AND BEYOND』(月より彼方へ) に参加していたが、これを観たキューブリックに見出されやがて英国に渡り、『2001年』(1968)の特撮チームに参加した。
『2001年』を終えたペダーソンはアメリカに戻り、かつてジョン・ウイットニーの助手を務めていたロバート・エイブル (1937-2001) と共に、ロバート・エイブル&アソシエイツを結成した。そしてモーションコントロールカメラと複雑なオプチカル合成を駆使して、色彩と光があふれるサイケデリックな作品を次々と生み出し、テレビ広告業界に一大流行を巻き起こした。
CM以外でこの時期の代表作は『エルビス・オン・ツアー』(1972)。これ観たことないんで、一度観てみよう。

この人の名も最近聞きませんが、IMDbで見るとCGアニメーターとして活躍している模様。
ゲイリー・シニーズ主演の『クローン』(2001) とか、クリスティナ・アップルゲイト主演の『ハッピー・フライト』(2003) とか、ラジー賞受賞作『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』(2004)とか…ちょいトホホ系。スーパーバイザーではなくスタッフ参加のようなんですが、これはセンスが時代に追いつかなくなって修行しているのか、悠々自適の身なので単なる道楽参加なのか ?
なおコン・ペダーソンのコンはコンラッドの略。

※ トランブルとペダーソンの項は、ネット上の大口孝之氏のテキストを参考にしました。
※※ 綾瀬はるか主演の邦画は『ハッピーフライト』。“・”があるかないかって、『キング・コング』と『キングコング』以来か ?
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美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [5]
特殊撮影効果スーパーバイザー、ダグラス・トランブル (1942 - ) 。
『2001年』に参加した特撮マンというとこんにち、誰もが思い浮かべるのはトランブルであろう。

CGの祖・実験映画作家ジョン・ウイットニー (1917-95 『めまい』のオープニング、『アンドロメダ…』にも参加している) は、広報・教育映画を手がけるロスのグラフィック・フィルムズ社に協力し、1964年4月から65年10月に開催されたニューヨーク万国博覧会 (NEW YORK WORLD'S FAIR) のトランスポーテーション&トラベル・パビリオン用の全天周映像『TO THE MOON AND BEYOND』(月より彼方へ)製作に参加した。

もとは建築家志望だったというトランブル。グラフィック・フィルムズ社で軍やNASA用の教育アニメの背景画などを描いており『TO THE MOON AND BEYOND』に参加していたが、同様に参加していたコン・ペダーソンとともにこれを観たキューブリックに見出されやがて英国へ渡り、『2001年宇宙の旅』(1968)の特撮チームに参加する。
当初はイラストレーターとしてであったが、革新的アイディアを次々出してチームのの中核となった。「自分でも意外なほどいろんな意見やアイディアを出した。まわりにとっても意外だったと思う」と語っている (「未来映画術」) 。

ウイットニーのノウハウは、トランブルによってスターゲイト・シーンの"スリットスキャン"へと発展した (キューブリックの要望は「カメラが何かを通り抜けるような感じ」であった)。まだ20代中盤の事である、才能はどう花ひらくのかワカランものだなぁ。

その後の監督及び視覚効果分野での活躍については皆さんよくご存じの通りですが、もう長い間彼の名を映画のクレジットタイトルで見ていない。
近年は博覧会やテーマパーク向けの作品中心に活動するようになったトランブル。十二分に名を成したので、コセコセ働く必要はないんだろうが、最近は担当作品のDVD化の際に特典で付くメイキングドキュメンタリーで見かけるばかりなのは寂しい限り。

BBCの『ブレードランナー』ドキュメンタリーより。壁に『2001年』のポスター (日本版か) も貼ってある。
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美術と特撮の華-スタッフ紳士録- [4]
特殊撮影効果スーパーバイザー、ウォリー・ヴィーヴァース ( ? -1983) 。
どこかでプロフィール紹介を読んだ記憶があったが、たどり着いたのは1981年の「スターログ」日本版であった。ウチにあるヴィーヴァースの写真はこれだけみたいね。

イギリスの代表的な特撮マンのひとり。
キューブリックとは『博士の異常な愛情』(1964) で組み、爆撃機がらみの特撮は優秀であった。それ故の本作起用であろう。
伝統的な職人肌の男。『2001年』の特撮に参加したブライアン・ジョンソンはヴィーヴァースについて、「模型一つを固定させるにしても完璧。地震が来ても倒れない。フィルム上でグラついて見えたならそれはキャメラのせいで、セットのせいじゃない」と語っている (「未来映画術」) 。

わたくしたちが血や肉にしてきた、そーゆー種類の映画に多数参加。『ナバロンの要塞』『ソドムとゴモラ』『空軍大戦略』『ツェッペリン』『007 ダイヤモンドは永遠に』『ジャッカルの日』『遠すぎた橋』『スーパーマン』『レイズ・ザ・タイタニック』…IMDbによると、ノークレジットで『アラビアのロレンス』や『ジャガーノート』でも仕事をしているという。
わたくし、遺作はジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』(1981)で、たしかラストにヴィーヴァースに捧ぐ、という一文が入ったと記憶していたけど…調べるとこの後『ザ・キープ』『ローカル・ヒーロー 夢に生きた男』(1983) あり。
…あぁ、またしても捏造記憶なんでしょうか。
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