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松坂屋とゴジラ [3 完]
松坂屋銀座店のミニチュア製作中。25分の1スケール。


ゴジラが松坂屋を炎上させるシーンで もう一つ印象に残るのは、3人の子供を抱きしめ デパートの前に うずくまり、無理心中しようとする母親の描写だ。
「もうすぐ おとうちゃま のところに行くのよ」
というセリフは、お涙頂戴を超えたインパクトがある。

中国語 字幕付きVCDより。

映画『ゴジラ』の東京破壊シーンに、戦争・特に東京大空襲の記憶がオーバーラップされているのは、ちょっと歴史に興味のある現代の小学生にも指摘出来ると思う。
ただ、ときどき言われるように、この母親は夫を戦争で亡くした「戦争未亡人」で、子供たちは「戦災孤児」なのだろうか。
1954年…戦後9年目の夏。抱きしめている3人の子供たち、戦中か戦後すぐに生まれたにしては「幼すぎる」ように思えるが。

わたくしなりに推理してみると。
母親は、「ゴジラ事件」前後に夫を亡くして生活苦で行きづまり、銀座界隈で子供を抱え路上生活に近い状況に置かれていたが、夜半に上陸したゴジラの「力を借り」、衝動的に「母子無理心中」を図ろうとしたのでは…?
クドクド書くと、コアなファンの「思い込みから昇華されたイメージ」が汚れるんで、このへんで止めておきます。

シナリオによれば、母子がうずくまっていたのはデパートの前じゃなく、「デパートの裏口」なんだって。
そのあたりも含め、悲しい場面。
だが、銀座通りを歩いてきたゴジラに、母子が直接踏みつぶされたという可能性は低そうである。
松坂屋は炎上したが倒壊描写は ないので、火の粉で火傷は負ったが辛くも生き残り、母親が思い直して子供たちと新たな人生を歩んだ可能性もある。
生きてこそ ! そう思いたい。

母子のシーンにインスパイアされたマンガがあったと思う。
「The ゴジラ comic」(1990.1) とかに載っていたのか…よしもとよしとも の傑作「東京防衛軍」にも、そんな場面があったような ?

ネット上で裏口 (の中のひとつ) 写真を見つけたので、貼っておきます。


母親を演じていたのは、三田照子という (大部屋 ?) 女優さん。

JMDBによれば戦前、1934年の時代劇に名が出ている (同姓同名の女優の可能性も あるが)。
戦後、東宝と専属契約したらしい。
ネット上で名が確認出来るのは、1951年の山本嘉次郎 監督『女ごころ誰か知る』あたりから。
東宝映画のデータベースも参照すると、女中おはま という役名が付いた1953年の斎藤寅次郎 監督『総理大臣の恋文(ラブレター)』以降…
『浮雲』『ゴジラの逆襲』『33号車 応答なし』『ジャンケン娘』『ロマンス娘』『囚人船』『サザエさん』『孫悟空』(三蔵法師の母親役)
『日本誕生』『太平洋の嵐』『モスラ』(ダム決壊で鉄橋が流されるシーン、夏木順平 演じる亭主とリヤカー引いて逃げてきた茶店の おかみさん役…落っこちた赤ん坊の母親ってことか)
『世界大戦争』『二人の息子』『箱根山』『ひばり チエミ いずみ 三人よれば』『続 社長忍法帖』
…多数出演。
1968年の千葉泰樹 監督『若者よ挑戦せよ』が、最後の出演作品かも知れない。

テレビ『ウルトラQ 1/8計画』(1966) で村上冬樹と一緒に出てくる、笑顔が薄気味悪い民生委員が あの母親と同じ女優とは。
ノークレジット出演なので、今日まで気が付かなかった !
テレビでは、『特別機動捜査隊』などにもゲスト出演している。

※ 同姓同名の童話作家も いるらしい。
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松坂屋とゴジラ [1]
昨日、6月30日。
老朽化のため建て替えられることになった、1924年 (大正13) オープンの有名デパート・松坂屋 銀座店が88年の歴史に幕を。
例によって例のごとく、こういう日に「立ち会いたい」という多くの客 (7万人 !) が押し寄せた。

わたくしは確か、1980年代 中盤に一回しか入っていない。
今世紀になってからの写真も確認したが、銀座は2度 行っているのに、松坂屋は撮ってません…。

地方在住の古いヲタクにとって、松坂屋 銀座店とは「ゴジラが1954年の第1作に於いて、吐いた白熱光で炎上させる有名デパート」であった。



「縁起でもない」と関係者からクレーム (ゴジラが叩き壊した、和光の時計塔も含む) がついて、制作会社の東宝は、1980年代まで松坂屋の店内ロケを させてもらえなかったという。
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コアな日本映画マニア必読 ! 「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」 [7 完]
ウィリアム・ロスに関し、中日新聞に記事が載った記憶があったのですが。

1983年4月に、森繁久彌主演の東宝映画『小説吉田学校』公開と競合する形で放送された、やはり森繁 主演のTVスペシャルドラマ『吉田茂』でマッカーサーを演じていることから、直前に掲載されたタイアップ記事と思っていたのだけれど…
掲載は、放送の3か月も前の1983年1月。
図書館で縮刷版を調べるとき、手間取りました。
撮影終了後すぐだったのでしょうか。

マッカーサーの扮装をした写真が目を引きますが、本書に先駆ける、当時「映画人生三〇年」だった“外タレ”ロス氏の小史となっていました。
『男はつらいよ』シリーズなどの英語版作成話はもちろんの事、自ら寅さんの吹き替えを記者の前でやって見せたとか。
「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」の出演リストに無い映画やテレビ番組も載っており、興味深いです。

それにしても…
森繁が「グッド・アクター」とロス氏を褒めた話はともかく、「マッカーサー役にバート・ランカスターかロバート・スタックの起用も考えたが、ロス氏に落ち着いた」とゆー『吉田茂』ディレクター氏のコメントは、ビッグマウスすぎるよな (笑)。
ちなみに、映画『小説吉田学校』でマッカーサーを演じたのは、リック・ジェイスンでした。

労作を ものされた共著者の染谷氏には、写真も掲載した本書の「増補改訂版」を いつか作って頂き、在日外人俳優の更なる謎を追ってほしいと思います。

ハロルド・S・コンウェイの奥さんは日本人だったとか…その辺が、次の「突破口」になるのでは ?
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コアな日本映画マニア必読 ! 「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」 [6]
『武士道ブレード』(1980 アメリカ・イギリス 未公開、ビデオ発売)

『将軍』ブームの副産物と言える、日本で撮影されたアクション時代劇。怪獣映画で東宝と合作経験のある、ランキン・バス プロの制作だ。
幕末を舞台に、名刀の争奪戦が描かれる。
監督は、トム・コタニ こと 小谷承靖。
リチャード・ブーン (ペリー提督) フランク・コンヴァース ジェームス・アール・ジョーンズに、千葉真一 三船敏郎 丹波哲郎 マコ岩松が共演。
黒いエマニエル こと ローラ (ラウラ)・ジェムサーと、浅野真弓が お色気担当。
ロス氏は、ペリー提督の副官役。
黒澤組の上田正治 久世竜も参加、特撮は川北紘一。

『零戦燃ゆ』(1984.8 東宝)

前年の春、テレビのスペシャルドラマ『吉田茂』でマッカーサーを演じたのが評価されたか、ロス氏は本作でもマッカーサーを演じた。

日本の特撮が どれほど出来るのかと期待させたSF『さよならジュピター』にガッカリし、溜息混じりに劇場を出たのは1984年の春。
『大空のサムライ』(1976) は良かったし、戦記物ならイイだろうと、再び川北紘一の特撮を目当てに劇場へ行った この映画でトドメを刺され、わたくしは川北特撮にも期待しなくなった。
『ゴジラ VS ビオランテ』(1989) でちょっと見直したけどね…後が。
主題歌は石原裕次郎。

『男はつらいよ 寅次郎の告白』(1991.12 松竹)

シリーズ44作目。
マドンナ役は吉田日出子だが、吉岡秀隆と後藤久美子の「恋愛未満」ストーリーに重点が置かれている。
長年、英語吹き替え版制作 (渥美清は、ロス氏が自らアテていたのだ) で貢献したシリーズに、ノークレジット出演。
そして、これがロス氏の、今のところ最後の映画出演作となっている。

日本映画のリメイク『HACHI 約束の犬』(2009 アメリカ) の制作にもロス夫妻は協力しているそうだが、今は亡き奥様はリチャード・ギアが嫌いだったとか。

そのリチャード・ギアが2012年より寅さんのパロディ (ムッシュは つらいよ) を演じ、ついに後藤久美子と共演したフランスの炭酸ドリンク・オランジーナのCMを、ロス氏は今どんな気持ちで眺めているんだろうな。
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コアな日本映画マニア必読 ! 「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」 [5.5]
『宇宙からのメッセージ』が、アメリカ・アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされたという「逸話」。
三一十さんもツイッター方面で再び探求されていたようで、コメントを頂きました。

やっぱりねぇ、といったトコロでは あるのだけれど。

[5]に引用した、竹内博氏の遺著「特撮をめぐる人々」の矢島信男 特撮監督インタビュー。
1978年の映画公開時に発売されたムック本「宇宙からのメッセージ 特撮の秘密」(1978.5) の記事に、2011年2月、矢島監督が日本アカデミー賞協会特別賞を受けたあと追加インタビューして構成の、おそらく竹内氏の人生 最後に近い仕事と思われます。
そこで、

「1980年の米 アカデミー賞 最優秀外国語映画賞にノミネートされましたね」
「そう、日本のアカデミー賞には入れてもらえなかったけどね。本場では認めてもらえた」

というヤリトリ。
もういちど読み直し、思ったのは…
竹内氏は「万事判った上」で、あえて矢島監督を試そうとしたのではないか。
古いヲタクなら、知って誇らしく思ったはずの「視覚効果賞」ノミネートを、ワザと「外国語映画賞」ノミネートと言い間違えインタビューしたのではないか。
矢島監督が、この件について今、どう反応するか ?

「1980年の米アカデミー賞 最優秀外国語映画賞にノミネートされましたね」
「いや、外国語映画賞じゃなく、視覚効果賞ね」と言うと思ったら…アッサリと「そう」。

『ゴジラ』第1作に好意的な評を残さなかった双葉十三郎を、「暴文」で非難した竹内氏だが、日本特撮界の功労者の言葉は、真っ向から訂正を かけられなかった、と。
矢島監督がアカデミー賞に関し「その程度の認識」だと言うのを、オトナの配慮が効いた この一文により残したのじゃないかなぁ…。
なぁんて (笑)。勘ぐりすぎですな。
最後の ※ を参照し、数々の誤解を各自 読み解いて下さい。

なお この一文は、矢島監督を貶める意図はありません。事実関係の確認だけが主眼です。
わたくしも、監督の特撮映像を享受して育った者のひとりですから。

竹内博、2011年6月逝去。
「特撮をめぐる人々」は、同年8月にワイズ出版より発売された。

※ 英題 Message from Space こと『宇宙からのメッセージ』がノミネートされたのは、米 サターン賞の最優秀外国映画賞 Saturn Award - Best Foreign Film。
外国映画賞で、外国語映画賞じゃありません。
ちなみにアカデミー外国語映画賞は Academy Award for Best Foreign Language Film といいます。

サターン賞は、「著名な賞を受けにくいSF・ファンタジー・ホラー作品にもしかるべき評価を与えたい」と考えていたドナルド・A・リード博士によって考案された賞で、1972年に制定。
SF・ファンタジー & ホラーフィルム・アカデミー Academy of Science Fiction, Fantasy & Horror Films 会員によって選考。翌1973年に第1回が行われ、以後 毎年式典が行われています。
何だか、紛らわしいですねぇ。
だって、アカデミー賞を選考するのは、映画芸術科学アカデミー Academy of Motion Picture Arts and Sciences = AMPAS 会員なんですから。
…ちょっと見、英文の字面も似てる ?
ま、なんたらアカデミーの会員が選考した賞なら全てアカデミー賞、という理解も間違いじゃナイんだが。

この外国映画賞が存在したのは、1980年7月に開催された第8回のみ。
受賞作は、チェコのファンタジー映画 Adéla jeste nevecerela (1978)。
ノミネート作品には『ノスフェラトゥ』『パトリック』『サイレントフルート』。
それに…『スタークラッシュ』(1978 日本劇場未公開、テレビ放映) ! ナント、日伊のSWクローンが仲良くノミネートされておったとは。

特撮では、ノミネートされておらんのね。
この年サターン賞では、『スタートレック』が『エイリアン』を押さえて最優秀特殊効果賞 Saturn Award for Best Special Effects を受賞していました。
うぅむ、『宇宙からのメッセージ』、この2作の前では流石にチョット…残念。
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コアな日本映画マニア必読 ! 「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」 [5]
『スター・ウォーズ』(以下、SWと略記) 日本公開前夜、急遽 作られた亜流作2本に出演。

『惑星大戦争』(1977.12 東宝)

池部良との2ショット。

当時、いくらSF映画ブームが来ていたとはいえ「こんな愚作を よく作ったな」と思っていたのに。
先日、日本映画専門チャンネルで20年ぶりくらいに再見したら、意外と面白く観れて驚いた。
SW というより、『宇宙戦艦ヤマト』が やりたかったのね。
特撮もイイじゃない、光線のアニメ合成タイミングもキモチ良かった。

ワインみたいに熟成され、作品にウマミが出たのかねぇ。それとも、こっちの感性が鈍磨し何でも許せるようになったのか…。

『宇宙からのメッセージ』(1978.4 東映)

この作品が、アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされたという「逸話」については、数年前に検証したことがあるけど。

先日、竹内博氏の遺著「特撮をめぐる人々」を読み直していたら、矢島信男 特撮監督インタビューで

「1980年の米アカデミー賞 最優秀外国語映画賞にノミネートされましたね」
「そう、日本のアカデミー賞には入れてもらえなかったけどね。本場では認めてもらえた」

というヤリトリが。
エエッ、視覚効果賞にノミネートされたという話じゃなかったのぉ。
外国語映画賞って、『宇宙からのメッセージ』が ?
特撮だけなら ともかく、宇宙暴走族の活躍やエメラリーダ号が、アカデミー協会員にアッピールしたのか…絶対ナイでしょ、そんなコト !

岡田裕介プロデューサーや矢島監督ほかスタッフは、『スター・ウォーズ』を参考にすべく、ハワイまで観に行ったらしい。
ウィキにも書いてあるが、制作中に東映京都撮影所へ見学にやって来たSWのスタッフって一体 誰なのか。もしかしてエドランド ?

※ 1980年のアカデミー外国語映画賞受賞作は、『モスクワは涙を信じない』(この年ノミネートされたのは、クロサワの『影武者』)。
ちなみに、前年1979年は『ブリキの太鼓』。
翌年1981年は『メフィスト』(小栗康平『泥の河』がノミネート) が受賞した。

『復活の日』(1980.6 角川映画・TBS)

それなりの海外スターを並べ、チリ海軍の潜水艦を借りて南極ロケ。
掛け値なしの角川映画SF超大作にも出演。
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『大都会 PART掘戮法愬鮹襪了牾僉戮鮓た
先週、夏八木勲 死去のニュースを知ったあと、チャンネル銀河で放送中の『大都会 PART掘36話の録画を観ていたら、劇中 角川映画に夏木勲 名義で連投していた頃の代表作、村川透 監督『白昼の死角』(1979.4 東映配給) ポスターが映っていた。

夜の渋谷東映前、街頭ロケのシーン。
中島貞夫 監督の『総長の首』(1979.3) を上映中のようで、『白昼の死角』は近日公開・前売り中という時期にロケされたらしい。

『大都会』シリーズは石原プロモーションの制作で東映は関係ないが、36話は監督が同じ村川透。宣伝も兼ねた「お遊び」かと思ったが…
初放送は1979年6月12日。
『白昼の死角』、上映終了していたでしょうね。

なお『白昼の死角』は、渡瀬恒彦 主演のテレビドラマ版が同年8〜9月に放送された (観てない) ようですが、コッチの監督は村川と同じ日活系の松尾昭典だそうです。

36話は、オカマの密告屋 (ルビは たれこみ) を演じる風間杜夫も「見どころ」な回。
女風呂に犯人が逃げ込む、サービスカットもありました。

村川監督の次回作は再び角川映画で、同年8月公開の ご存じ『蘇える金狼』。
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夏八木勲 死去
俳優の夏八木勲が、2013年5月11日、すい臓がん のため亡くなった。享年73。

大ファンだったというわけでもないし、演技に強い感銘を受けていたというわけでもないが、タフガイで鳴らした俳優の早すぎる死は辛い。
俳優座同期で、先年亡くなった原田芳雄や地井武男とも仲良かったという。
角川映画で「連投」していた頃の思い出も、また懐かしい (この時期、夏木勲と改名していたのは角川春樹の指示ってホント ?)。

すい臓がんは怖い。
50歳で逝ったわたくしの父も そう (肝臓がんと聞いていたが、誤記憶していた事を最近知った) だし、かつての上司も数人、すい臓がん で死んでいる。
気を付けなくちゃ…と言いたいが、この臓器の がんは発見も手術も難しく、助からないそうだからな〜。
がん家系であるわたくし、いつ発症しても悔いの無いよう、なるべく好きなコトやって日々を過ごそう。

それはさておき。
夏八木勲のデビュー作は映画、加藤泰監督『骨まで しゃぶる』(1966.6 東映) だって。

端役でなくメイン男優、ポスターにも大きく名がある。
でも「新人」と書いてないな。
桜町弘子、久保菜穂子 主演の明治・廓モノ。未見。

わたくしが夏八木勲という役者の顔を知ったのは、たぶん大ヒット朝ドラ『鳩子の海』 (1974.4〜75.4 NHK)。

中学に進学する時期の春休み中に始まったので、最初の数話はリアルタイムで観ていたと記憶する。
脱走兵の役で、名子役・斉藤こず恵と線路を歩いてましたね。

その数ヶ月後、月曜ロードショーでやった面白すぎる映画の吹き替えで、その名がシッカリと記憶された。
中日新聞に、テレビでやる映画の情報コーナーがあり、声優も明記されていたからだ。

その映画は『荒野の用心棒』(1964 イタリアほか)。
このときクリント・イーストウッドを吹き替えていたのは山田康雄でなく、夏八木だった。
ちなみにジャン・マリア・ボロンテをアテたのは、ワイルドな男優として知られた内田良平である。
皆、亡くなってしまった…

合掌、ドドンガドン。
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コアな日本映画マニア必読 ! 「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」 [4]
Northeast of Seoul (1972 アメリカ・香港)

やや落ち目のスターを集め、韓国で撮影された多国籍映画にも、ポストプロダクション・マネージャーとして協力。
日本から生フィルムも運んだそうな。
デヴィッド・ローウェルリッチ監督とはこれで縁が出来、『ドラゴンを消せ !』(1973) にも協力した。

アニタ・エクバーグ、ジョン・アイアランド、ヴィクター・ブオノ、シン・ヒュンキュン ? 主演。
日本未公開の「珍品」か。

『ザ・ヤクザ』(1974 アメリカ・日本)

高倉健、ロバート・ミッチャム共演の話題作。
監督はシドニー・ポラック。
アシスタント・プロダクション・マネージャーとして参加、出演もした。

吉田豪の本で知ったが、ミッチャムは本物の「ザ・ヤクザ」だった安部譲二と、オランダでオンナを取り合い、殴り合いを したらしいね。

『仁義の墓場』 (1975 東映)

進駐軍将校役で出演。

深作欣二監督とロス氏は、仕事以外でも いい関係を築いていたようだ。
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コアな日本映画マニア必読 ! 「ウィリアム・ロス 映画人生 五〇年」 [3.5]
『ガンマー第3号 宇宙大作戦』は劇場公開時に観ているが、内容に関しては記憶から完全に欠落。
だが 登場したメカだけは、ミドリ商会 発売のプラモの記憶と合わせ、ときどき思い出すこともあった。

買ってもらったのは、「宇宙船」という ど真ん中な商品名で発売されていた、通称・脱出艇の (確か) 大サイズだけだが…。

ガンマー第3号の格納庫シーン。
ペン型 懐中電灯に似た形状の宇宙戦車と、宇宙ロケット (いずれもプラモの商品名) も並んでいる。



この脱出艇、宇宙船なのにダクテッド・ファンが付いてるんだけど、大気圏内でも飛行可能なのかな。

渡辺明デザインだっけ ? やはりミドリ商会からプラモが発売されていた『宇宙大怪獣ギララ』のアストロボートと同格で、好きなメカ。
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