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幻のモデルアニメ映画 Along the Moonbeam Trail〔2 完〕

Along the Moonbeam Trail(1920)で私が一番グッと来たもの、それは中盤に登場し複葉機とチェイスを演じるコウモリ翼竜である。
トビトカゲとコウモリを足して、プテラノドンとランホリンクスのイメージに近づけたような形状。舌をチロチロさせるアップモデルはそうでもないが、下の写真の造形物は顔が白骨ムササビみたい。

画面を右へ左へと横切るカット(たぶんガラスに貼り付けた写真をスライドさせ撮影)で使われている。
ハーバート・M・ドーリーの生んだ、オリジナル傑作怪獣ではないか。
複葉機に武器があり、コイツと空中戦を演じたら最高だったろう。
良いものを観させていただきました。
| 洋画貼雑帖 FOLDER OF FOREIGN MOVIES | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

幻のモデルアニメ映画 Along the Moonbeam Trail〔1〕

esme様からご教示いただき、YouTubeで失われたと思われていたモデルアニメ特撮短編映画 Along the Moonbeam Trail(月光跡に沿って 1920 アメリカ サイレント、音楽入り)を観た。
映画評論家レオナルド・マルティンのテキストによれば、各地に残る断片を寄せ集めたそうだが、完全版は無理で尻切れとはいえ復元の苦労が偲ばれる。

監督は、これが処女作のハーバート・M・ドーリー(1880〜1970)。
不思議な人物で、IMDbによれば彼の死亡記事での経歴は、映画製作者や監督やモデルアニメーターや彫刻家といった特撮オタクが知っているようなキャリアに重きは置かれず。
ニューヨークにあったピアスアロー自動車会社の、チーフカーデザイナーとしてであった。
特にヘッドライトをフェンダー(前輪タイヤ上のカバーパーツ)と一体化させた有名なスタイルは、ドーリーのアイデア(特許取得とか)という。
この車を収蔵するトヨタ博物館の解説文だと、ピアスアローはパッカード ピアレスと合わせて “スリーP” といわれたアメリ力の超高級車。その品質や格式の高さは、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあったという。パワーブレーキ、油圧タペット、アルミを使用した軽量ボディなど技術的にもすぐれていた。
ドーリーは1912年にピアスアロー自動車に入社し、会社が倒産する1938年(恐慌後、安価な大衆車しか売れない時代になったからか)まで、ほとんど全ての車種のデザインに関わる。
アニメ関係では本作のあと、1922年にニューヨークでハーバート・M・ドーリー映画会社を設立。影絵アニメ映画(美女と野獣 眠れる森の美女 アラジンと魔法のランプ ジャックと豆の木なども題材にしている)を作り、自らアニメーターとして活躍する。ピアスアロー、副業OKだったの?
思いっきり手間のかかるアニメ仕事は、助手(トニー・サーグという人形師が協力)を使ってもカーデザイナーと両立可能と思えないが…1925年以降の作品がないので、やはり無理が来て この分野から完全撤退したのだろうか?この件は最後にもう一度考えたい。
ピアスアロー社倒産後は、モデルアニメよりも自ら演じたい欲求が高まったか。1936年から始まり21年も続いたという連続ラジオドラマ「ギャングバスター」や1937年から20年も続いたソープラジオドラマ「ヒルトップハウス」に出演。
さらにニュー・ジャージー州の劇場 チャタムプレイハウス創設者の1人にもなっていて、52年間に115の芝居(ミュージカル、コメディ、一般ドラマと手広い)を演出したという。
カーデザイナー、映画製作者とアニメーター、ラジオ声優、演出家は時期がダブってる(ピアスアロー在籍は1907〜16、舞台演出と映画会社は1922〜で、ダブってないという資料も)…家は裕福で家族もあったようだが、多才な人って動けるもんだねぇ。

Along the… のストーリー。
「ロミオとジュリエット」の一節の引用から始まる。
月光の妖精?(それなりにキュートな女の子、役者不明)が森に降り立ち、キャンプしていたボーイスカウト風のおじさん(監督のドーリーが演じた)と2人の少年(ドーリーの息子たちが出演と書いた資料もあるが、苗字はデイになっている。後述する The Ghost of Slumber Mountain にも出演)が遭遇する。
妖精が用意した魔法の複葉機に乗り、3人は月に飛び立つ。タバコをふかす半月の周りを旋回するうち、月光の妖精たちのダンスを見たり、ホウキの魔女とすれ違う。天界の軍神は、複葉機と魔女がぶつからぬよう交通整理してくれた。
そこへ突如、舌をチロチロさせる巨大コウモリ翼竜が追ってきた。慌ててキリモミ降下で着陸し、洞窟に隠れる3人。先史時代の恐竜ステゴサウルス(やはり舌をチロチロ)が現れ、洞窟から観察。ステゴが去った後には、トラコドンとティラノサウルスの激闘が。終わった頃、妖精が迎えに来て…。

これが、現在知られている限り最初の、 同一ショットにおいてリアルなストップモーションアニメの恐竜と俳優を合成(二重露光か、黒マスクして撮影した恐竜アニメフィルムに人物を再撮影か、分からない)した映画だという。
洞窟内の3人が見られるように現れたり、戦ったりする恐竜。画面左の闇に3人、右で戦っている恐竜という構図である。
前半の特撮も興味深い。月は特殊メイクした俳優(役者不明、メリエスの『月世界旅行』オマージュだろう)。月を飛ぶシルエットの小さな複葉機は、たぶん手描きアニメ。魔女は、操演とモデルアニメ。コウモリ翼竜はモデルアニメだが、左右に飛ぶところは写真をガラスに貼り付け引っ張ってるようだ。

この10分ほどの特撮短編映画は、『キング・コング』の高名な特撮マンでモデルアニメーターのウィリス・H・オブライエン(1886〜1962)の初期作品 The Ghost of Slumber Mountain(眠り山の幽霊 1918、ドーリーが製作し出演も。オブライエンまで出演)のフッテージから流用された恐竜の映像を使ったと言われてきた。
ウィキにも書いてあるし、IMDbで監督はオブライエンとドーリー連名になっている。だが発見・復元された現物を観ると、まったく別のオリジナル作品と分かった。

「カートゥーン100年史を完全解説する試みウィキ」、STUDIO28「モンスターメイカーズ」によると。
ニュー・ジャージーの金持ちで、上記のようなキャリア。彫刻家(自分で5メートルもある恐竜像を作り写真撮影していた。彫刻の才能は、車のクレイモデル作りでも生かされたのでは)でもあり、自ら恐竜モデルアニメ映画も作ろうとしたが過去に失敗していたドーリー。
モデルアニメ映画を自主制作し、エジソン社に見せて評価され入社するも、金銭面の問題で辞めた時期のオブライエン。
たまたまオブライエンの映画を観て感心したドーリーは彼を雇い、The Ghost …という恐竜アニメ映画を作らせる。
完成し興行も成功したThe Ghost… 。製作者ドーリーは配収のみならず芸術的・技術的な貢献(モデルの骨組みであるアーマチュアの技術を、オブライエンに盗まれたと告訴)も我が物にしようとしたが、頭角を現わしつつあったオブライエンの功績は明らかであり、沈黙する。
この従来伝えられていた定説に対し「パートナーのドーリーに詐取されようとしたオブライエン、ドーリーは悪者として一貫し伝えられた。だが、古生物学者で1978年に映画『恐竜の惑星』を製作したこともあるスティーヴン・A・ツェルカス(2015年に68歳で死去)は、奥様が纏めたDVD付きの遺著で、歴史を書き直した」とマルティンは書く。
ツェルカスはオブライエンとドーリーの確執を研究するのに年月を費やし、ドーリー=悪人 オブライエン=犠牲者であったという長い間の定説を覆す証拠を発掘したのだ。

ただまぁ、それが分かっても。
恐竜モデルアニメーターに限って言えば、技量の差は歴然で。ドーリーが1925年以降アニメから手を引いたのは、同年に公開されたオブライエンの長編傑作『ロスト・ワールド』を観たからじゃないか?
しかし…長期的に見ればだが、財力があって しっかりした正業もある多才な人物に、絶頂期はあったがモデルアニメ一代男は敵わなかった。
もしオブライエンが、困っていた時期に自分を雇ってくれたドーリーの要求を受け入れ、黒子的な役割だが作品を作らせてもらうパトロン・協力関係が続けば。歴史が変わり、晩年に困窮する事もなかったのでは…あくまでIFの世界ですが、そんな事も考えてしまいました。
1962年秋、参加した久々のメジャー大作喜劇映画『おかしなおかしなおかしな世界』非常階段シーンのモデルアニメ準備中に心臓発作で急逝した年下のオブライエンの訃報をドーリーは読んだと思うが、何を思ったろうか。

さて、初めて観た Along the …ですが。特撮オタクの私には、グッとくる収穫があったのです。

| 洋画貼雑帖 FOLDER OF FOREIGN MOVIES | 12:15 | comments(20) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

海外では、田舎暮らしだけにしておけば良かったのに…

ブックオフで以前買ったロングステイ指南本「チェンマイ田舎暮らし」を再読していて、この著者は その後どうしてるかな?と気になり調べると。

バンコク刑事裁判所は2003年7月23日までに、著書の中でタイ王室の名誉を傷つけたとして侮辱罪に問われていた神奈川県出身の著述業、高橋公志被告(69)に対し、禁固1年6か月、執行猶予2年の有罪判決を言い渡した。
判決によると、高橋被告は2000年8月にマガジンハウス(本社は東京)から、主に定年退職者向けに長期滞在のノウハウなどを解説した「チェンマイ田舎暮らし」を出版。この中にタイ王室の名誉を傷つける内容の記述があったとして、2003年2月、タイ当局に逮捕された。(時事通信)

アリャリャ。誰がタイ官憲に告げ口したか不明だが…。
日本で書いてれば(本書は、高橋氏がホームページで発表したものを元に加筆・構成されてるようだ。この頃、海外移住体験本を出版してたマガジンハウス編集者がネット閲覧中 目に留め、声がかかったのだろう)まだ良かったのに、この先達はタイに移住し、当時はまだ出来て間もないチェンマイの高級コンドー・ヒルサイド4と何故かチャイプラカーン村(チェンマイから、車で北へ2時間以上かかる場所だ。私は行ったことがない)に居を構えて、ロングステイサポートみたいな起業まで してたんだね。
30代で脱サラし、木材加工や仏壇屋や保険業を転々。50代で家族のため再びリーマン生活、海外駐在員への不動産仲介業をしているうちに定年退職後の海外移住を考え始め、チェンマイに決めたが。単なるステイヤーで終われず…という事らしい。
60歳定年と考えれば、チェンマイ入りは1990年代中盤でしょうか。

2000年当時のチェンマイは、初の日本語フリーペーパー「ヴィアンチェンマイ」が創刊されたばかり。「ちゃーお」(高橋氏が逮捕された2003年に創刊)もない。
チェンマイ発の現在のブロガーたちも、まだ来ていないか雌伏期。というか、ブログが普及し始めたのは3〜4年後である。
世が世なら、文章が上手い高橋氏は その分野にも参入し、才能を発揮したかもしれないのに。
早大文学部英文科中退で家族がいるとプロフィールや本文に書いてはあるが、タイに連れてきてるという記述はなく、「ハハァ!家族とは別離し、知り合ったタイ女性と村で暮らしてるんだな」と勘ぐるも、それを匂わす記述もない。
本には仙台出身とあるが、上の記事では神奈川出身となっている…謎が多いね。
文中に本人が写った風景写真があるが、定年退職後にチェンマイを目指すステイヤーにありがちなタイプのオヤジであった。

15年経ち、高橋氏は健在なら84歳。だが寒さが苦手で持病もあるといい、存命かどうか。タイ再入国は もう無理のはずなので、刑期を終えた後にまだガッツがあるなら、他の国へ行ったかもしれない。今回の記事に情報コメントが寄せられると、書いた甲斐があるが。
マガジンハウスは、本書で辛辣なタイ人分析(市井の人だけでやめときゃ良かったに、王室についても書いちゃった)もしている この人に、逮捕顛末記を書かせると良かったのにね。

| チェンマイところどころ2013〜 CHIANGMAI HERE AND THERE 2013〜 | 10:13 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

あれは角田美代子だったのか

完全に やめられたので、もう行くことはないと思うが。
職場の付き合いで始めたパチンコ、退職してからも暫くの間 通っていた。
10年近く前、いつもの店に行った時のこと…
以下、当時(2009年)の雑記から一部を引用する。

午後からパーラー(パチンコ店)へ行ってみる、超満員なり。
新台の様子を見ていたら。チョイ悪系で革ジャンにジーンズが似合ってる60代の男性が打っているところに来た30代?の赤いダウンジャケットの男が、イキナリ殴りかかったのでビックリ。革ジャン氏も負けずに応戦、エラい事に。
店員が止めに入るが、落ち着いたと思ったらすぐまたボコボコ。
しまいにドル箱振り上げてボコッ !
どうやら赤ダウンは革ジャン氏の親族らしい。様子から、並んで打ってた若い女性は どちらかの奥さんかもしれんな。
選んだ台がゼンゼン出なかった事に端を発する いさかいであるらしいが…リアルな殴り合いを久しぶりに見たぞ。
この不況下にあっても盛況のパチンコは、魅力的だが金がかかるリスクの大きな遊びである。「この台でやってみるといい、出るぞ」などと革ジャン氏が言って、赤ダウンは席を代わったはいいが、その席にふらりと座ったハイエナオヤジが大連チャン。ムッカーッ ! といった顛末ではないか。
帰ろうと信号待ちをしていたら、まだ外でモメていた。

週刊誌によると、尼崎連続不審死事件の角田美代子ファミリーは、家族乗っ取り業以外の収入源として、パチンコにも熱中していたようで、私が住む地方にも旅打ちに来ていたらしい。
そういう際に付き合いが出来、仲間に「勧誘」された者も居たという。
私は上記のとき以外にも数回、家族とも友人ともつかぬ不思議な一団を見かけたが、ひょっとして…。
その際、自分はパチンコを打たずデータが閲覧出来る大型モニター前で よくメモを執ってた、一団のリーダー格らしき「太ったオバサン」の事も思い出した。
あれはもしかして、角田美代子だったのかもしれない。

私がパチンコをやめられた理由?
分煙の厳しい国に通うようになったからか、タバコの煙が鼻の奥に堪えるようになって、多量に流され嗅ぐと微熱まで出るようになったからだ。
飲み会で同僚から紫煙を鼻先に流されても無頓着だった私。単純に加齢で、タバコの煙に限界が来たのかもしれないが。
え?パチンコ店は分煙化も進んでいるし、全面禁煙の話もあるから お前また戻るだろうって ⁇
私は、自動ドアが開閉するたび路上へ漏れ出てくる、芳香剤のような匂いも頭痛がするほど嫌になったのだ。
もし戻る時があるなら、それは無臭・禁煙で低騒音のパチンコ店が出来た時だろう。

何でこの話を書こうと思ったかというと。
旅先の日本料理屋で、報道写真の角田美代子そっくりな肩出しワンピース姿の婆さんと太ったポロシャツ息子?を見て、思い出したからだ。
息子がこっちを一瞥する様子、あれは獲物を狙う雰囲気だった。
同胞をカモにすべく、老日本人がロングステイで溜まっているアジアの街に来ているワルもいると聞く。私は目を伏せつつ呑んでいた、彼らが去るまで。

| チェンマイところどころ2013〜 CHIANGMAI HERE AND THERE 2013〜 | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

ある掲示板の匿名投稿から

私が度々訪れる、某国の街についての掲示板を眺めていて、以下のような匿名投稿(2017年6月9日 付)に感心した。
こういう板の書き込みに よくある、上から目線の罵倒調で、嫌悪感を持つ人も多かろうが。
投稿者は恐らく、この街に暮らす年季の入った同胞ロングステイヤーで、文章は若いが ご年配であろう。
ここには真理がある。
但し、絶対に全ては実践できぬ心得の数々。
そして、投稿者も(多分)こうはできなかったであろう事ども。

最後に(嘆息しつつ)書いているように、新参ロングステイヤーは「自分だけは大丈夫」と、古参の忠告を聞かない。
中には、自分が遭ったコトを新参者にも…と、忠告せず焚きつけて乗せ誤らせる、メフィストフェレスな同胞が、少なからずいるので困りものですが。

ロングステイヤーの情報源である、街の日本語紙の巻頭言として ぜひ毎号 載せてほしい この投稿を、一部補足・改行して無断掲載する。
どうか、ご容赦を。

 

タイへロングステイに来る おまえら、本当にバカばかりだな。  

年金貰えるまでは、日本でしっかり働く。
たまにタイへ遊びに行ったりしながら、英語とタイ語とタイ文化や法律など勉強する。

店舗出店・商売はしない、共同経営など投資をしない、コンドミ二アム投資もしない、結婚紹介所・斡旋利用をしない、ロングステイ詐欺にひっかからない…
等々、余計な事には絡まない。

ロングステイはボロ賃貸マンションを借りて自炊しながら、とっかえひっかえ好みの若いタイ女を買う。
マンションを女に知られるのは危険だから、Hはラブホで。
大切な金は日本に。
リタイアメントビザは自分で頑張らず、ラクして見せ金業者に頼む。

VISAデビット付きの銀行カードとタイの銀行カードを作っておく。
ブログなんて書くなよ!
やはり、投稿からプライベートを知られるのは危険だから。
昔から信頼している日本人以外とは、タイでは一切付き合わない。
日本人会も、入っちゃだめだ。

タイ女が泣こうが喚こうが、絶対に多額な金銭を援助しない。
万が一 深い仲になり、同居するようになっても、結婚(入籍)は しない。パートナーの関係を保つ。
タイ人に恨みを買わない、怒らせない。
体壊したら、当地で療養なんて考えず、日本に帰国して保険で病院へ。最悪 生活保護。
完璧だな ♪

騙されたり、簡単に車だの家だの買い与えるバカが多すぎだね。
せめて、ローンで買わせて地上権設定は当たり前。

独身のじーさんは安易に移住して来て、簡単に日本人やタイ人を信じるから、騙されたり殺される。
最近 判っているだけで、2人も残忍な方法で殺されてる。
それでも、タイ人は無罪。

夫婦で移住も、両方せめて英語は話せないと無理だよ。どちらか死んだら苦労するよ。

皆、毎日毎日簡単に騙されてて、本当にバカ過ぎるよ。
自分だけは違う、この子(タイ女)だけは違う。これ位ならタイ女にくれてやる。
本当に、バカ過ぎて話にならんよ。
マゾかよお前ら!日本人なんだから、もっと頭使えよ!

…先人の経験談を、もっと謙虚に真摯に受け止めよ。


※ 見せ金業者とは。
会社発起人や取締役が、払込取扱金融機関以外の者から借り入れし、これを払込金として現実に払込取扱金融機関に払い込み、設立登記後または新株発行の変更登記を終了すると直ちに払込金を引き出して借入金に返済する行為。
そういう手続きを経て、設立された会社=業者。(ウィキペディアより引用)

| チェンマイところどころ2013〜 CHIANGMAI HERE AND THERE 2013〜 | 08:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

ある追悼

チェンマイで、しばらくの間 通った日本食堂(居酒屋。居食屋とも呼称)の ご主人が3月4日に61歳?で亡くなったと知った日、複雑な気分になり、日記に以下のような文を綴りました。
葬儀も終わり、2週間が経ち。
参列した方のブログにも一部補足して投稿させていただきましたが、故あって更新をしていなかった自分のブログにも再掲するものです。
ご主人と最後にお会いしたのは、店を閉められて しばらく経った2016年1月。ファイケーオ通りでバッタリすれ違い、某不動産店の前で座って雑談した時です。
「あんたは変わらない(染まらない)な」、というような事を言われましたっけ。

10年以上前、既に私はチェンマイで年に数か月過ごしていましたが、当時ご主人がやっておられた2軒の店へは行っていません。
新しい店は、常宿に近く、オープンしてすぐの頃から行ってました。
ご主人が店に出なくなる少し前、常連さんや ご主人の友人以外では、料理をろくに注文せず喋りたがりで、情報を聞きまくるだけの お客様が増加していたように思います。
ご主人はプロ、無料案内所を しているわけじゃないので、こういう人たちを冷た〜く扱ってましたね。
バックパッカー向けゲストハウスに泊まって1人ゴルフしてるという中年男に「もっと安い宿はないか」と聞かれた時は、もう呆れてました。
お金持ちらしき同胞やビジネスの方々(ご主人と奥様が併せて経営しているマッサージ店の利用者や、所有のコンドー部屋を借りてくれてる人も)には、それなりの対応。
でも彼らの人間性が見えてきて、徐々に対応が変わってゆく。
私は常連さんや初対面の人と話す事もありましたが、黙って隅のテーブルでビール呑みつつ彷徨いてる猫いじりつつ、そういうのを見ているのが好きでした。
チェンマイで店を経営する日本人オーナーは今後もいるでしょうが、溜まり場にして店に立ち相手をする日本人オーナーは、ご主人が最後か。
個性派の同胞ばっかり来て、その相手をするのは疲れるに決まってます。
言葉が通じぬタイ人に店番は任せておいた方がよろしい。同胞もタイ語を学ぼうという気になり、語学学校経営者が喜ぶでしょう。

私はチェンマイ滞在時、あちこちの店で1人 ビールを呑んでると、いい人に見えるのか話しかけやすいのか、喋りたがりな同胞男性ステイヤーの(時間つぶし用)ターゲットにされる事がよくあります。
いちおう断らず、相席で話したいんですか?どうぞとは言いますが。
話に その人の過去が見えたり、タイ女性で失敗したとか良い関係を続けているという話が聞けたり、先達からのアドバイスで得した気分になる事がありますから…でも、聞きたくもない話をする人たちが8割。
いかに自分は安く旅をしてるか自慢とか、良い店教えろとか、そんなのばっか。そのうえ初対面なのに横柄で、相槌も限界。
途中で話を遮り、お引き取り願うことにしています。
また、こういう人たちは まず呑まない。せめてコーラの1本でも追加注文し、一緒に呑んでくれれば、店のためにもなるし もう少し話を聞いてあげるのですが…。
私より年上の人も多いのに、まるで分かってない。こっちを甘く見て、分かってないフリをしてるのか。

ご主人は、プロ精神で いろんな人の話を店で聞き、コラムを書き、集客目的があるとはいえブログも開設し対応しておられ、バイクも車も乗り、イクメンもやっていた。
私には出来ない…。
今回のこと、全く残念でした。

| チェンマイところどころ2013〜 CHIANGMAI HERE AND THERE 2013〜 | 11:26 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

…3か月経って
2015年6月末。
土壇場のキモチから、ブログに「お願いのようなもの」を書いて断筆し、3か月。
幸い状況は早期に好転し、日常が戻っては いるのですが。

哀れむ・叱る問わず、こういうときに何かコメントしてやろうという読者の方、
まして読料として少し恵んでやるかなんて方は、「ほぼ」居られなかったようで…。
 
「お願いのようなもの」を書いた日のアクセス数は、カウンターを信ずれば3500弱あったのです。
ということは、3500人弱の読者の方 (フォロワー、っつうんですか ?) の目に あの記事は触れたことになりますが。
それに対する反応、コメントや連絡はゼロでした。
ちなみに、6月のアクセス数は130000超え。
7月 8月は何も書いていませんが、46000強 37000強のアクセスを頂きました。
本当にありがたいのですが…反応の類は「ほぼ」ありません。
「いつも ご苦労様です、参考になります」と慇懃な お褒めコメントをくれる方も、「珍しい写真、頂きますネ」の方も、姿を消されたようで。
…そんなモンですね。

好意的に解釈すれば「ネタ」だと思われたか、ドン引きして見限ったかの どちらかでしょう。
今月も、何も書いてないですが、アクセス数は20000以上あります。
ありがたいことです。
けれど、真剣に書いた「お願いのようなもの」投稿への反応の無さに、わたくしは…
「読者の皆様が、調べて書いたモノを見ていてくださる。嬉しい!」というキモチが、すっかり失せてしまいました。
調べて書いたモノには大いに反応して貰える (アクセス数の増加) が、それを書いた わたくしの土壇場・ピンチには、何の反応も貰えないんだなぁ、と。

10年やってきた自分なりのブログ=映画などのヲタク雑学研究発表も、潮時かなぁ。
発見とかして、書いたり写真を載せたりしてもプロじゃないんで、わたくしより押しが強く文才があり立派に見えるブログの書き手やプロの方に、シレッと無断で使われちゃうからなぁ。

今後は。
多くの「町の研究家」に倣って、こーゆー事どもは「私家版」として続けるのが良いかな ? と考えました。
現在、カテゴリー立てて連載形式で続けている記事が いくつかありますが、ブログでは、全て「未完」とさせていただきます。

過去のブログ記事は全て残しますし、これからも たま〜には書こうと思いますけど。
少なくとも、
・年末恒例の「今年のマイベスト」
・つれづれ雑記における若干の「メモ」
は続けるつもりですので。

なお、今回の件は別として。
雑記の中に ときどき登場する近況スケッチや、わたくしの心象みたいなモノですが…こちらは100パーセント事実ではなく、「見聞や日常を使ったフィクション」であることを お断りしておきます。
これこそネタとして、読んで頂くためのモノ。
ときどき誤解があるんですけど。
フツーに考えて、ネットの雑記に「真実の日記」をつけるヤツはいないでしょ ?

最後に。
誰も言ってくれないから、自分で言おうっと。
「ブログ継続10年…お疲れさまでした!」
| サイトオーナーよりひとこと from SITE OWNER | 08:15 | comments(3) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

お礼と、お願いのようなもの
こんにちは。
いつも当ブログを閲覧頂き、ありがとうございます。
6月も もうじき終わりますが、月間閲覧者数は5月のそれを突破。120000を超える新記録と なっております。
いったい どうしたことでしょう ? 嬉しい悲鳴しか出ません。
本当に ありがとうございます !

以下は、わたくしの体調に関する事と、非常に身勝手な お願いです。
お怒りになる方が、おられるかもしれません。

昨年末以来、当ブログや雑記でも書いたことがありましたが。
半年に渡って わたくしを苦しめてきた、原因不明 (五十肩に起因すると思われる) の両腕・肩の痛みや ふるえは、治療 (思いつく限り試した) と我慢の甲斐あったか、今月の時点で ほぼ解消しました。
あとは、両腕の筋肉が作動不良というか、固〜くなったような感覚。
これが無くなれば、完治と言ってよいのですが…
まだしばらく、時間が かかりそうです。

痛みと併行して。
理由を、今は書きづらいので省かせていただきますが…わたくしに「経済的危機」が襲ってきました。
たぶん このまま行くと、10年続いた当ブログのバックボーンとなっている、今まで蒐集したヲタクならではのブツ・資料など、売却し資金に変えることを決断せねばなりません。
その先には、もっと大きなものも処分しなければならない日が来るでしょう。
ブログ掲載目的で、調べたり やっておきたいことは まだまだ あるため、「その日」を少しでも先延ばししたい願いのみ 今は あります。

こんな不躾な事を書くのは初めてで、何度も逡巡した末なのですが。
お一人あたり、いくらでも結構です。活動支援金を ご寄付願えないでしょうか ?

ドローン飛ばし少年が、資金を得た手段のマネと思われても仕方ありません。
ですが、
顔の見えない多くの閲覧者様の厚意に すがることも、今は試してみたい心境なのです。
わたくしのブログに、何がしか読むべきところや参考になるモノがあり、「得した」と思われているのなら。
下記の ゆうちょ銀行口座に、お志として頂戴できませんか。

記号12150 番号5531821
または
店番218 普通 0553182
コヤマ ジ××ジ

ネット上なので、本名を完全に曝すのは躊躇いました。
こんな お願い、非難も承知の上ですけど、あらゆる可能性に縋りたいのです。
なお6月30日時点で、この口座の残金は数千円しか ありません。

お返しは、「当ブログを継続すること」のみですが…。
終わります、失礼しました。
| サイトオーナーよりひとこと from SITE OWNER | 11:51 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第5作 『サザエさんの結婚』(1959.1) [4]
西野ノリオ (藤木悠) と浅利はま子 (横山道代) の、会費制結婚式。
やって来た学生たちの名が、当時の政治家や相撲取りのモジリというギャグ。

岸金助、佐藤平作、若野花夫 ! 役者名は不詳。
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 11:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP

東宝・宝塚映画版『サザエさん』特集 第5作 『サザエさんの結婚』(1959.1) [3]
シナリオ表紙。

本作のスチル写真を所有していないので、いくつかの場面をシナリオから紹介すると。

東宝撮影所で、下宿人の新人スター・平目スナ子 (雪村いづみ) の撮影風景を見学するシーン。
江利チエミ演じるところのサザエさんが、食堂で江利チエミを目撃する。
ワカメに「そっくりだ」と冷やかされ、「あたし、あんな人に似てないわよ」とグチる、楽屋オチ。

合成なのか、カットつなぎ処理かは不明。
それ以前に、この珍場面は映像になっているのかな ?
| 長谷川町子の部屋 FEMALE MANGA ARTIST MACHIKO HASEGAWA | 08:31 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP