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幻のモデルアニメ映画 Along the Moonbeam Trail〔2 完〕

Along the Moonbeam Trail(1920)で私が一番グッと来たもの、それは中盤に登場し複葉機とチェイスを演じるコウモリ翼竜である。
トビトカゲとコウモリを足して、プテラノドンとランホリンクスのイメージに近づけたような形状。舌をチロチロさせるアップモデルはそうでもないが、下の写真の造形物は顔が白骨ムササビみたい。

画面を右へ左へと横切るカット(たぶんガラスに貼り付けた写真をスライドさせ撮影)で使われている。
ハーバート・M・ドーリーの生んだ、オリジナル傑作怪獣ではないか。
複葉機に武器があり、コイツと空中戦を演じたら最高だったろう。
良いものを観させていただきました。
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幻のモデルアニメ映画 Along the Moonbeam Trail〔1〕

esme様からご教示いただき、YouTubeで失われたと思われていたモデルアニメ特撮短編映画 Along the Moonbeam Trail(月光跡に沿って 1920 アメリカ サイレント、音楽入り)を観た。
映画評論家レオナルド・マルティンのテキストによれば、各地に残る断片を寄せ集めたそうだが、完全版は無理で尻切れとはいえ復元の苦労が偲ばれる。

監督は、これが処女作のハーバート・M・ドーリー(1880〜1970)。
不思議な人物で、IMDbによれば彼の死亡記事での経歴は、映画製作者や監督やモデルアニメーターや彫刻家といった特撮オタクが知っているようなキャリアに重きは置かれず。
ニューヨークにあったピアスアロー自動車会社の、チーフカーデザイナーとしてであった。
特にヘッドライトをフェンダー(前輪タイヤ上のカバーパーツ)と一体化させた有名なスタイルは、ドーリーのアイデア(特許取得とか)という。
この車を収蔵するトヨタ博物館の解説文だと、ピアスアローはパッカード ピアレスと合わせて “スリーP” といわれたアメリ力の超高級車。その品質や格式の高さは、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあったという。パワーブレーキ、油圧タペット、アルミを使用した軽量ボディなど技術的にもすぐれていた。
ドーリーは1912年にピアスアロー自動車に入社し、会社が倒産する1938年(恐慌後、安価な大衆車しか売れない時代になったからか)まで、ほとんど全ての車種のデザインに関わる。
アニメ関係では本作のあと、1922年にニューヨークでハーバート・M・ドーリー映画会社を設立。影絵アニメ映画(美女と野獣 眠れる森の美女 アラジンと魔法のランプ ジャックと豆の木なども題材にしている)を作り、自らアニメーターとして活躍する。ピアスアロー、副業OKだったの?
思いっきり手間のかかるアニメ仕事は、助手(トニー・サーグという人形師が協力)を使ってもカーデザイナーと両立可能と思えないが…1925年以降の作品がないので、やはり無理が来て この分野から完全撤退したのだろうか?この件は最後にもう一度考えたい。
ピアスアロー社倒産後は、モデルアニメよりも自ら演じたい欲求が高まったか。1936年から始まり21年も続いたという連続ラジオドラマ「ギャングバスター」や1937年から20年も続いたソープラジオドラマ「ヒルトップハウス」に出演。
さらにニュー・ジャージー州の劇場 チャタムプレイハウス創設者の1人にもなっていて、52年間に115の芝居(ミュージカル、コメディ、一般ドラマと手広い)を演出したという。
カーデザイナー、映画製作者とアニメーター、ラジオ声優、演出家は時期がダブってる(ピアスアロー在籍は1907〜16、舞台演出と映画会社は1922〜で、ダブってないという資料も)…家は裕福で家族もあったようだが、多才な人って動けるもんだねぇ。

Along the… のストーリー。
「ロミオとジュリエット」の一節の引用から始まる。
月光の妖精?(それなりにキュートな女の子、役者不明)が森に降り立ち、キャンプしていたボーイスカウト風のおじさん(監督のドーリーが演じた)と2人の少年(ドーリーの息子たちが出演と書いた資料もあるが、苗字はデイになっている。後述する The Ghost of Slumber Mountain にも出演)が遭遇する。
妖精が用意した魔法の複葉機に乗り、3人は月に飛び立つ。タバコをふかす半月の周りを旋回するうち、月光の妖精たちのダンスを見たり、ホウキの魔女とすれ違う。天界の軍神は、複葉機と魔女がぶつからぬよう交通整理してくれた。
そこへ突如、舌をチロチロさせる巨大コウモリ翼竜が追ってきた。慌ててキリモミ降下で着陸し、洞窟に隠れる3人。先史時代の恐竜ステゴサウルス(やはり舌をチロチロ)が現れ、洞窟から観察。ステゴが去った後には、トラコドンとティラノサウルスの激闘が。終わった頃、妖精が迎えに来て…。

これが、現在知られている限り最初の、 同一ショットにおいてリアルなストップモーションアニメの恐竜と俳優を合成(二重露光か、黒マスクして撮影した恐竜アニメフィルムに人物を再撮影か、分からない)した映画だという。
洞窟内の3人が見られるように現れたり、戦ったりする恐竜。画面左の闇に3人、右で戦っている恐竜という構図である。
前半の特撮も興味深い。月は特殊メイクした俳優(役者不明、メリエスの『月世界旅行』オマージュだろう)。月を飛ぶシルエットの小さな複葉機は、たぶん手描きアニメ。魔女は、操演とモデルアニメ。コウモリ翼竜はモデルアニメだが、左右に飛ぶところは写真をガラスに貼り付け引っ張ってるようだ。

この10分ほどの特撮短編映画は、『キング・コング』の高名な特撮マンでモデルアニメーターのウィリス・H・オブライエン(1886〜1962)の初期作品 The Ghost of Slumber Mountain(眠り山の幽霊 1918、ドーリーが製作し出演も。オブライエンまで出演)のフッテージから流用された恐竜の映像を使ったと言われてきた。
ウィキにも書いてあるし、IMDbで監督はオブライエンとドーリー連名になっている。だが発見・復元された現物を観ると、まったく別のオリジナル作品と分かった。

「カートゥーン100年史を完全解説する試みウィキ」、STUDIO28「モンスターメイカーズ」によると。
ニュー・ジャージーの金持ちで、上記のようなキャリア。彫刻家(自分で5メートルもある恐竜像を作り写真撮影していた。彫刻の才能は、車のクレイモデル作りでも生かされたのでは)でもあり、自ら恐竜モデルアニメ映画も作ろうとしたが過去に失敗していたドーリー。
モデルアニメ映画を自主制作し、エジソン社に見せて評価され入社するも、金銭面の問題で辞めた時期のオブライエン。
たまたまオブライエンの映画を観て感心したドーリーは彼を雇い、The Ghost …という恐竜アニメ映画を作らせる。
完成し興行も成功したThe Ghost… 。製作者ドーリーは配収のみならず芸術的・技術的な貢献(モデルの骨組みであるアーマチュアの技術を、オブライエンに盗まれたと告訴)も我が物にしようとしたが、頭角を現わしつつあったオブライエンの功績は明らかであり、沈黙する。
この従来伝えられていた定説に対し「パートナーのドーリーに詐取されようとしたオブライエン、ドーリーは悪者として一貫し伝えられた。だが、古生物学者で1978年に映画『恐竜の惑星』を製作したこともあるスティーヴン・A・ツェルカス(2015年に68歳で死去)は、奥様が纏めたDVD付きの遺著で、歴史を書き直した」とマルティンは書く。
ツェルカスはオブライエンとドーリーの確執を研究するのに年月を費やし、ドーリー=悪人 オブライエン=犠牲者であったという長い間の定説を覆す証拠を発掘したのだ。

ただまぁ、それが分かっても。
恐竜モデルアニメーターに限って言えば、技量の差は歴然で。ドーリーが1925年以降アニメから手を引いたのは、同年に公開されたオブライエンの長編傑作『ロスト・ワールド』を観たからじゃないか?
しかし…長期的に見ればだが、財力があって しっかりした正業もある多才な人物に、絶頂期はあったがモデルアニメ一代男は敵わなかった。
もしオブライエンが、困っていた時期に自分を雇ってくれたドーリーの要求を受け入れ、黒子的な役割だが作品を作らせてもらうパトロン・協力関係が続けば。歴史が変わり、晩年に困窮する事もなかったのでは…あくまでIFの世界ですが、そんな事も考えてしまいました。
1962年秋、参加した久々のメジャー大作喜劇映画『おかしなおかしなおかしな世界』非常階段シーンのモデルアニメ準備中に心臓発作で急逝した年下のオブライエンの訃報をドーリーは読んだと思うが、何を思ったろうか。

さて、初めて観た Along the …ですが。特撮オタクの私には、グッとくる収穫があったのです。

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手塚治虫が幼い頃に観た、謎の映画 [2]
謎の映画『ラジウムX』は、『透明光線』(1936) と判明していた。
では、同時上映されていた『大自然と創造』は ?

手塚によれば、ドイツ・ウーファ社 (最近はウーファー表記らしい) 製の文化映画で、地球の誕生から終わりまでを特撮を交えて描いているという。
恐竜の生態や、胎児が成長し大人になるまでをモデルアニメで表現したカットも。
後者は、手塚の母が感嘆する出来映えだったという。
ただ、太陽系の惑星が廻っている特撮は下手で、メリーゴーラウンドのような「仕掛け」が見えていたそうだ。

石上氏は この映画を、「確認出来なかった」と注釈で書いているが、キネ旬の作品大鑑を調べ、それらしい内容の映画として2本を挙げておられる。

今回 調べると。
そのうちの1本『人類一億年の暴露』(1934 アメリカ) は、エドウィン・キャレウェ監督によるドラマであり、問題外だったが。
わたくしは先日、もう1本の『世界の一億年』(1923、日本公開1930) をネットで観て、この映画が『大自然と創造』ではないか ?…と考えた。

『世界の一億年』(原題 Evolution、別題 Darwin's Theory of Evolution から 『ダーウィンの進化論』と紹介される場合もある) は、アニメで成功したマックス・フライシャーが、野心を持って文化映画に挑んだ40分強の短編だ。
アメリカ自然史博物館に監修を仰ぎ、ダーウィンの進化論を、生物の記録映像や様々な人種の映像、モデルアニメの恐竜や人類の祖先のリアルな復元彫刻も交え描く短篇である。

同年にマックスは、アインシュタインの相対性理論を取り上げた文化映画も作っており、これも好評を博したという。
息子で映画監督のリチャード・フライシャーは、著書「マックス・フライシャー アニメーションの天才的変革者」(2005、2009 作品社・刊) の中で本作が大ヒットしたと書き、宗教上の理由から進化論を否定する人も多いアメリカのこと、上映館では口論・殴り合いが起きたとも書く。
この後、『ポパイ』や『ベティ・ブープ』のシリーズで更に有名となるマックス・フライシャーは、本作を気に入っていたそうだ。
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アメリカの国策戦争映画『北大西洋』は、特撮ファン必見
10月に発売された、ハンフリー・ボガート レイモンド・マッセイ主演『北大西洋』(1943) は、第2次世界大戦中にアメリカで作られた、戦意昂揚が目的の国策戦争映画である。

『カサブランカ』を終えたボガートを主演に迎えているが、ロイド・ベーコン監督じゃあ、「ワザワザ買って観るまでもない作品」と思う人も多いだろう。

内容も、
高性能ガソリンを運ぶアメリカ輸送船団。
襲うナチス・ドイツ軍のUボートや戦闘機。
という、アリガチなパターン。しかも2時間を超える長尺で、モノクロ作品だ。

1951年に日本公開されたときの双葉十三郎による採点は、50点。
国策映画なので、終戦直後の日本で点が辛いのは仕方ないが、双葉氏が触れていないゴチソウが本作にはある。
それは特撮だ。

我が国でも、『ハワイ・マレー沖海戦』(1942 東宝) を筆頭に、大戦中に作られた国策戦争映画は特撮技術に大いなる発展を もたらしたが、本物の戦闘機や軍艦が使えるはずのアメリカでも同様で。
大戦中はアカデミー賞の視覚効果賞…1962年までは特殊効果賞と呼ばれた… を、国策戦争映画が受賞 (『特攻決戦隊』『東京上空三十秒』など) するケースも。

この映画、アカデミー賞の選には何故か漏れている (ノミネートすら されていない) が、隠れた逸品として押したい。
特撮担当は、『風と共に去りぬ』のジャック・コスグローヴ (特技監督 扱いだ) とエドウィン・B・デュパー。
エドウィン・B・デュパーは、作品によっては「A・デュパー」名義にしている特撮マン。自ら、担当作をA級とB級に分けているわけじゃないだろうが…。
誰か、この謎を解いてくだされ。

それは、ともかく。
艦船 特撮好きには堪えられない、ミニチュアによる珠玉の特撮カットが満載です !

後年の『南太平洋』(1958) と題が似ているから、店頭でミュージカル映画と思っちゃう人も いるかもしれませんが (笑)。
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終戦記念日特集 ? ザ・キャンプ・オン・ブラッド・アイランド [2 完]
『戦場のメリークリスマス』、略して『戦メリ』で、ジャワ島レバクセンバタの捕虜収容所長・ヨノイ大尉を演じた、坂本龍一。

THE CAMP ON BLOOD ISLAND  で、マレーの捕虜収容所長を演じた マーン・メイトランド (インド生まれのイギリス男優。『クレオパトラ』『フェリーニのローマ』、『007 黄金銃を持つ男』で銃器業者を演じた人)。

メイクはともかく…リュウイチ・サカモトに似てませんか ? 特に鼻の下 (笑) !
しかも、役名は サカムラ という。

日本とイギリスほかの合作映画、『戦メリ』。
思えば、プロデューサーの ジェレミー・トーマス も出演を承諾した デヴィッド・ボウイ も、1940年代後半生まれのイギリス人だ。
初公開時は無理だろうが「多感な時期」に、テレビの深夜映画か名画座 (1973年の『フォロー・ミー』には、ハマー・フィルムの旧作を上映しているロンドンの映画館が出てきた) で、THE CAMP ON BLOOD ISLAND を観ていても、おかしくない。

『戦メリ』における、プロデューサーと大島監督の力関係は よく知らないが、金を出す立場の ジェレミー・トーマス が こう思いGOサインを出したと推測しても、間違いなかろう。
「日本軍の捕虜収容所を描いた映画は、前例もあるし商売になる」
芸術的なのか、残酷を売りにするかは別にして。

ウィキによれば『戦メリ』の原作は、イギリス在住の作家 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト が日本軍捕虜になったときの体験を織り込んで書いた、3部構成の本「影の獄にて THE SEED AND THE SOWER」収録の2エピソードだという。
そのひとつ「影差す牢格子」は1954年に発表されたが、もう一つの「種子と蒔く者」は1963年に発表。同年、この作品を書名とし単行本になったらしい (女性が登場する、残り1つのエピソードは「剣と人形」)。

本国でも評判になったろう。
その翌年の1964年、ハマー・フィルムは THE CAMP ON BLOOD ISLAND の続編を何と6年ぶりに制作、公開した。
その名も クエンティン・ローレンス監督 (テレビ畑の人らしい) の、THE SECRET OF BLOOD ISLAND である。

当然、こちらも日本未公開。
前作で捕虜を斬首する日本兵を演じた マイケル・リッパー は続編で「出世」し、収容所長の役を演じているという。
役名は、トージョーコ (丸眼鏡を かけており、東條英機の子 という意味か ?) らしい。
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終戦記念日特集 ? ザ・キャンプ・オン・ブラッド・アイランド [1]
1958年にイギリスで作られた、第2次世界大戦中のマレー (マラヤ) で日本軍が管理する捕虜収容所を舞台にした、日本未公開の戦争映画である。
監督は、『原子人間』『カジノロワイヤル』のヴァル・ゲスト。

THE CAMP ON BLOOD ISLAND、『血の島の収容所』!
ホラー・SFモノが専門のハマー・フィルム制作 (同社の大ヒット作『吸血鬼ドラキュラ』と同年に作られた) だから、この映画が お堅い内容じゃないのは明白。
ポスターにあるような、「日本軍の残虐性」を ご覧頂くことが“売り”のようだ。

「戦争は終わった…今、虐殺が始まった !」…て。ウゥム。

マレー死の行軍を描いて、日本公開時にはカット版が上映されたイギリス映画 ジャック・リー監督『アリスのような町』(1955) には、捕虜に優しく接する日本兵も登場しているが、本作に その様子は無さそう。
前年の1957年に公開されアカデミー賞作品賞に輝く、早川雪洲 演じる日本軍人が好意的に描かれた、ビルマとタイ国境の捕虜収容所が舞台のデヴィッド・リーン監督『戦場にかける橋』に助演の、アンドレ・モレルが今回は主役だが。
日系俳優は出演しておらず、収容所長など日本軍側キャストは、白人俳優がメイクして演じている。

「国辱映画」以前の問題…当時、我が国の配給業者で観た人は いると思うが、無かったことにされてしまったのだろうね。

ポスター等を眺めていて、ジャワの捕虜収容所を舞台にした大島渚 監督『戦場のメリークリスマス』(1983 日本・イギリスほか) の一場面を思い出した…
ヤハリ、これは どこかで「繋がっている」のではないだろうか ?
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夏休み特撮大会 [3] 『ゴッドファーザー』の、モー・グリーン射殺カット
6月から7月にかけ、Eテレでやった映画技術講義『ハリウッド白熱教室』全5回を面白く観た。
毎回、アメリカ映画の名場面が教材として引用されるのだが、「編集」の回で『ゴッドファーザー』(1972) の、カジノ経営で儲けてるモー・グリーンが射殺されるカットを久しぶりに観て、「この仕掛けは どうなってるのか ?」と しばらく考える。

サウナで うつ伏せになり、マッサージを受けている黒縁メガネの男モー・グリーン (演じているのは、若い頃マサチューセッツでホントにギャングだったアレックス・ロッコ。『絞殺魔』『フリービーとビーン大乱戦』『ゲット・ショーティ』)。
侵入者に驚き、外していたメガネをかけ見上げると、イキナリ右目をレンズ越しに撃たれる。
ヒビが入るメガネ、ダラダラと流れ出る血。即死だ。

これがワンカット。
…ワカラン !

何故って ? CGが無かった時代である。
アニメ合成でレンズにヒビを入れてるようには見えない。
撃たれる直前に役者に動きを止めさせキャメラも止め、ヒビ入りメガネに変えて撮影再開したようにも見えぬ。
全てはスムーズなワンカットだ。

ネット上では、「ツルに仕込んだ細いチューブから送った圧縮空気でレンズにヒビを入れ、さらに血も流したのだろう」と書いてる人も あったが、モー・グリーンは「傍らに外して置いてあったメガネをかける」動作を しているのだ。
チューブじゃないと思うなぁ。
メガネのツルは確かに太いが、血糊も含め そんなに仕込めるものなのか。
血糊については、頭髪に仕込んだチューブから流していたとしても…レンズのヒビは ?
イロイロ納得いかないぞ。
小粒だが、世界映画史に残る特殊効果と思う。

このグレートな場面は、A・D・フラワーズ (1917 - 2001) という特殊効果マン…特殊メイクのディック・スミスも協力したと思われる…が担当した。
「手品の種」っぽいコトなのかも知れないけど、誰か仕掛けを教えてくれませんか ?

IMDbによれば、フラワーズは最初から特殊効果畑だったのではなく、映画セットのグリーンマン (植物の植え込みをする職種か) として『オズの魔法使』『禁断の惑星』などMGM作品に参加していた。
下積みのうちに、いろんな危険物関連免許を取り修業を積んでいたのだろう。
40代になって、『コンバット』『特攻ギャリソン・ゴリラ』などの人気テレビシリーズで戦闘シーンの特殊効果を担当。
当然一人では出来ないから、彼はチームのヘッドという立場になっていたはずだ。

映画でクレジットされたのは、1969年のウディ・アレン監督・主演作『泥棒野郎』から らしい。
その翌年にイキナリ、20世紀フォックスの戦争映画超大作『トラ・トラ・トラ !』のメカニカル特殊効果でL・B・アボット (共にオープニングでクレジットされた、アート・クルックシャンクは何故か除外) とアカデミー特殊視覚効果賞を受賞。一線に躍り出る。

アボット (1908 - 85、名入りで受けたオスカーだけで5個という有名特撮マン。左の人) とのコンビ作が多い印象を受けるが、やはり特別賞としてオスカー視覚効果賞を受けたディザスター大作『ポセイドン・アドベンチャー』と、賞は受けていないが『タワーリング・インフェルノ』が目立つ為だろう。

華々しい活躍期間は10年ほど。
『リオ・ロボ』『少年は虹を渡る』『スリーパー』『デリンジャー』などにも参加。
1979年の2大作『地獄の黙示録』『1941』のあとは、2001年に亡くなるまでリタイア状態だった。

自伝の類は残していないらしい。
ある意味、謎の多い人物ではある。

※追記...三一十さんからコメントを頂いたので、再見してみたけれど。
「全てはスムーズなワンカット」ではなく、「傍らに外して置いてあったメガネを手に取るところと、かける所はカットが違う」んですね〜 !

先日 観たときは、マッタク気が付きませんでした。
これだったら仕掛け入りメガネに変えられるし、キャメラから見えない左側のツルの方からチューブなどで操作出来るわけです。
ちょっとだけ (仕掛けが見えたような気がして) 安心しました (笑)。

レンズ越しに撃たれる右目ですが、コマを送ってみると、ヒビが入った瞬間に閉じているのが数コマ (わたくしには) 見えます。
アレックス・ロッコの顔面保護にも気を遣ったでしょうが、レンズを2重構造にし、たとえ飴ガラスのような素材であっても破片が決して目に入らないよう工夫していたのではないかと…。

ともあれ わたくし的に、コレが「グレートな場面 & 特殊効果」であることは変わりありません。
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『ローラ』のアヌーク・エーメ [6 完]
オマケ。

デビュー作『密会』(1946 フランス) のアヌーク・エーメ。
監督はアンリ・カレフ、主演はヴィヴィアーヌ・ロマンスでした。

14歳の頃。
「オトナ女子タイプ」が苦手な ご趣味の方も、これならOK ?

『ローラ』では、本命男ミシェルと片思い男ローラン以外にも、ローラにグッと来ている男が登場する。
ミシェル同様にアメリカ水兵のフランキーだ。
でも この人、「オトナ女子タイプ」じゃない方もイケるクチだったようで、少女っぽいセシル (演じたのは、アニー・デュペルー。本作以外で出演した映画は、同年の『さよならを もう一度』だけらしい) を追っかけて「退場」。
本命のミシェルに似たものを感じたローラとは、一夜を共にしたようだし、本作でイチバン儲けたのはコイツかも ?

この場面、「オジサンはね、オジサンはね」ってゆー、江口寿史シチュエーションに見えるな (笑)。

でもさ〜。
アヌークは実生活で『密会』から たった3年後の17歳の時、ホントに結婚しちゃうんだからね〜。
この…お・ま・せ・さ・ん !

※ 『ローラ』には、コリンヌ・マルシャンも出演。
アニエス・ヴァルダ監督『5時から7時までのクレオ』(1962) の主人公…と言いたいが、マカロニ『南から来た用心棒』(1966) のヒロインだな、わたくし的には。
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松坂屋とゴジラ [2]
松坂屋 銀座店の屋上には、オープン翌年の1925年から動物園が開設された。
ライオンや豹も飼われ、話題を集めたという。

おそらく同時に開設されたであろう遊園地は、「最後の日」まで細々と続いたが、日本全国のデパートが そうであるように、屋上の半分は夏の間 ビアガーデンと なっていたそうだ。
つまり そのスペースが、閉鎖された動物園跡ということか。

『ゴジラ』名場面のひとつ…松坂屋 屋上の巨大な鳥小屋 越しにゴジラが見え、鳥たちが騒ぐカット。

1954年 当時には あった、鳥小屋の背後にゴジラのアップを合成。
この場面はシナリオにもキッチリ書かれ、制作当初より「狙っていた」らしい。


ネット上にあった1933年 (昭和8) の絵葉書。
松坂屋 屋上に、金属製の骨組みが確認出来る。
これ、鳥小屋の上部が見えているのではないか ?

2012年春と閉店間際の屋上の様子を、ネット上から拝借し貼っておく。



ジュランかレギオン草体が芽を出しそうなアングルだね。
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『ローラ』のアヌーク・エーメ [5]
公開時のポスター。

本作を「ヌーヴェル・バーグの真珠」と激賞したのは、ジャン = ピエール・メルヴィル監督 (1917 - 73、『サムライ』『仁義』『影の軍隊』) であった。

アヌーク・エーメの踊り子衣装、これらのポスターのように水色が使われてたのかな。

水色を配色したのは、「恋は水色」っていうシャレですかね ?

公開当時のサントラ盤にも、水色が。

「ローラの歌」の作曲は、本作が初コンビとなり『シェルブールの雨傘』などで成果を出すミシェル・ルグラン。
アヌーク・エーメの歌は、ジャクリーヌ・ダノによる吹き替え という。
作詞のアニエス・ヴァルダは、ジャック・ドゥミー監督夫人で有名な映画作家だが、結婚したのは『ローラ』公開の翌年、1962年だ。

和泉雅子さん じゃありませんよ、アニエスとドゥミー。

1990年に、59歳という年齢でエイズのため亡くなったドゥミー (死因は白血病とされていたが、2008年に公開されたアニエス・ヴァルダの自伝ドキュメンタリー映画『アニエスの浜辺』以降 明かされた格好に)。
二人の間には、映画衣装の仕事をする娘と俳優になった息子がいるそうだが。
感染時期は不明なれど、アニエスがエイズのキャリアという話は聞かないし。
血液製剤や注射針が原因でなければ、ドゥミーはオトコも好きな…晩年までバイセクシャルだったっちゅうコト ?

最近は、ジャック・ドゥミーでなく「ドゥミ」と表記するんですね。
ヨーロッパ・ロケ & 外人キャストの日本映画『ベルサイユのばら』(1979.3 東宝) まで撮ってくれたヒトとは、別人みたい。
昭和は遠くなりにけり…
| 洋画貼雑帖 FOLDER OF FOREIGN MOVIES | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP