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いよいよファイナル ザ・ピーナッツの小美人特集 [117]
 『モスラ』小ネタ集 その13

1970年代、第2次怪獣ブームの頃に発売された、名場面集8ミリフィルムがあった。
その中の1本、「モスラアタック東京 !」に付いている絵本に描かれた小美人。オォ、コレお下げですか ? 一瞬、双子アイドル リンリン・ランランの影響かと思ったけど、発売は彼女たちのデビュー前ですね。

それにしても、目にクる強烈な彩色ですな…。
| ザ・ピーナッツの小美人特集 Twins Female Singer, THE PEANUTS in "MOTHRA" | 09:48 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

『ポニョ』TV初放映特番の大橋のぞみ
『ポニョ』TV初放映には長〜い前フリの特番が付いていた。早く観たい幼児には酷なジラシである。鳴り物入りで人気作を放映するときの、日テレの伝統なのか。『スター・ウォーズ』TV初放送の故事を思い出したよ。
大橋のぞみもゲストで駆り出され、久しぶりに藤岡藤巻 (元・まりちゃんズなんですね) と主題歌を披露。でもその前の枠で、お下げ & フワモコ系の服で登場したときの方がグッと来たね。あ…この場合「グッと来る」は誤解されますか…訂正、「良かった」と (苦笑)。
| 『崖の上のポニョ』 about PONYO ON THE CLIFF BY THE SEA | 11:39 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [18 完]
というわけで、また「ぼくの採点表」の話に戻ってきました。

連載は1952年から、2001年に双葉先生が肺炎で入院するまで続いたそうです。わたくしが愛読したのは掲載誌「スクリーン」を購読していた1970年代中盤から後半まで (もうファン雑誌は卒業とばかりに、エラそうに「キネ旬」とかを読むようになったから…)。その後、20年以上も継続していたとは。本当に凄いことです。
この連載は、1970年代後半に「スクリーン」の版元・近代映画社が「外国映画25年みてある記 ぼくの採点表 アメリカ編・ヨーロッパ編」として抄録初出版しました。
その後、1990年からトパーズプレスの瀬戸川猛資 (たけし) の努力により「スクリーン」以外の原稿も集めた映画辞書といった趣 (タイトルをアイウエオ順でまとめた) の、「西洋シネマ大系 ぼくの採点表 1940/1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 別巻・戦前篇 総索引・20世紀ムーヴィーズ」という決定版6冊が順次刊行。さらに竹内博に「論外」と言わしめた『ゴジラ』評も含む「日本映画批判 一九三二 - 一九五六」も1993年にまとまりました。
1999年に瀬戸川氏が50歳で早世した後、キネ旬からトパーズプレスと同じ体裁で「ぼくの採点表 1990年代」が刊行され完結。読みつがれています。
ただ、この分厚い本とてこぼれ落ちている作品は多く、さらに「スクリーン」のA4サイズ紙面に初掲載された時にはあった各作品のスチル、アソビ心のある“今月の推奨スター”や他の人の評論に対する“ぼくの採点と意見”などがオミットされているのは残念なり。

落語も好きだったという双葉十三郎、「映画評のオチは楽しんで工夫した」といいます。「ぼくの採点表」のラストは数行の寸評オチ (エヴァじゃないが極太明朝体使用) でいつもキメていましたが、面白いのも “?” なのもあったな。
でも何故かずっと覚えているのはウンと下らないヤツ。ルドルフ・マテという監督が凡作ばかり作るので、ある作品 (『三人のあらくれ者』だったか) の時ついにダジャレが炸裂。曰く「ルドルフ、監督をするのはしばらくマテ !」
…おあとがよろしいようで。
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 09:12 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [17]
ウチにある、いちばん古い双葉先生の著書は、池田書店刊「映画入門」(1954)。ずいぶん前、古書市で買いました。
“むつかしい理論ではなく、映画芸術のABCといったところを、お茶でも飲みながら雑談するような、楽な気持ちで聞いていただくつもり”で書かれた新書サイズの映画読本。
雄鶏社から1947年に出た「映画の魅力」という本を増補・改訂したものだそうです。奥付の発行日は1954年の12月 (序文によると11月に脱稿したようだ)…つまり昭和29年の暮れなんですけど、この年月を聞いてピィ〜ンと来た方もおられましょう。
“映画の嘘と現実”というチャプターでトリック (特撮) 映画に触れたとき、“日本でも『ゴジラ』のような映画があるが…”と11月に公開されたばかりの国産怪獣映画についても言及してます。早っ !
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 13:05 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

祝『ポニョ』地上波初放送
何やら、理屈やらオール手描きのアピールやらが余計 (照れ隠しですな) だが、コレは純度の高い宮崎駿流女児萌えアニメ。他の何物でもない。
「ちっちゃいお嬢ちゃんが、好きな男の元へギュッとしに来てくれる」という一点突破で、氏のアニメ随一の“作画の暴走”が拝めるのは捨てがたいぞ。…みんなで観よう !
| 『崖の上のポニョ』 about PONYO ON THE CLIFF BY THE SEA | 13:40 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [16]
ヒッチコック座談会における、双葉十三郎と淀川長治のツーショット。当時49歳くらいだった (今のわたくしとほぼ同年ですな) 双葉先生の頭髪になんだか親近感 !

二人が、投稿が縁で知り合った話は先述したが、初めて出会ったのは1934年6月13日であった。
住友に入社した双葉が研修で大阪に滞在したとき、淀川が勤めていたユナイト大阪支社を訪ねたのである。
二人は終生の映画友達となり、淀川が亡くなるまで、毎年6月13日には必ず会って語り合ったという。

下世話な話だけれど、淀川長治は衆道のヒトだったそうで。たぶんノーマルだと思われる双葉先生は長い付き合いの間、どう思われていたんだろうな ? などと調べながらイロイロ想像 (笑)。
なおこの写真、「東京のドン・キホーテ」ではひとりずつに分割し転載されています。
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 22:39 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [15]
黎明期のテレビに関わった、双葉十三郎の足跡を辿るのはこのへんで終わり…「他にもあるぞ」「その情報、違ってる !」というコメント、お待ちします…また映画関連に戻るのですが。

映画評以外で印象深いのが、1960年4月、いまやホラー映画の古典となったパラマウント作品『サイコ』公開前PRも兼ね来日した、アルフレッド・ヒッチコック監督を囲む座談会でのナイスなやりとり。
双葉ファンでもある若き日の小林信彦 (当時は中原弓彦名義) が、江戸川乱歩の知己を得て編集長を務めることになった伝説のミステリ雑誌・日本版「ヒッチコック・マガジン」の企画だ。
ヒッチコックとアルマ夫人を囲むのは、同誌の発行元・宝石社の実質的な出資者であった乱歩に加え、常連執筆者の双葉・淀川長治・品田雄吉 (荻昌弘は旅行のため出席できなかったという)。

1) 1959年秋に公開され、大ヒットしたMGM映画『北北西に進路を取れ』の話題で…
「『北北西に進路を取』ったところが、そのはるかむこうに『三十九階段』を発見したのですけれども、この発見は正しいのでしょうか ?」
ヒッチコック答えて、「あなたが『サイコ』でなければいいがね…」
→『北北西に進路を取れ』の元ネタは、ヒッチコックの戦前の作『三十九夜』(1935) であるという鋭い指摘。『三十九夜』はラルフ・トーマス監督によりリメイクされ、『三十九階段』(1959) として公開された。“サイコ”とは精神異常者の意。鋭すぎる双葉氏はその域だったか ?

2) 「ヒッチコック先生のシャシンでは、うしろから背中を刺されて死ぬのが多い (『三十九夜』、『ダイヤルMを廻せ !』(1954)、 『北北西』でも) けれども、先生は背中から刺されるのが御趣味なんですか ?」
ヒッチコック答えて、「今度の『サイコ』では、ちゃんと前から殺ってます !」

この座談会は小林信彦「東京のドン・キホーテ」に入っていますが、初出の「ヒッチコック・マガジン」(表紙表記は“・”ナシだが) 1960年7月号でしか見られない写真を下に貼っておきます。
余談ながら、この号に初出掲載されているのが星新一のショートショート「包囲」。フェイバリット作品のひとつなり。

本誌を逆に持ち、すましているヒッチコック。このアイディアは、座談会の中で小林が提案したモノ。
ヒッチコックはこれに対し、「私を逆さまにして、雑誌をまっすぐにしといたらどうか ?」と答えております。

どうでもいい小ネタ集
A) この座談会でヒッチコックにプレゼントされたのは、鳥 (文鳥) の置物だったとか。これが次回作『鳥』のヒントになった…という事は無さそうだね。
B) 小林は双葉が「スタア」誌を編集している頃にファンレターを出し、返事までもらっているそうな。
C) 双葉は日本版「ヒッチコック・マガジン」を始めるとき乱歩に意見を聞かれ、「成功率は70パーセントだ」と答えている。これは「ダメ」という意味合いだったらしい。
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 13:48 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [14]
江崎グリコ提供で、『鉄人28号』の後番組だった『遊星少年パピイ』については、おぼろな記憶しかありません。
覚えているのは、主人公の叫ぶ「ピィー、パピー !」(声優は、藤田淑子と山本嘉代子 = 山本嘉子。急病で代打の回があったか ?) のセリフと、とサブキャラでアラビアの魔法使い・アジャババの呪文「アジャババアジャバ…」(声優は加茂喜久) ぐらいですかね。
ネット上にあったDVDジャケで気に入ったものを貼っておきました。

どの話で脚本を書いておられるのかな。
14話「放射能蟻の襲撃」、41話「砂漠の鉄将軍」なんて元ネタ洋画が見える (笑) ようで、確信犯の双葉脚本かも ?

ネット上にあった「アニメモリアル」というサイトの放映リストを転載させて頂きます。
http://74.125.153.132/search?q=cache:BBi2KGOH4vkJ:www.animemorial.net/ja/episodes/19-%E9%81%8A%E6%98%9F%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%83%91%E3%83%94%E3%82%A4+%E3%83%91%E3%83%94%E3%82%A4%E3%80%80%E6%94%BE%E6%98%A0%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
第1話 「不思議なペンダント」 1965/06/03 ※初回視聴率は27.4%であった。
第2話 「怪力ストロング」 1965/06/10 第3話 「ウルトラ忍法キリトビ流」 1965/06/17 第4話 「アラビヤの魔術師」 1965/06/24 第5話 「円盤くらげ」 1965/07/01 第6話 「恐竜人間現わる」 1965/07/08 第7話 「キリトビの挑戦」 1965/07/15 第8話 「魔神の島」 1965/07/22 第9話 「コロラドの大怪獣」 1965/07/29 第10話 「怪植物シャーベリア」 1965/08/05 第11話 「夢見る機械」 1965/08/12 第12話 「狙われた地球」 1965/08/19 第13話 「ゴールド・ピッカー」 1965/08/26 第14話 「放射能蟻の襲撃」 1965/09/02 第15話 「宇宙大戦争」 1965/09/09 第16話 「想いでの星」 1965/09/16 第17話 「巨人の星の動物園」 1965/09/23 第18話 「盗まれた富士山」 1965/09/30 第19話 「海賊サタン」 1965/10/07 第20話 「恐怖の惑星」 1965/10/14 第21話 「ロボットNo.9」 1965/10/21 第22話 「バイバイ土星人」 1965/10/28 第23話 「地球総攻撃」 1965/11/04 第24話 「幽霊宇宙船」 1965/11/11 第25話 「無人島の決闘」 1965/11/18 第26話 「海底の秘宝」 1965/11/25 第27話 「ロケットバイロット」 1965/12/02 第28話 「魔人ガイスト」 1965/12/09 第29話 「パピイの贈物」 1965/12/16 第30話 「挑戦者ゴムレ」 1965/12/23 第31話 「花粉爆弾」 1965/12/31 第32話 「リコちゃんの指輪」 1966/01/07 第33話 「名探偵リコ」 1966/01/14 第34話 「ネクロ星のスパイ」 1966/01/21 第35話 「博士ノーマック」 1966/01/28 第36話 「可愛いスパイたち」 1966/02/04 第37話 「秘密捜査員アラン」 1966/02/11 第38話 「不思議な手紙」 1966/02/18 第39話 「ロボット王子」 1966/02/25 第40話 「リコちゃんの大冒険」 1966/03/04 第41話 「砂漠の鉄将軍」 1966/03/11 第42話 「地球最大の危機」 1966/03/18 第43話 「恐怖の雪人間」 1966/03/25 第44話 「水晶谷の復讐魔」 1966/04/01 第45話 「流星ミサイル」 1966/04/08 第46話 「謎のミイラ」 1966/04/15 第47話 「あばれオルガン」 1966/04/22 第48話 「10時10分に気を付けろ」 1966/04/29 第49話 「鳥人ギャング団」 1966/05/06 第50話 「地球への抜け穴」 1966/05/13 第51話 「アジャババの孫たち」 1966/05/20
第52話 (最終回) 「遠いふるさとの星」 1966/05/27。

なお、後続番組は『遊星仮面』(1966-67)。この時期、特撮番組で“遊星”という言葉がたびたび登場したけれど、これらアニメの影響かもしれないですね。
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 09:51 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [13]
ミニチュアを担当したのは、東宝特撮映画 (海底軍艦 !) や円谷プロ (ウルトラホークにMJ号) 作品、NHKの『空中都市008』、『キャプテンウルトラ』など東映作品にも参加した金属加工で名高い郡司模型。グッと来るのも当然か。ただ、上手く使われていたとは言い難いですけど。

日本電波映画作品なので、繋がりのある特殊造形家 兼 俳優 (黒澤映画にも出演) の大橋史典も参加。こういう作り物は氏の作でしょうか。
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 11:01 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP

双葉十三郎の訃報を聞いて思い出したこと [12]
『宇宙Gメン』より。このラインのメカ、わたくしは凄く好きだな。

宇宙船のデザイン、双葉がアイディアを出してラフスケッチも描いてたら凄いと思うけど、その辺りは美術のヒトに任せていたのでは。
| 今週のわたくし2010 SUBCULTURE DIARY 2010 | 10:29 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP